2-1
チチチッと鳥の声が聞こえてきて、金星はゆっくりと目を開ける。のろのろ起き上がると、白いシーツがぼんやり見えてきた。
「あ、もう朝なんですね」
カーテンの隙間から侵入した光は、くっきりとした朝の色だ。
金星はうぅーんと両手を上げて大きく伸びをした。すると、小さな砂がぱらぱらと砂時計みたいに布団の上にこぼれ落ちる。
(あれ?)
そこで金星は普段着のまま、髪も束ねたまま寝ていたのに気づいた。同時に、昨日のことを思い出す。
(そうだ! わ、わたしったら、あのままレイン先輩の背中で眠っちゃったんだ)
今更ながら恥ずかしさが生まれる。顔を合わせたら何て言おう?
足音を忍ばせて、木の階段を下りた。しかし、レインの姿はない。おそらく隣の厩舎だろう。金星は、彼が来ない間に手早く裏で水浴びして清潔な服に着替えると、おたまを片手に台所に立った。
スープを作る鍋を用意していると、りぃーん、と玄関先でチャイムが鳴る。
「はーい。ちょっと待ってください」
台所をそのままにして、ノブに手をかける。そこで、はっと手を止めた。
レインがわざわざ、チャイムなど鳴らすだろうか。
「ど、どなたですか?」
「俺様だ」
「え? あの、俺様さん? えっと、困ったことにわたし、居留守使えって言われているんですけど……」
扉の向こうで、小さく舌打ちの音がした。
「両手がふさがっているんだから、早く開けろ。レインが何を言ったかしらんが、ここでは俺様がリーダーなんだから、俺様のいう事を聞け」
レインの知り合いという事なら、別に入れても構わないだろう。
扉の前に立っていたのは、癖のある褪せた金髪を後ろで適当にまとめた、三十代の男性だ。垂れ気味の目は黒で、極東の島国の民族衣装を着ている。彼の両手にかかえられた大きな紙袋には、野菜や砂糖や塩といった調味料が入っていた。
「よう新人。今回は何人がリタイアした?」
挨拶代わりに、アルベルトと同じようなことを聞いてくる。慌てて答えようとした金星の横を通り抜けて、男性は慣れた足取りで台所に向かう。
「俺様はウンリュウ・タチバナ。で、そっちのちっこいのが、ここの責任者のフィアだ」
「そっち……?」
目を向けると、十歳くらいの少女が山のような本を抱えて立っていた。月を混ぜたような金色の髪は、ゆるやかに波打って背中を流れる。硝子玉みたいな青い瞳は気だるげに正面を見ていた。表情の抜け落ちた顔はどこか人形を連想させる。それも、貴族が持つようなとびっきり豪華な人形だ。
フィアと呼ばれた少女は金星をじっと見て、ふん、と軽く鼻を鳴らして、そのまま廊下を奥へ行った。彼女は書斎の扉を開ける。
「新人、早く来いよぉ!」
呼びかける太い声に、我に返った金星は「はーい」と返事して台所へ駆け込んだ。
ウンリュウに食器の準備をしてもらい、日課となった朝食の支度を始める。フィアは食事をしないらしいので用意するのは三人分だ。
出来上がった料理を食べ始めたあたりで、レインが帰ってきた。彼は、椅子に座るウンリュウの姿を見て嫌そうに顔をしかめ、持っていた卵と野菜を床に置く。
「野菜なら、ナイスな俺様が買ってきたやったぞ。無駄足だったな」
なぜか得意そうなウンリュウを無視して席に座る。金星は木苺ジャムをつけた山羊のチーズを舌の上で転がしながら、二人の様子を観察する。
「いや~、都市はやっぱ活気があってよかったぜ。こことは大違いだ」
ウンリュウはかきたまのスープを豪快にかっ込むと、気楽そうに笑った。
「そういや、今回の新人はまさか一人なんてな。そのうち、フロスベルは廃地になるんじゃねえ? って、そんじゃ密猟者のオンパレードだからないか? いやいや、いくら密猟者でもあの土地を見たら裸足で逃げだすか、逃げ出す前に死ぬな」
「……今年も用意できたのか?」
「ほんと、フロスベルは困った土地だが、金星はやめるなよ。せっかく、料理が上手い女の子が来たんだから逃したくないぜ。金星がいなくなったら、おっさん悲しくて死んじゃうから、俺様の命が惜しければやめちゃいけないぞ?」
「は、はあ……」
微妙にやる気のない声で告げられる脅しっぽい懇願に、曖昧に返事する。ウンリュウはフロスベルの拠点の見張り手でリーダーだというが、着流しの服は仕事に不向きで、とてもリーダーには見えなかった。
「おい」
食事を平らげて机に突っ伏したウンリュウに、不機嫌そうな声が降ってくる。
「銀の器は人数分用意できたのか? それを買いに行ったんだろう」
「焦るなって。そんな怖い顔をしちゃ、せっかくのイケメンが台無しだぜ?」
「色々と台無しな男に言われたくない」
「……なーんか、酷くね? 金星はどう思うよ?」
「え? えっと……」
急に話を振られて困ってしまう。なんとなくレインを見ると、いつもより渋面でウンリュウへ目を向けている。
「あの、それより銀の器ってなんですか?」
レインに助け船を出すことにした。ウンリュウはつまらなさそうに顔を上げた。
「わかったよ。説明しりゃいいんだろ。銀の器はばっちり用意できた。フィアがついてんだし、当然だろ? で、今年も一週間後に精霊祭だ」
「精霊祭?」
目を丸くする金星に、ウンリュウは楽しそうに笑う。
「そう。一年に一度だけ行われる、精霊を解放しての大騒ぎだぜ」
当然、新人にも手伝ってもらうぜという彼に、金星はよくわからないながらも、真剣な表情で頷いたのだった。