01-10 月の道化師
「フィン姉とケイト姉が消息を絶った?」
「ええ、そうよ」
「そんな、一体どうしてお姉ちゃん達が!?」
ベル母様が語ったところによると、探索隊の少し後方にいた――例の因子の威圧で、他の者の傍にいられない――フィン姉とケイト姉の二人が、気付いたら行方不明になっていたそうだ。
その行方のくらまし方に不自然な点があったため、すぐに王城に連絡が入ったと言う事らしい。
「不自然な点?」
「ええ。現在、迷宮の最深部は百一階。この二十年進展がなかったせいで、そこまでの迷宮の整備はしっかりとされているわ」
つまり深部へと潜るための正解の通路には、足元を照らす照明が設置されていたりして、余程横道に逸れない限り、迷う事は無い。迷宮なのに。
にも拘らず、その行程で二人は消えた。それも地下十階と言う表層で。
迷う事はあり得ない。
責任感の強いあの二人が職務放棄するなんて事は、もっとあり得ない。
「…使徒か」
それしかないだろう。
王族の養育係、それも因子持ちが殺され、成り代わっていたくらいだ。
もっと前から、もっと大きな陰謀が仕掛けられていないと何故言える?
因子持ちを排除した上で、魔王も殺せたなら魔国は簡単に滅びるだろう。強大な戦力と言うだけじゃない、魔王は魔国の指導者でもある。
そして次代の魔王もいないとなれば、攻め滅ぼすのは容易いだろう。
もしかしたら、これも十年後への布石なのかもしれない。
「ベル母様、今は時間が惜しい。説明している暇が無いけど、俺をその場所まで連れて行ってくれないか?」
「チロ!?」
アリスが、何を言い出すのかと大声を上げる。
「あなたを迷宮に?」
ベル母様は、真意を探るかのように、俺の目を見詰めてくる。
「ふう――分かったわ」
数秒後、諦めたように、ベル母様は言った。
「但し、絶対に私から離れない事。いいわね?」
「うん、分かったよベル母様!」
よし、これでいい。今の俺なら、どんな仕掛けも看破できる筈だ。
さっきから嫌な予感がするんだ。向かうのは早ければ早い程いい。
「わ、私も行く!チロが行くなら私も行くから!」
突然、アリスがそんな事を言い出した。当然、ベル母様はそんなアリスを窘める。
「ダメよ。アリスはお留守番していなさい」
しかし、それで引き下がるくらいなら、アリスも初めから言い出したりしないだろう。
「嫌よ!何で私はダメなの!?絶対、私も行くから!」
「アリス、聞き分けの無い事を言わないで――」
「いや、一緒に行こう」
更に説得を続けようとしたベル母様の言葉を遮り、俺は言った。
「チロ!? あなたまで何を言い出すの!」
当然、ベル母様の矛先はこっちを向く。だが、別に情に絆された訳じゃない。ちゃんと理由がある。
「ベル母様、聞いてくれ。敵の狙いは因子持ちの可能性が高い。ここに一人で置いておく方が危険なんだ」
どうやって連絡を取り合っているかは知らないが、俺に正体を見破られた事を知って、一気に行動に出た可能性がある。
今は一人ひとり城内の人間を調べている時間は無い。まずは、離れ離れにならずに、一緒にいる方がいい。
「もう! 分かったわ。あとでキッチリ説明して貰いますからね?」
「うん、もちろんだよ」
当然、全部話すさ。皆には協力して貰いたいからね。
「チロ、ありがと」
アリスがおずおずと俺にお礼を言ってくる。
「いいんだ。俺も、それが一番だと思ったから」
こうして、俺達は三人で迷宮地下十階を目指す事になった。
お供が付かないのは、勿論威圧のせいだ。仮に付いて来られても速度が犠牲になるしな。
行程は早かった。整備された道は、モンスターが出る事は稀だったし、出てもベル母様が瞬殺してしまう。
強え。能力なんざ使わない。身体技能だけで倒してしまう。
これは表層だからってだけじゃないと思う。
魔族は、月の神ユスティスの眷属だ。月は精神、魔力を象徴している。故に、その眷属である魔族は、精神力、魔力に優れている。
反対に、身体を使って何かをすると言う事には向いていない。
にも拘らず、これである。
何か絡繰りがある気がするな。それ、俺にも使えないかな?
