01 合格発表
今、俺の周囲には大勢の人がいる。
その顔に浮かぶ感情は様々だ。笑う者、喜ぶ者、祝福する者。泣く者、落ち込む者、気遣う者、慰める者。
ここは県内トップクラスの成績を誇る高校、県立晴嵐高等学校。今日は、その受験合格者発表の日だ。合格枠三百余名に対して受験者数は九百弱と言う、人気もトップクラスの学校だったりする。受付期限ギリギリに願書を提出した――日にちだけでなく、時間もギリギリだった――俺の受験番号が893なのだから、その情報は正しいのだろう。
「おい、ゼン。早く確認しろよ。お前は合格したのか!?したよな!?」
周囲の人々同様、俺も一人で来た訳じゃない。早く確認しろと急かすコイツは、小学校以来の友人、荘司英雄――ヒデだ。
ヒデは願書を提出したのが初日なだけあって、受験番号二桁だった。すでに合格発表の一覧に、その番号が載っているのを確認している。だからと言って、人の結果に口を出すのは頂けない。一つ文句を言ってやろう。
「おいヒデ、急かすのは仕方ないにしても、結果を勝手に決めるなよ」
「そうよ、慌てなくても今更結果は変わらないんだから。カミくん、自分のペースでいいからね?」
そう言って、俺同様ヒデを諫めたのは、同じく小学校からの友人、西尾冴子――サエだ。
彼女もすでに合格したのが判っている。
「ところで、カミくんの受験番号って何番なの?」
これまた小学校からの友人、紫藤久美――クミが聞いてきた。
言わずもがな、彼女も合格している。
「そうだよ、それを先に教えれば良かったんだ。なのに内緒にして教えないからよう。 相変わらずの秘密主義だよな、ゼンは」
ここぞとばかりにヒデが不満を訴える。だが、お生憎様、その手には乗らん。
「教えたら、お前ら先に確認しちゃうだろ」
しかも本人が確認するより先に結果を教えてしまうと言うね。台無し感満載な未来が目に見えるようだ。
「だから、教えない」
「何だよー、いいじゃないかよー、心配なんだよー」
不満ありありと言った感じでブーたれるヒデ。
「はいはい、心配なのは解かるけど、干渉し過ぎないの」
再びサエが諫めてくれる。
しかし、その目が「早く確認して頂戴」と訴えているのを見逃すほど、俺達は短い付き合いではなかった。
「…あった」
受験番号893番。その数字が合格者一覧に載っている。
「うおおおおおおお!」
すると突然、ヒデが拳を突き上げた。いや、お前自分の番号見た時より大げさなアクションしてないか?
「良かった…本当に、良かった」
サエはサエで、心底ほっとしたような感想を漏らしてるし。
「やったあ! これでまた四人一緒だね!」
クミは一番普通のリアクションだが、こいつも自分の時は、そこまではっきり態度に出さなかったよな?
でも、一番ほっとしているのは俺自身だ。彼らと離れずに済むのは、やはり嬉しい。
表向き、どうでもいいと言った態度を取ってきたが、俺に友人と呼べる相手はこの三人しかいない。比喩でも冗談でもなく、正真正銘この三人だけなのだ。
こいつらと知り合ったのは小学校三年の時だ。初めてのクラス替えで同じクラスになったのが切欠だった。
それまで俺に友人はいなかった。0だ、ゼロ。全く無し。
もちろん、それには理由がある。
俺、守久禅一郎の家は芸能一家だった。
祖父、全十郎は噺家の大御所。重鎮。弟子が何人もいて、よく家に出入りしている。
父、総八郎は漫才師。
噺家からドロップアウトした…と言うより、自ら進んで漫才師の道へ進んだらしい。若手の台頭が激しい漫才界で不動の地位を確立している。
母、桂華は元モデルのタレントだ。
もうじき高校生になろうかと言う息子がいるとは思えないほど若々しく、愛想もよく、華があると言うのか、人目を惹く。芸能人の人気ランキングでは、常に上位をキープしているほどだ。
そんな家に生まれたのが俺だ。家庭の事情からか人見知りは無く、人との会話にも気後れせず、また喋るのが好きと言う、将来を期待させる子であったらしい。
らしいと言うのは、その頃の事など俺は覚えていないからだ。祖父や父親に混ざって練習していたため滑舌が良く、話術も得意だった。順風満帆に見えた俺に暗雲が立ち込めたのは小学校に上がってからだ。
虐めに遭った。
幼稚園の頃は、親がどうだとか関係なかった。目の前の事が全てであり、そう言った妬みなど無縁だったのだ。
しかし、小学校に上がると視野が広がり、成績の順位等で上下関係が出来始める。成績はそこそこ、なのに目立つ存在と言うのは虐めの対象として狙われやすかったようだ。
結果、俺は引き籠もった。厳密には友達付き合いが無くなった。友達がいないのだから当然と言えば当然だろう。
忙しい家族は俺に気を留める余裕など無く、むしろ小学校に上がって、やっと手がかからなくなったと安心して家を空けたくらいである。
