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ホームルーム前

作中にサーモグラフィが登場しますが、科学的な根拠はありません。

 ――夜の廃校は、雨の匂いがした。

 番を求めるホタルのように、懐中電灯の小さな光が廊下のあちらこちらを彷徨う。あながち間違ってはいない、と青年は口の端を持ち上げて笑む。自嘲の吐息が鼻を抜けていく。狂おしい焦燥感に追われて、こんなところ――二十年前に閉鎖された高校の跡地――までやって来たのだから。

 カッ(カッ)、カッ(カッ)、カッ(カッ)、カッ(カッ)、リノリウムの床を革靴が叩くたび、半拍遅れて木霊が響く。誰かに見られているような、尾行()けられているような、そんな不安を煽る音響効果(サウンド・エフェクト)。まさに怪談捜しにうってつけの夜だった。

 ピピピ、青年の手にする放射温度計が何かを見つけて囀った。忙しなく飛び回る懐中電灯の光が、「1-7」と書かれた室名札を捉える。コンコン、と二度ノックをして、返事を待つことなく青年は扉を開けた。


 ガラガラガラ――スライド式の扉がまるで、待ちかねていたかのようにするりともう一枚と重なり、経年変化や錆による歪みを感じないことに青年は、内心嘆息を漏らす。肝試しにと子どもたちが日参していたのだろうかと思いかけて、いや、そうではないと思い直す。鼻先を一瞬、日なたの匂いが掠めた。

 見れば、照らされる板張りの床も机も埃一つなく拭きあげられている。

 まるで、これからホームルームが始まる前であるかのように。

 しんと張りつめた教室の静謐のなかで青年は、机にただ一人向かい合う少女を見た。黒い髪をまっすぐ肩まで下ろした、どこにでもいるような女子生徒であった。飾り気のない紺色のセーラー服に、膝上丈のプリーツスカート、ふくらはぎから下を覆う紺色のハイソックスに、爪先が赤く、それ以外は白い上靴。予習に励む真面目な生徒のように、彼女は身じろぎもせず黒板を見つめていた。

 キュ、キュ、数歩ごとに床を軋ませながら、青年は少女に近づいた。窓際から二列目の、後ろから三つめの席。その隣に立ち止まると、微かにフローラルの香りが立ちのぼった。整髪剤か制汗剤か香水か、思春期の少女らしい甘い香りだ。

 前髪が陰を強めて少女の瞳は覗けない。顔の下半分は白いマスクで覆われている。その黒髪を梳くようにすっと右手を差し入れ、青年は少女のマスクを取り去った。


 マスクの下は、赤かった。


 そのときになって初めて青年の存在に気づいたかのように、少女がゆるりとこちらを見遣った。軽く首を傾げた少女の口元を、青年は見つめる。

 少女の言葉を封じる赤い紗は、かつては胸元を飾るスカーフだったのかもしれない。その枷を自ら説いて、語ってはくれないか。怪異を目の当たりにしても青年の好奇心はまだ収まってはいなかった。

 青年の想いを見透かしたように少女は首を横に振った。そこには確かに否定の意志が込められている。それでも、伸びてきた青年の手を拒むことはなかった。


――声を、出すのは、久しぶり。もう、口を開くことは、ないと、思っていたから。

 ぽつり、ぽつりと言葉を押し出す彼女の瞳には、諦めと恐怖が宿っていた。

「悪いね、でも」

 きみの怪談(はなし)を聞かせてくれないか。その言葉を掬い上げた少女の瞳に昏い炎が灯ったのを、青年は確かに見た。それは、狂おしいほどの渇望であった。



 少女は、語り始めた。


次回から本編となり、若干テイスト変わる予定です。

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