エピローグⅡ
一ヶ月と数週間、不在にしていたフロスベル保護区は、守りこそ完璧だったが、中は荒れて幻獣にとって過ごしやすい場所ではないところもあって、金星達は整備するのに何週間かを要した。
その日も仕事を終え、屋敷へと向かった。夕方とはいえずいぶんと明るく、遠くの様子まで良く見える。
ふと振り返った先の、柵の向こうのフロスベル保護区の木々は、青々と茂っていたが、秋になればまた鮮やかに色づくのだろう。
夏が終わろうとしている。
こちらに近づく人影が見えて、金星は足を止めた。
「レイン先輩、何かお手伝いすることはありそうですか?」
声をかけると、レインは立ち止まった。
少し考え込むようにしてから首を振る。
「いや、特にないな。夏は、フロスベルでもっとも忙しくない季節だ」
だから、グレイブレストの緊急要請にも答えられたわけだ。
「もうすぐ秋になりますよね。秋のフロスベルはどんな感じですか?」
レインは保護区のほうへと目を向ける。
乾いた風は、まだ夏の暖かさを含んでいた。
「秋は実りの季節だ。保護区でも生き物が多く目撃される。今までよりも忙しくなるだろう」
「大変ですね、それは……。頑張ります」
ちらりと伺ったレインの横顔は、やはりあの愛想がよかった青年と似ている気がする。
金星は思ったままを口に出していた。
「そう言えば、グレイブレストで先輩に似た人を見かけました。性格はまったく似ていませんでしたが、なんとなくぱっと見の印象が……同郷の人なのかも知れませんね。レイン先輩は、中央の人なんですか?」
特に考えなしの質問だったから、怪訝そうに思われるかもしれない。
だが、レインは真剣な顔で金星を見つめた。
「何か、聞かれたのか?」
「え?」
とっさには意味が飲み込めなくて疑問の声をあげたが、レインは表情を消して背を向けた。
「いや。何でもない」
足早に去るレインを、金星は見送った。
聞かれた、とはあの青年にだろうか。
新聞記者だと言っていたが、特にたいしたことは聞かれなかったような気がする。
質問の意図が飲み込めないまま、金星はレインの背中を見つめていた。
どれくらい、そうしていただろう。
「おーい。さっきから呼んでるんだぞっ!」
声の先に視線を向けると、エコーが浮いていた。忙しくて会えていなかったから、ずいぶん久しぶりだ。
唐突すぎて驚いたが、金星は気を取り直してにっこりと笑いかけた。
「エコーさん、グレイブレストでは手伝ってくれて、ありがとうございました」
礼を言うと、エコーは得意げに指を振った。
「まあな! 火精霊は頭が固くて頑固だけど、悪い奴じゃないからな。オレが仲を取り持ったら、ちょちょいのちょいだぜ!」
グレイブレストの件が無事に解決できたのは、エコーやみんなの頑張りがあったからだ。
ありがたく思いながらエコーを見ていると、得意そうだった顔が、不意に真面目な表情になる。
エコーが口を開いた。
「今日は、別れの挨拶に来たんだぜ」
さっぱりとした口調で言われて、金星は目を瞬かせた。
どこがどうなって、別れの挨拶になるのだろう。
「え? わたしは、どこにも行く予定はありませんよ?」
考えてもわからないので聞いてみると、エコーは呆れたような顔になる。
「おまえじゃなくて、オレだよ。ちょっと見聞を広げようと思ってな。しばらく旅に出るんだぜ」
あっさりと告げられて、金星は一瞬、言葉に詰まる。
旅に出る、のは構わないかもしれないが、一精霊だけで知らない場所に向かうのは、危険ではないだろうか。エコーの戦闘力がどれくらいあるかはわからないが、ハンターのような人間がいないともかぎらない。
金星は不安のままに問いかける。
「……あの、危険じゃないですか? 悪い人間がいるかもしれませんし」
応援したい気持ちもあるが、心配なのが主だった。
エコーはそれほど危険については気になっていないようだ。
「大丈夫だって。あいつらだって、色んな世界を見たいだろうし、オレも見てみたい。折角の機会だからって言って、管理者さまの許可も取ったんだぜ?」
フィアが大丈夫だと判断したなら、大丈夫なのだろう。
気になる、といえば気になるが、止めてもエコーは旅に出る選択を改めないだろう。
それがわかっていたので、金星は黙って見送ることにした。
「……そうなのですか。寂しくなりますね」
エコーは悪戯っぽい笑みを金星に向ける。
「いや、騒がしくなるぜ。秋には、水精霊の奴らがフロスベルの街に滞在するみたいだし」
一つの地に長くいる精霊は少ない。
グレイブレストの火精霊のように、人の世で人に手を貸して暮らしている精霊は珍しく、大抵の精霊は一時期しか人間の世界に来られない。
精霊は気まぐれで悪戯好きで人間界も妖精界も手を焼いている。彼らに対するスタンスは地域によって様々だ。フロスベルでは精霊を封じているが、グレイブレストでは火精霊と共存している。アクアニドルに住む水精霊は、季節ごとに街を巡っていた。
水精霊は毎年の秋をフロスベルで過ごすようで、それならば賑やかになるかも知れないが、やはり、一抹の寂しさはぬぐえなかった。
金星はエコーをじっと見る。
「エコーさんがいないのは、寂しいですよ」
そう告げると、エコーは面食らったように目を丸くして、顔をそらした。
少し間が空き。
振り向いたエコーは自信満々の笑顔だった。
「まっ、お土産持ってきてやるよ! 期待して待ってて大丈夫だぜ」
金星もにっこりと笑いかける。
「それは楽しみです。エコーさん、楽しい旅を満喫してくださいね」
「おうよ! あー、そうだ。水精霊は騒がしくて口うるさいけど、楽しいことが大好きだから、相手してて疲れたら大人数で遊べる玩具でも渡してくれよ。あいつら、勝手に遊ぶから」
「はい。何か探しておきますね」
見送って、きっとまた、元気な姿で帰ってきてくれるはずだ。
じゃあな、と手を振って去って行くエコーを見送ってから、金星は落ちかけた赤い日を見つめた。間もなく一日が終わり、夜が訪れて。
そしてまた明日が来る。
出会い、別れ、また出会うであろう、明日が来るのだ。




