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辺境の村の幻獣保護官  作者: 和花
第三章 見習い保護官と火精霊
67/82

3-4

 精霊の扉、それ事態が意思を持っているのか、金星は歩きながらどこからか視線を感じた。監視するような視線ではなく、些細なものを眺めるような気まぐれな気配だった。

 地中にも似た道は、意外にも風通しが良く、時々潮のにおいや森の木々のにおいがした。フィアは迷いない足取りで進み、金星は最初は怖々と進んでいたのだが、しだいに好奇心が勝ってきた。この場所は、いったいどこなのだろう。本当に穴の底、というわけではあるまい。精霊世界か、どこかなのだろうか。だが、精霊の世界の存在はおとぎ話と言われており、あまり信じられていない。はてさて、この場所は実在するのか異世界なのか。

 前を歩くフィアが立ち止まって、金星は危うくぶつかりそうになった。余裕を持って止まれたのだが、気配からフィアが察したのか、怪訝な視線を向けてから、あきれた表情になる。

 それから彼女は腕をすっと伸ばし、壁に手をやった。

「さて、ここだ」

 フィアが触れた壁が湖面のように揺らぐ。それは壁ではなく、通路となっているようだった。不思議に思って目を瞬かせる金星の後ろで、リネットが小さく声を上げた。

 彼女は壁に手をついており、そこも湖面のように揺らいでいる。

「手をついたら、扉が現れるんですの?」

 妖精の持つ能力というわけではなく、人の手でも扉を出現させられるらしい。

 フィアがリネットを一瞥し、それから自分が作り出した扉をくぐった。

「少しでも位置がずれていると、妙な場所に飛ばされることになる」

 忠告の言葉に、リネットは壁から離れる。

 それから三人もフィアの後を追った。

 先ほどまでのどこか作られた薄暗い光で満たされた空間とはちがう、自然の強烈な光があふれている。

 本棚に本があふれ、床にいくつもの本の山が積まれている書斎。窓の外から見える風景は、一面の草原で、遠くに柵が広がり、その向こうにうっそうとした森が見える。

「うわぁー、ほんとにフロスベルなんですね!」

 見慣れた風景に、金星は懐かしい気分になった。窓を開けて空気を吸い込むと、澄んだ気持ちになる。少しの間離れていただけなのに懐かしく、金星はいつの間にかフロスベルが帰る場所になっていたことに気づく。

