慣習
「王子、シーラ王女とご婚約なさったと言うのは本当なのですか?」
ある日、冒険者ギルドへ行くとパウラインにこんな質問をされた。
「まだ公表されていない筈だが、何故知っているんだ」
婚約の発表は国と城の復興が済んでからと言う話になった筈だ。
「これでもギルドマスターなので、“耳”はそこら中に配しています」
やっぱり優秀だなぁ、こいつら。
「では、やはり本当なのですね」
そもそも誤解だし、そのつもりはなかったんだが、それを声高に主張してシーラを泣かせるのもどうかと思ってその話には触れずにいたのだ。
そもそもシーラの事は妹のように思っている。
シーラと接していると、昔アリスが俺に姉と呼ばれたがっていた理由がよく分かった。
「なるほど――しかし、本人の意思を無視した親同士の話ならばともかく、正統な作法に乗っ取った婚約となると、時間を置いても無効にはならないと思います」
詳しい経緯を説明した後にパウラインの口から出たのは、そんな言葉だった。
「正統って言っても、相手の眼と同じ色の宝石の指輪を渡しただけだぞ…」
他所の国から来た人間の誰がそんな作法を知っていると言うのか。
「でも、その土地では謂れのある行為な訳ですから、そこに意味がある以上、相手は忘れませんよ」
「む…」
やけに説得力があるじゃないか。
「でもそうなると、魔王様とはどうなさるのです?」
「どうなさるとは?」
「――あ」
なんだ、その「腑に落ちた」って顔は。
「そう言えば王子って、魔国の育ちじゃなかったんでしたっけ…」
おい、口調が素に戻ってんぞ。
「まあな」
「えーと、ですね……魔国にもその手の慣習がありまして、ですね?」
何だ、その歯に物が挟まったような物言いは。
「魔国では、王子は魔王様の婚約者と言う御立場なのですが…」
「はあぁ!?」
魔族の寿命は長い。三百歳前後が種族の平均寿命だ。
その内二百年以上もの期間、二十~三十歳の若さを保つ。外見だけでなく内面もだ。
何が言いたいかと言うと、魔族の結婚観だ。人間とは大きな隔たりがある。
それだけ長い時間若さを保つのだから、結婚相手との年齢差が五十歳なんてのはざらなのだそうだ。
つまり、魔国において義理の親子関係と言うのは、そのまま婚約の意味を持つ、らしい。
「なんだそりゃ!? 親子関係って言っても同性の場合だってあるだろ!?」
「ありません。同性を義理の家族に迎える場合、それはどれだけ歳が離れていても兄弟または姉妹として受け入れます」
「え、じゃあ、王族の四姉妹って歳が近いからってだけじゃなかったのか?」
「はい」
つまり、俺はベル母様にプロポーズされていた…? と言うか、受諾したから婚約成立している?
――そんな事になったら、私は世界を滅ぼさないでいられる自信が無いわ――
あの言葉が重く圧し掛かってきた。
そりゃあ自分の伴侶(予定)が余所で女作ってたらそんな気にもなるわ。
と言うか、そうか…俺は本来なら有り得ない男の因子持ちだ。
ベル母様にとって、世界でただ一人の結婚できる相手って事か。
「弁明なさるにしても、この件を王子本人の口から聞くのと他者から耳にするのとでは印象がまるで違うモノになるのではないでしょうか」
パウラインの言葉が俺を現実に引き戻す。
「た、確かにそうだ」
俺は今晩にも、急ぎ帰国する事を決意した。
「”位相転移制御:月光”」
目を開けると、そこは懐かしき魔国の俺の部屋――の筈なんだが、部屋のベッドで俯せになり、蠢く何者かがいた。
もぞもぞ
「ん…んぅ……チロぉ……ぐす」
「アリス、何故俺のベッドで寝ているんだ?」
「きゃぁああ!」
「叫びたいのは俺の方なんだけど。すげー驚いたぞ、転移失敗したかと思って」
「ち、チロ!?」
「他の誰だと思ったんだ…」
「チロぉ!」
勢いよく立ち上がったアリスは、ぼふっと俺の胸に飛び込んで来た。
それを優しく受け止めつつも疑問は晴れない。
「何なんだ、いったい」
「寂しかったのぉ! チロったら全然帰ってこないんだもん、いつでも帰って来れるって言ったのに!」
「あー…そうか、それは済まなかったよ。色々あって忙しくてなぁ」
そのまましばらく頭を撫でてやると、アリスは漸く落ち着いたのか、顔を真っ赤に染めながら離れていった。
「チロ、よく帰って来たわね」
「チロちゃん、お帰りなさい」
「お帰り、チロ。元気そうね」
居間に行くと、俺の帰りを察知した――自室で一瞬だけ威圧を軽く解放して合図した――三人が集まっていた。それぞれ俺の帰りを歓迎してくれる。
(ああ、やっぱりここは居心地いいなぁ)
ベル母様やフィン姉に抱き締められたり、ケイト姉に撫で繰り回されながら、家に返って来たことを実感する。
「それで、向こうではどうなの? 順調に行っていて?」
「ベル母様のおかげで凄く助かってるよ」
「そう? なら良かったわ」
俺の言葉に、凄く嬉しそうな顔をするベル母様。
「とりあえず、あの国でやる事は殆ど済ませたんだ。次は――」
一通り報告を済ませてしまおうと、俺はペッテル国で起きた事を告げていく。
「それでね、ちょっと言い辛いんだけど――」
ついに、俺は今回の帰国に関して一番報告しなければならない件を告げた。
「婚約? その国の王女と? ――ふーん、本気なの?」
すうっとベル母様の目が細められた。怖っ!
