1-7
「眠っちゃったみたいだね」
アルベルトが穏やかさを含ませた声で、レインの背中にいる少女を見た。
「そうだな」
歩きながら適当な相槌を打つと、アルベルトは肩をすくめた。
「レインって、なんかオレのこと、うるさくてうっとうしいやつだなって思ってない?」
「少しは」
「だよねえ。うるさいついでに聞きたいんだけどさ、なんで金星ちゃんをアンクタリアにつれて行ってあげないんだ?」
「去年の奴らは、アンクタリアに行ったが最後、三日としないで全員が帰った。だから」
「それは知ってるけどさ。金星ちゃんは、大丈夫だと思うよ。ちょっとくらい仕事させてあげても――」
「話を聞け。だから、先に知識を持たせることにしたんだ」
金星を起こさないように、二人とも声を潜めている。日の沈んだ湿原で、カンテラ片手に密談する二人の男は、怪しいというよりどこか滑稽に映った。
「知識?」
「ああ。書き取りをさせれば、嫌でも覚えるだろう?」
拠点の先のリーダーが亡くなってから四年。入ってきた新人保護官たちは、現地の見回り後に例外なくすぐやめてきた。レインとて、対策を練らないわけにはいかない。
「別に、意味のない書き取りをしろとは言ってない。こいつに写させているのは、アンクタリアに生息する生物の図鑑だ」
先に危険を知っておけば、本番でもそれほど恐れないだろう。名案だと思ったが、アルベルトは頭痛がするように頭を抱えていた。
「レインって、馬鹿じゃないけど馬鹿なところがあるな」
「それは遠まわしに喧嘩を売っているのか?」
アルベルトが、右手で柵の扉を抑えながら大仰に首をすくめて苦笑する。そうすると、年も背丈もレインより高い彼が、年下の悪餓鬼みたいに思えた。
「金星ちゃんは文字が読めないんだよ。残念ながら。だから、意味の分からない本をどれだけ写したって、無駄だと思うよ」
「西言語がわからないのか?」
「そう。てか、名前が東大陸の人間じゃん。その時点で、確認しようよ」
いまさらな指摘に、レインは苦虫を十匹くらい噛みつぶしたような表情になった。全く想定しなかった自分に腹が立つ。
「……アル。お前なら、まったく無駄な事を一週間もやらされたら、怒って出ていくか?」
恐る恐る尋ねてみる。複雑な思いで、背中の体温とすぅ~、と気持ちよさそうな寝息を感じていた。今年の新人は彼女一人だ、やめられたら、少々悲しい。
「うーん、どうだろうな。でも、金星ちゃんは大丈夫だと思うよ。癒し手の力を使った時、本当に、慈しむような音色を奏でたんだ」
オカリナの音色はレインの耳にも聞こえていた。どこか壊れそうな硝子のような繊細な音楽は、昼の空気にほんのりと夜の気配を漂わせた。明るくて、賑やかで、しかし宵闇の時間を感じさせる音色。それが届いたから、彼らがアンクタリアへ来ていることを知ったのだ。
「そうか。……そうかもな」
春の夜は穏やかさをはらんでいる。静かな空気で草原を満たし、彼らの頭上では、満天の星たちが落ちてきそうなくらい輝いていた。