「あら、気付いたの? これは“操り人形”よ」
ベル母様のオリジナル、“操り人形”。
人間の“肉体強化”を目指して、試行錯誤の末に完成したのがコレだそうだ。肉体そのものを強化する事はできなかったが、魔力により体を“操作”する事で、反応速度と正確性が飛躍的に向上した。
自分を人形のように操る事で、疑似的に身体能力が向上したように見えるのだ。元々体を動かすことに向いていない魔族でも、反応速度と正確性が上がれば、充分に一流戦士足り得たのである。
「覚えたいのなら、これが終わったら練習してみましょう」
余程物欲しそうな顔でもしていたのだろうか。俺を見てベル母様が笑って言った。
「いいの?」
「もちろんよ」
よおおぉぉっし!頑張ろうっと。
新たな目標ができた。やる気満々である。
そして、地下十階に着いた。
ここに来るまで、おかしな所は無かった。やはり、この階に異変があるに違いない。
「さて、ここからは慎重に行くわよ」
「うん、必ず見つけるよ」
「はい」
予想はできている。恐らく、正しい道順の途中に、別の通路へと誘導する何かがあるのだろう。
問題は、それが幻覚、幻影に耐性のある因子持ちを騙せる程の何かと言う点だ。
より耐性のあるベル母様なら気付くのか?もしベル母様まで騙されるようなら、俺に気付けるのか?不安が頭を過る。
――ぎゅ
「ん?」
アリスが手を握ってきた。アリスも不安なのかな?
「大丈夫、チロならきっと大丈夫だから」
そう言ったアリスの目は、とても真摯なものだった。アリスは俺の不安を感じ取り、励ましてくれたのだろう。
やばい、くらっと来た。
俺は今まで余り人と触れ合わずに来たから、こう言う打算の無い優しさに弱い。
況してや、相手はアリスだ。狭い自分の世界に受け入れたと自覚している相手なのだ。
こんな歳の離れた――主観で――幼い子に惚れてしまいそうだった。
誰だ、チョロインって言ったのは。
「どうしたの?」
挙動不審な俺を気にして、アリスが更に声を掛けてくる。
「あ、ああ。大丈夫、頑張る」
「うん、頑張って」
何とかそう答えるだけで一杯一杯の俺に対し、百万ドルの笑顔で応援してくれるアリス。
「ふふ」
そんな俺達を見て、優しく微笑むベル母様だった。
「止まって!見つけた!ここだ!」
先を行くベル母様に、止まるように叫ぶ。
「ここなの?私にはただの壁にしか見えないわ」
「私も」
やはり、二人には判らなかったか。
ここは、本当は二股に分かれている通路だ。
幻覚――と言っても手で触れる事もできるから、違和感を覚えないのだろう。触覚まで騙されているみたいだ。
このままでは、俺は通れてもベル母様とアリスが付いて来られない。何とかして、この幻覚を壊さなければならない。
そこで、自分にできる事を考える。
ユスティスの化身になって、自分にできるようになった事。
ここは魔法だ。
今の俺は、自覚は無いが最高ランクの魔法師の筈なんだ。
フィン姉の講義で聞いた話を思い出せ。ユスティスと契約した魔法師は月を象徴する魔法も使える。月が象徴するのは精神――それに魔力。
「――“減衰する魔力”」
俺は幻覚を見せている魔力回路に魔法をかける。
これは、術者が提供した魔力の分だけ、対象の魔力を強制的に消費する魔法だ。
この幻覚が魔力によって構築されているのは間違いない。なら、この魔法で壊せるはず。何と言っても、今の俺の魔力は無限なのだから。
(――あれ?これ使えるんじゃね?)
頭の中で閃くモノがあった。これを応用できれば――
「あ、見えたわ」
「わあ、本当に通路がある」
頭の中の閃きを形にしていたら幻覚が消えたようだ。二人が声を上げた。
「良くやったわ、チロ。さあ、先を急ぎましょう」
「うん」
「はい」
今は、先を急ごう。フィン姉とケイト姉を助けるのが先だ。
そこから先は一本道だった。そりゃそうだろう。
あんな高度な幻覚を使ってまで誘き寄せた相手を迷わせる必要など無い。
幻覚で入り口を塞いでしまえば戻れないんだしな。
その先の行き止まりには扉があった。ご丁寧に鍵付きだ。
間違いなく罠も掛かっている事だろう。
「何てこと、ここまで来て…」
ベル母様の声には落胆の色が見える。
「…………」
対してアリスは、黙って俺を見ている。その目には俺に対する信頼が伺える。
「大丈夫、俺がやるよ」
アリスに言われるまでもない。ここは俺の出番だろう。
万全を期して、ここはピッキングツールを使う。時間はかけられない。
“カチャカチャカチャ…”
手早く、だが慎重に解錠を試みる。
後ろでは、ハラハラした面持ちでベル母様が見ている。
その隣では、同様にハラハラした顔でアリスが見ていた。
どうやら、信頼と心配は別物らしい。
ここで心配するな、と言っても無駄だろう。散々、城で罠解除に失敗しているところを見られているからな。
だが、あれは態となんだ。本当だぞ?