フィン姉とケイト姉、アリスの三人も「まさか!?」って顔をしている。
「いやいや、知らなかったんだよ、そんな風習があるなんて」
俺は事細かに事情を説明していく。
「あら、そうなの? それならいいのよ」
ベル母様のその言葉に心底ホッとする俺だった。
だけど、それで終わりにはできない。知らなかった風習は、もう一つあるのだから。
「ベル母様、俺の知らなかった事はもう一つあるんです」
「何かしら。改まってどうしたの?」
普段と違う口調の俺に違和感を覚えたのだろう、ベル母様の表情が引き締まる。
「俺とベル母様が婚約してるって本当ですか?」
「えっ!?」
ベル母様だけじゃない、他の三人も吃驚している。
次の瞬間、「あっ」と言う顔をしたところまで全く一緒だった。
「ああ……これは、私のミスかしらね…」
ベル母様は、悔しそうに唇を噛みながら絞り出すように言葉を吐いた。
やはり、ベル母様と三人の姉達は俺がこの国の慣習に疎い事を失念していたようだ。
まぁ俺が養子になったのは、俺の事情を話すよりずっと前の事だったからな。
「ちょっと柄にもなく舞い上がっていたのかしら…」
諦めていた結婚。
それを可能とする相手が現れた。まぁ、それに飛びつきたくなる気持ちは解る。
ユスティスもベル母様が凄く結婚したがってる、みたいな事を言っていたし。
「勘違いしないで、私はチロだから伴侶に選んだのよ。誰でもいい訳ないでしょう」
内心が顔に出ていたのだろうか、ベル母様がそんな事を言い出した。
「それに一度養子にしたからって絶対結婚しなきゃならないって事じゃないのよ。親子関係を解消したっていいのだから」
ああ、そりゃそうか。
好みに育つとは限らないし、ダメな大人になったら見限られる事もあると。
「でも、私はチロがいいと思った。チロが欲しいと思ったのよ」
うわあ、直球ど真ん中。
真顔で俺を見詰めるベル母様に自分の顔が熱くなるのを自覚した。きっと俺の顔は真っ赤に染まっている事だろう。
「だけど、それはフェアじゃなかったわね。事情を知らないチロに対して取っていい手段じゃなかったわ」
そんな寂しそうな顔をしないで欲しい。そんな顔をさせたくて、こんな話をしたんじゃないんだ。
「ベル母様が嫌な訳じゃないんだ。むしろ嬉しいと言うか――」
「本当!?」
俺の言葉に反応して、被せるように確認を取ってくるベル母様。
「え!? あ、うん」
「なら何も問題ないじゃない」
ベル母様の顔は、先程までとは一転して喜色に染まった。
そのまま俺は抱き締められてしまう。
「待って、お姉ちゃん。わたし達の事もちゃんと伝えて?」
「そうよ、ベル姉さんだけの問題じゃないんだからね」
「うんうん」
取り残された三人が口を挟んできた。
「え? みんなにも何か関係あるの?」
「あるわよ。あたし達にとってもチロは希望なんだから」
「チロちゃん、お姉ちゃんと結婚できる事の意味をよく考えて?」
「私もチロのお嫁さんになりたい」
「あ、そうか」
考えなくても解る事だった。王族であるこの三人も結婚相手がいないんだ。
「そうよ。つまり私と一緒になると言う事は、この子達とも一緒になると言う事よ」
「ええ!? それも慣習?」
「違うわ。チロを養子に取ると決めた時にね、みんなで話し合ったのよ。全員で幸せになろうって」
魔王と言う権力を使って一人だけ幸せになるなど姉妹に対する裏切りだ。だから全員でどうしたいかを話し合ったと言う。
好みの問題もある。俺とは結婚したくない人もいるかもしれない。
それも含めて話し合った結果、四人全員が俺との結婚を望んだらしい。
これ何てモテ期?