学校には行く。しかし、周囲との会話は徐々に減り、必要最低限の言葉以外は話さなくなるのに時間はかからなかった。
しかし、俺は別に気にしなかった。幼稚園の頃から家に戻れば一人だったのだ。大人たちに囲まれている時間の方が長かったし、近所に一緒に遊ぶような子はいなかったからな。
で、そうして引き籠もった俺が何をしていたかと言うと、模型作りだった。小遣いは与えられていたが、湯水のように使える訳でもなく、一つに長い時間をかけられる趣味に傾倒したって訳さ。
必然的に、その作り方も一つに時間をかけて丁寧に仕上げると言う方法に落ち着いた。自画自賛になるが、その出来栄えは見事と言う外無かった。
三年生に上がる頃には、出来合いの模型では物足りなくなり、木片やプラスチックを加工したオリジナルの制作に着手していた程だ。
そして三年生に上がり、この三人と出会ったのだ。
ヒデ達三人は、所謂幼馴染で仲が良かった。
ヒデは、成績優秀、スポーツ万能、その上ちょっと天然入っていてクラスの人気者だった。
サエは女子にとってのヒデのような存在で、成績優秀、スポーツ万能、但し天然はクミが請け負うと言う、良いとこ取りな存在だ。
クミは上記の通り、天然ゆるふわ系で、誰にでも好かれるマスコットだった。
この三人は、常にクラスの中心にいた。そして新学期早々にヒデの正義感が爆発した。
「何やってんだ、お前ら!」
無論、俺への虐めが原因だ。これはクラスどころか学年を挙げての大騒動に発展したのだが、結果的に俺への虐めは無くなった。表向きはな。
暴力的な虐めは無くなったが、無視無言はその後も続いた。俺でなければ耐えられなかっただろう。
また、家でも俺は居場所を無くした。俺への虐めに気付けなかった両親と祖父が、俺に腫物を扱うような態度を取り始めたのだ。ますます俺は引き籠もった。
そんな中、ヒデ達だけは、その後も俺に付き纏った。ヒデは俺をゼンと呼び、女性陣はカミくんと呼んだ。
理由は、『禅一郎だと長いから』(ヒデ)と、『守久君(かみくくん)だと舌を噛みそう』(サエ&クミ)だそうだ。
何でもできるヒデだが、実は細かい作業が苦手と言う弱点があった。まあ、あの大雑把な性格だ。すぐに投げ出してしまうのだろう。そんなヒデが俺の作った模型に目を奪われた。
「これ、ゼンが作ったのか? 凄えな!」
ヒデは、作るのは苦手だが、飾って眺めるのは好きらしく、俺に作って欲しいと強請るようになったのだ。
サエとクミは、そんなヒデを呆れた目で眺めているだけだった。
しかし、四年生になって家庭科の授業が始まると態度に変化が見え始める。
「カミくん、お裁縫上手だね。ちょっと教えてくれないかな」
模型作りによって手先の器用さが上がった俺は、裁縫もお手の物だった。そんな俺に、サエが教えを請うてきたのだ。
「カミくんのお味噌汁美味しい~、何で? わたしのと何が違うの?」
俺は料理も得意だ。何故なら一人暮らしと変わらない生活で、まともな食事を取ろうと思ったら自分で作るしかなかったからだ。そんな俺の料理にクミが疑問を感じたらしい。
小学生とは言え、女性としての矜持に傷が付いたのか、サエとクミは俺を追い越そうと必死に練習した。ライバルである筈の俺に教えを請うほどに。
ヒデ?
ヒデは食べる役だ。
腹一杯食べられて満足した様子だった。
この頃になると、俺も彼らに心を開いていた。俺がまともに会話する相手は、もうこの三人だけだ。
それでも、俺は常に一歩引いた位置に立つ事を心掛けていた。別に嫌っている訳じゃないぞ。逆だ。ずっと仲良くしていたいからこそ、一歩引いていた。
ヒデ達三人は幼馴染だ。言ってしまえば、俺はそこに混ざった異物だった。
小学校も高学年になると恋愛感情を持ち始める。サエとクミは、明らかにヒデが好きだった。幼馴染と言う感情だけではない。異性として意識している。
俺としては、恋愛が原因でこの関係が崩れるのは勘弁して欲しかったのだ。それは、彼女達も同じようで、踏み込む事を躊躇っている節があった。その関係は、高校生になろうとしている今も続いている。
(俺にはサエが一歩リードしているように見えるけどな)
当たり前だが、決してそれを口に出したりはしない。クミもそれは理解していて、それでも負けたくなくて頑張っているようにも見えたしな。
(俺はクミがヒデと一緒になればいいと思っているのかね)
その理由は自分でも判らない。
天才よりも努力家を応援したくなる、判官贔屓な日本人気質と言えばそれまでだ。
(サエなら、ヒデがクミを選んでも、今の関係が続くと思ってるのかもな)
サエなら自分が選ばれなくてもクミを祝福するような気がするのだ。理由としては、この辺りが自分でも納得できるだろう。
(なら、クミにもそれができるようになるまで、今の関係を続けるのが俺の役目かもな)
当事者ではないからこそできる事、それをするのが俺の役割かもしれなかった。