上手くいった時の事しか知らないと、いざと言う時に応用が利かなくなる。
失敗も一緒に覚える事で、より多くの経験を積めるんだよ。
成功だけの経験より、成功と失敗の経験ならば、より深く理解できるって訳さ。
しかも今は魔力が見える。
可視化された事で罠の魔力回路は丸裸だ。
俺の脳内にはすでに罠に関する魔力回路のイメージができあがっている。
その脳内にあるイメージを、実際の魔力回路とすり合わせをしながら置き換える。より完成に近付けるために。
さっきみたいに“減衰する魔力”を使って魔力回路ごと消してもいいのだが、ここは敢えて解除する。何故なら使えそうなモノを見つけたからだ。
ここを開けた先の展開を考えると、奥の手を用意した方がいいと思える。それに使える気がするのだ。
物の数分で解析は完了した。
鍵は基本三種の複合型に更に応用が加わっている。
罠は三種。機械的な毒針に魔力回路が二種類。どうやら石化と、火球等のダメージ系のようだ。ご丁寧に遅延機能まで付いてるあたり、配置の仕方が嫌らしい。だが、それも把握してしまえば問題は無い。
そして解除も、もう終わる。
魔力の可視化が無ければ倍はかかっていたところだ。便利な能力を貰ったな。
ありがとう、ユスティス。
“――ピン”
「よし、開いた」
俺の作業完了の合図にベル母様とアリスが声を上げた。
「本当に良くやったわ、チロ!帰ったら、うんと可愛がってあげる!」
ええっ!?き、期待していいんだろうか。
それは、どこまで許されるんですか、お母様。
「チロ、凄い!凄いわ、チロ!」
アリスは、そう言って抱き着いてくる。アリスが抱き着くなんて珍しい。
今までは手を握るのが精々だったのに。
うん、十年後だったら、なお嬉しかったかもしれん。
だが、浮かれるのはここまでだ。まだ俺達の目的は達成されていない。
「アリス。この鍵のこの部分、これを錬金術で外せないか?」
そう言って俺は鍵の一部分をアリスに示す。
「え、できるけど、そんなのどうするの?」
「うん、万が一のお守りにするんだ」
俺の言葉の真意が解らず首を傾げるアリス。それでも俺の言う通りにしてくれるんだから可愛いね。
「はい、これでいいの?」
「ああ、ありがとう、アリス」
俺はその破片を手の中に握り込む。
万が一のお守りだ。根拠は無いが自信はある。
最悪の事態になっても、これで何とかなる筈だ。
「じゃあ、扉を開けるよ」
そう言って扉を開ける俺に、ベル母様が呆れながら言った。
「いいけど、開けたら後は私に任せて後ろに控えているのよ?」
それは状況次第だと思います、お母様。
“ごごごごごごご――”
横引き式の扉を開けると、そこには――
大量の魔物や魔獣と、
数体の、使徒と思われる異形。
そして――
――血溜りに倒れるフィン姉とケイト姉の姿があった。
「フィン! ケイト!」
叫びながら魔物の群れに飛び込むベル母様。
「“岩よ――”」
すぐさま錬金術を使い、ベル母様をサポートするアリス。
ベル母様は強かった。
あっという間に魔物を何体も斬り倒し、フィン姉達に近付いて行く。
アリスも、そのベル母様を邪魔しようと動く魔物の動きを牽制したり、岩の壁を作り出してベル母様を守ったり、サポートに徹していた。
だが、多勢に無勢。ベル母様だけでなく、アリスにも魔物や魔獣が集まってくると、形勢は逆転した。今の動きは、明らかに使途が指示を出していた。奴らは、魔物や魔獣を使役する事までできるようだった。
そして、俺が動き出す。
俺はすでに、その場にいる全員の心を把握していた。
見てろ、全てを一気に破壊してやる。
「“精神爆裂”!」
俺は広範囲に渡り、能力を解放した。全ての使徒、それに魔物と魔獣の心を破壊し尽くす。
戦いは一瞬で終わった。
――そして、夥しい数の精神が俺を襲う。
破壊した大量の心が、そのまま俺への攻撃となって圧し掛かる。
――やっぱり、耐えられなかったか
たった一体の使徒の心を破壊しただけで、嘔吐寸前まで追い込まれたんだ。
数え切れない程大勢の心を壊せば、自分もただでは済まない事は予想できていた。
ほんの僅かな抵抗すら出来ずに俺の意識は闇に落ちた。
『どうやら、かなり覚醒が進んだみたいだね。“道化”にして“切り札”、その名は“月の道化師”か…うん、かっこいいね』
うお!いきなり声掛けるんじゃねえよ、吃驚するだろうが。
なんだよ、“月の道化師”って。
『君の名前。コードネーム。かっこいいでしょ?』
化身じゃなかったのかよ!やっぱり道化扱いかよ!色々酷えな!