俺、当時五歳なんだけどな。魔族の結婚観って日本じゃ犯罪だよ。
「大好きよ、チロちゃん。ずっと傍にいてね」
「あたしだってチロが好きよ、この気持ちは姉さん達にだって負けないわ」
「チロ大好き。私もお嫁さんにして!」
そもそも、何時の間にフラグが立っていたんだろうか。謎だ。
「そうね、その何とかって国の王女も結婚すると言うのなら認めましょう。ただし、序列は五番目よ」
いやー、それはあの王様が許さないんじゃないかなぁ。
目に入れても痛くないって可愛がりようだし、況してや五番目なんて絶対に無理。
「もし他にもチロちゃんが認めた子がいるなら、増やしてもいいのよ?」
まじでハーレムルートですか。
だけど、おどけた口調とは裏腹に彼女達の眼は真剣だった。
当然だ。諦めていた普通の幸せ。家庭を作る事ができるかどうかの瀬戸際なんだから。
いや、ハーレムがこの世界で普通かどうかは知らないけどさ。
結局、俺はその申し出を受ける事にした。
大好きな彼女達に一生独身なんて、そんな寂しい思いはさせられない。
魔族の一生は長いんだ、その寂しさは相当なものになるだろう。
歓喜した彼女達は今すぐにでも結婚式を上げようと言う勢いだったが、さすがにそれは止めて貰った。
「まだ俺の目的は途中だし、パウライン達にもベル母様の晴れ姿を見せてやりたい」
ペッテル国にいる元評議員達を出汁に使ったように聞こえるが、これは本音だ。
慣れ親しんだ魔国を出て、異国で俺を支えてくれたパウライン達。
それは偏にベル母様への忠誠心ゆえだろう。
なら彼女達にはベル母様の晴れ姿を見る権利があり、また俺達はそんな彼女達の忠誠心に報いるべきだと思うのだ。
「そうね、チロの言う事も理解できるわ。では、式は全てが片付いてからにしましょう」
ベル母様は、実にあっさりと承諾した。
これは理解があると言うよりも、ペッテル国でのごたごたが短期間で片付いたから、次もすぐ片が付くと思っているのかもしれない。
いや俺だってできるだけ早く終わらせたいとは思っているけど、そう簡単に行くかなぁ。
「ただし、次はアリスを一緒に連れていく事」
そんな事を考えていた俺の隙を突いて、ベル母様が聞き流せない事を口にした。
「――え?」
「お目付け役よ。これからも無制限に婚約者が増えるなんて嫌だもの」
信用ねぇな! 半年で一人増えたら仕方ないかもしれないけどさ!
「いや、でも連れて行くって、アリスの仕事は?」
「今なら影響は最小限で済むわ。フィンやケイトじゃ影響が大き過ぎて引き抜く事はできないけれど、配属したばかりのアリスなら大丈夫よ」
いやいやいや、それでも影響はあるんだろう?
「それに、アリスには威圧があるから――」
「一緒にいればチロが何とかするでしょ?」
「いや、確かにできるけどさ、夜とか別々の部屋で寝てたらさすがに無理だってば」
嘘ではない。同じ空間にいれば無意識にでも中和できるが、一つ壁を隔てると途端に難易度が上がるのだ。
起きている時ならともかく、就寝中に別の部屋にいるアリスの威圧を中和するのは、いくら俺でも無理だった。
「一緒の部屋にいればいいでしょ。もう夫婦も同然なんだし、気にする事ないわよ」
「ちょ!?」
ベル母様は平然と言い放っているけど、いくらなんでも無茶振りが過ぎる。
「アリスもそれでいいわね?」
「うん!」
アリスはアリスで、実にやる気に満ちた返事を返していた。しかも嬉しそうだ。
「これは最低条件よ、諦めなさい」
そして俺に向かって最後通告だ。
「アリスはね、あなたの役に立ちたくて死に物狂いで修練を積んで来たのよ。さっきの理屈で言えば、チロにはそれに報いるべきと言う事になるわね?」
むむ、逆手に取られたか。
この辺りの駆け引きは、ベル母様には敵わないな。
「女の一人くらい、笑って受け止めるくらいの男気を見せなさい」
さすがにその一言で、俺もベル母様が本気だと悟った。
言う事を聞くしか無さそうだ。
それに、これ以上意地になって反対するとアリスが泣いてしまう。
さっきから不安そうに俺とベル母様のやり取りを伺っているし。
彼女を泣かせるのは俺も不本意だ。仕方ない。
(アリスなら足手纏いにはならないし、まぁいいか)
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
※追記
一部「習慣」になっていたのを「慣習」に修正。
ニュアンスの違いを出そうと思っていたけど、読み返してあんまり意味がなさそうだったので「慣習」で統一しました。