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胸騒ぎがしたが、深く考える前に、何者かが近づく気配がした。
暗闇の向こうから、キャンドルランタンの明かりが見える。
右手にキャンドルランタンを持って、先を照らしながらこちらへ歩いてくるのは、十歳くらいの男の子のようだった。男の子はどこも見ていないような暗い目をしており、左手で抱きかかえるようにしてサラマンダーを捕まえている。
サラマンダーの尾の弱々しい炎は、熱で男の子を傷つけないようにするためか、ぴんと伸ばして男の子から話している。サラマンダーの右足にはまだ塞がりきっていない傷があった。
カルデラが警戒するように男の子を睨み付ける。
「誰だおまえ!!」
「あの、グレイブレストの街の子ですよね。サラマンダーを、渡してくれませんか?」
話しかけても男の子は何の反応も示さなかった。ただ人がいることはわかっているのか、立ち止まってその場に待機しているようだった。
無理に近づくと、奥に逃げてしまう可能性もある。
カルデラは男の子と金星達を交互に見た。
「なあ、子どもが犯人だったのか? 嘘だろ?」
「この子は悪い人に操られているだけです。黒幕はグレイブレストに最近来たらしい、医者の助手です」
「……そいつが、サラマンダー様を狙っているのか?」
「ええ、おそらくは」
「その子は操られてるだけだろ。なんとか出来ないのか?」
ゼノは男の子の動きに注意しつつも、さすがに手を出すわけには行かず、どうしようか迷っているようだった。
手荒なまねはしたくない。
「どうしましょう?」
金星達が迷っている間に、男の子はこちら側へ歩いてきた。だが、こちらを一瞥もすることなく洞窟の入り口へと向かう。無理に引き留めると争いになるかも知れないし、かといって放っておくわけにはいかず、金星は男の子を追いかけた。ゼノとカルデラも金星に倣った。
明るい日差しが差し込んできて、洞窟の入り口から外に出る。
と同時に男の子の手からカンテラが落ちた。
そしてサラマンダーも解放されて、地面に着地する。
きょろきょろと辺りを見回す男の子の表情は困惑していて、先ほどとは様子が違った。 彼は町医者の助手に操られていた間の記憶がないようだった。
他の子どもも洞窟の奥にいるのだろうか。それにレインからの合図も気にはなったが、先にやらなければならないことがあった。
「ゼノさん、あの子をお願いします」
金星は幻獣保護官である以上、自分の役目を果たさないといけない。怪我をしたサラマンダーに近づいて、オカリナを手に彼の傍にしゃがみ込んだ。
ゼノは男の子に話しかけている。
「グレイブレストに住んでる子どもだろ。なんで、ここにいるか思い出せるか?」
「……ううん。家で寝ていた、から」
「親が探してるから、とりあえず帰るか。俺が送っていくから安心しな」
目線を子どもに合わせて話しかけているゼノを横目に、金星はオカリナを口につけて音楽を奏でる。右足の傷が治るように、この小さく偉大な生き物を助けて欲しいと願いながら。
サラマンダーの体が白い光に包まれた。ほっとした金星だったが、怪我は治りきっていないようだった。傷は思ったよりも深く、一度の音では癒やしきれない。
もう一度、演奏しようとオカリナを構えたところだった。
「君達、大丈夫だったかい?」
視線を向けると、自警団のレオポートが驚いたような顔で駆け寄ってきた。
「レオポートさん、どうしてここに?」
「子ども達を探して山狩りをしているんだ。本当に、彼らが子ども達を攫っていたとは思わなかったがね」
敵意の眼差しでカルデラを睨んだので、金星は慌てて首を振る。
「あ、違うんです。色々と事情があって」
同意を求めるためにゼノへと視線を送ると、ゼノは口を開きかけてから、驚いた顔になった。
「危ない!」
金星の背後で風が揺れて、振り返った先でレオポートが腰に下げた剣を振り下ろしていた。切っ先の下に先ほどまでいたサラマンダーが、ゼノの声に反応したのか無事なほうの足を使って飛び退いていた。
何が起こったのかわからないまま、金星はとっさにサラマンダーを抱き上げてレオポートから距離を取る。
彼もまた、町医者の助手によって操られているのだろうか。
だが、子ども達と違って、大人を暗示にかけることは難しいように思う。
土を踏む音がして、背の高い男が姿を現した。
「レオポートなら顔を見られていないから簡単に仕留められると思ったが。俺が出るしかないか」
片目にモノクルをつけた男は優しげな顔立ちだったが、表情は驚くほど冷たかった。男の子がきょとんとしてから、不安そうに男を見る。
「先生?」
町医者の助手であり幻獣ハンターでもある男は、男の子を一瞥してからゼノとカルデラ、それから金星とサラマンダーへと目をやった。
「ご苦労だったなリク。火精霊もひとりならどうとでもなるだろう」
幻獣ハンターがここにいる。
それも一人ではなく、二人。
レオポートと町医者の助手が手を組んでサラマンダーを狙っているのだろうか。
「……二人とも、幻獣ハンターですか?」
金星は敵は一人で、助手だけだと思っていた。レオポートは子ども達を心配していたし、黒幕に手を貸しているとは考えづらいが、演技だったのかも知れない。
ゼノは敵意の表情をレオポートに向けていた。
「武器を横流ししていたとしたら、街の人間だ。町医者が最近来たって言ったが、武器はそれより前から何だろ? あんたが、流していたのか?」
レオポートは自警団の時に見せたような真面目な表情のままだった。
優しげの中に冷たさがあるハンターとは違い、悪意も後ろめたさもない。
ただ吐き捨てるように言った。
「あんなくだらないもの、役に立つならそれでいいだろう」
「なんだと?」
「ただ作って、ただ壊して、なんの意味がある? そんな下らない形だけの伝統なんて終われば良い」
ゼノが口を開きかけたところで、大げさなため息が聞こえた。
「そういう話は後でいくらでもしてくれ。さて、大人しく幻獣を渡せばお前らの命は見逃してやろう」
ボウガンを向けられて金星は体を硬くしたが、はい渡しますと言うわけには行かない。
カルデラが小さな手の中に炎を生み出してハンターを睨む。
「それはこっちのセリフだ! さっさと引き下がらないと痛い目に合うぞ!」
敵は二人。生み出せる炎は一つ。ゼノも金星も実戦の経験はない。守らねばならないサラマンダーと男の子がいる。となると、無傷で事態を打破するのは難しい気がする。
先ほどの、レインからの合図はハンターがここに近づいていることを教えてくれたのだろうか。だが、それならばレインは動けない状況なのか、合流できない理由があるのか、金星には判断できない。
カルデラは二人を相手にするつもりのようだが、ハンターは鼻で笑った。
「人を殺した精霊が普通に生きていけると思うのか? 俺達と違って、群れないと生きられない弱い生き物が」
人と精霊、人と妖精、は表向きは上手く共存できている。だが、それは少しの問題で危うくなるような、繊細な関係だった。人は、人を殺した精霊と妖精を許さないし、精霊と妖精もまた、同族を殺した人間を許さない。
だが、精霊と妖精は手を汚すのを嫌い、殺害者を手にかけるのではなく罪の印を入れて追放する。
追放された彼らが生きていくのは難しかった。
一方のハンターは、捕らわれて裁判にかけられるだろうが、よほどの証拠がない限り厳しくは裁けない。
「それに、その火の量なら簡単に躱せる」
カルデラは炎を消さないまま、だが手出しもできずにハンターを睨んでいた。