『じゃあ“月の化身”にするかい?』
そっちのがダセえよ!
いいよ、月の道化師で。
『それにしても無茶するね。失敗したらどうするつもりだったんだい?』
「無茶は承知の上だ。それに自信はあったぞ。根拠は無いけどな」
どうやら、万が一のお守りはキチンと仕事してくれたみたいだ。
よかったよかった。
俺が危惧していたのは、多勢に無勢だった。まさに、あの場面を恐れていたのだ。
たった三人で二人を守りながら、敵に囲まれてしまう事。
どれだけベル母様とアリスの腕が立っても、じり貧になるのは確実だった。
彼女達を守り、かつ全ての敵を倒せるのは、俺の“精神爆裂”だけだろう。
だから使った。俺の心が壊れるのも覚悟の上で。
だけど、俺は死ねない。無力な生きる屍になる気もない。
だから俺の心が壊れた後、治るように細工しておいたんだ。
『まさか敵の用意した罠を利用するとは恐れ入ったよ』
「ああ、即席だったけど、上手くいったようでよかったわ」
そう。
俺は、あの扉の鍵に仕組まれた罠――遅延回路を利用して“精神治癒”が遅れて発動するようにしておいたのだ。
城で“精神破壊”を使った時、反動が襲ってくるまでに数瞬間があった。その間に“精神治癒”を遅延回路に流せば、心が壊れた後でも治せると踏んだ。
いきなりのアイデアだったけど、きっと上手くいくと勘が囁いていた。
恐らく、罠――その一部――だったのが良かったんじゃないかな。培った勘と経験が働いたんだと思う。
『そろそろ目を覚ました方がいいんじゃない?家族を安心させてあげるといい』
「――あ。そうだな、そうするわ」
ベル母様は心配してるだろう。アリスなんて泣いてるかもしれん。
『君は僕の化身になったけど、君は君だ。僕になる必要はないよ』
戻ろうとしたら、ユスティスが話しかけて来た。
「あたりまえだろ、何言ってんだ?」
『うん、それが判っているならいいんだ』
何だよ、変な奴だな。
『君は僕の初めての化身だからね。つい、気になっちゃうんだよ』
「人…神によっちゃあ、何人も持っていたりするのか?」
『そんな事は無いよ。化身を持つのは自分の身を削るのと同義だからね、多くても二、三じゃないかな』
身を削る…?
『自分の力を分け与えるんだ。当然でしょ?お陰で眠くて仕方がないよ』
眠いって…意地悪で言ってたんじゃなかったのか。
『恩に着せるつもりはないから安心してね。君は君の思った通りにすればいいよ』
「…ユスティス」
ありがとう。
「チロ!?」
目が覚めたらアリスの顔が目の前にあった。
「おはよう、アリス」
「う…う…うわあああぁぁん!」
泣きながらアリスが抱き着いてきた。
「心配かけたな、よしよし」
俺はアリスの背中をぽんぽんと叩きながら宥める。
「チロ」
「ベル母様」
何故だろう、ベル母様が凄く怖い顔をしている。
「城に帰ったらお説教よ。覚悟しておきなさい」
「げ」
あ、それよりも二人はどうなったんだ?
「ベル母様、フィン姉とケイト姉は!?」
「ケイトは重傷だったけど、魔法で治したから心配いらないわ。フィンは恐らく魔力が枯れるまで障壁を張ってたんでしょうね。魔力枯渇で気絶しているだけよ」
ベル母様は魔王だ。ユスティスの言葉通りなら、きっと魔法師としても優秀に違いない。
ついでに良い事聞いたぞ。魔力が枯渇すると気絶するのか。
さっきの閃きが、より鮮明な形になる。
“減衰する魔力”は非生命体――無機物に作用する魔法だ。
魔力回路の組み込まれた魔道具や罠に効果を発揮すると言った具合に。
これを生命体に使えたなら――
うん、色々面白い事ができそうだ。
これからの修行が楽しみになって来た。
※ 「”」が抜けていたのを修正。