 胸を張ってここへ戻ってくるためにも、グレイブレストの問題をしっかりと解決したい。

 書斎から廊下に出たところで、レインが口を開く。

「金星、俺がアルに会ってくる間に用意してもらいたい物がある。頼めるか?」

「わかりました。レイン先輩は、アルベルトさんに用があるんですね」

「ああ。ウンリュウにも手伝ってもらってくれ。それで、そちらはどうするんだ?」

 とレインが視線を向けたのはリネット。彼女は乾いた口調で答える。

「わたくしは、金星の観察をしますわ。貴方はどうぞ、鷹の目と密談でも何でもしてくださいませ」

 リネットはあまりアルベルトのことを良く思っていないらしい。何かしら言おうと口を開きかけた金星だが、何を言うべきかわからず口を閉じる。もどかしい思いが胸に募った。

 レインは軽くメモ書きした紙を金星に渡す。

「必要なのはこれだ」

「あ、わかりました。けっこう多いんですね」

 足早に去るレインを見送って、金星はリネットへと向き直る。

 リネットはメモをのぞき込んで、いぶかしげに眉をひそめていた。

 金星は首をかしげる。

「何かおかしいことでも書いていますか?」

「おかしいこと……って、貴女ねえ、食料と書物と名前も聞いたことのない花、黒塗りの器よ? これがおかしくなくて、なにがおかしいって言うの?」

「わたし、西方の文字は苦手で……食料はわかるんですが、器も書いているんですか?」

「貴女、まさか読めないの?」

「はい」

 リネットが大げさにため息をつく。

「呆れた。それじゃ、わたくしが読みますから、メモしなさいな」

「ありがとうございます!」

 リネットの好意に甘え、メモしていく。フィアは二人の様子を興味なさそうに一瞥して、書物を手に壁へもたれかかった。

「この部屋にもいくつかある。探すならば、探すと良い」

「あの、手伝ってくれたりとかは……」

 少しだけ期待を含んで聞いてみたが、フィアは嘲笑して視線をページに落とした。

「聞くだけ無駄な質問はやめておけ」

 これなら二人でも十分できるとの判断だろう。甘えるのも悪いと、金星は考え直した。食料に日常品に書物にと様々な種類の物が書かれているので、あちこち動き回らないといけないだろう。

 リネットはメモを片手に、開いたままの扉から部屋を後にする。

「わたくしは食材を探しますわ」

「あ、よろしくお願いします!」

 金星は食料以外の物から集めることにした。



 メモされた物を半数ほど用意し終え、倉庫へと向かった金星は、台所近くを通った時にリネットの声を聞いて足を止めた。

「で、リーダーさん、いい加減、白状するとどうですの?」

 覗いてみると、腰に手を当てて仁王立ちしたリネットが、椅子にもたれかかりながら地方紙を読むウンリュウを見下ろしている。

 ウンリュウは面倒くさそうに顔を上げて、それからまた視線を地方紙へ戻す。

「あん? なんだ、蜂蜜の置き場所なら教えただろ。床下の保管庫だ」

「そんな話はしていませんわ」

「無駄口叩いてねえで、やることやって鉱山の街に戻りゃいいだろ。俺様は忙しいんだよ」

 だらだらとした動作で地方紙を読んでいるウンリュウは、金星から見てもあまり忙しそうにも見えなかった。が、本人が忙しいと言うならば、そうなのかもしれない。

「あら、保護区域にも入らない見張り手が、どう忙しいんですの? どうせ街に行っても、遊ぶだけなのでしょう。そんなのがリーダーなんて、五年前に大勢いた保護管がやめるのも無理ありませんわ」

 金星も早く用意をする必要があったのでそっと部屋を離れようとしたのだが、リネットの皮肉にまた足を止めた。

 かつて、この保護区で大勢の幻獣保護官が働いていたと耳にした。五年、という長いようで短く、だが、何かが変化するには十分な年月が過ぎ、金星の知る今の保護区になったのという。

 かつて、ここで働いていた人たちは、どうしてやめてしまったのだろう。

 ウンリュウやレインがここへとどまっているのは、なぜだろう。

 フロスベル保護区でいったい、五年前に何があったのか。

 ウンリュウは今度はリネットへ視線を向けなかった。

「蜂蜜は床下の保管庫、砂糖は戸棚の下だ」

 そっけない物言いに、リネットは皮肉な笑みを深めた。

「五年前とは、管理者の妖精も違いますわね。前の管理者は成長しきった大人の女性の妖精で、子供の姿はしていませんでしたわ。リーダーも管理者も、未熟者なんですのね」

「…………」

「前のリーダーは、資料ではジャックと書かれていましたわ。癒やし手のリーダーなんて、珍しいですのね。彼はやめたんですの? どうして貴方が、リーダーですの?」

 聞くのは悪い、そう思いながら、動けずにいる。

 リネットは淡々と語り、ウンリュウは無言で地方紙へと目をやる。だが、彼が地方紙を読んでいないのは傍目からも明らかだった。

「わたくし、グレイブレストで調べてみましたわ。ジャックは精霊の不興を買って、フロスベルは悪魔の地に落ちた、という噂がまことしやかに流れていましたわね。……フロスベルは、不自然ですのよ。危険な保護区域はありまるけど、ここは異常ですわ」

 ウンリュウが嘆息して、立ち上がる。

 彼はまっすぐにリネットを見つめた。

「お嬢ちゃん、あんま首を突っ込むなって、言っただろ」

 リネットはわずかに一歩下がり、だがウンリュウを見つめ返す。

「まあ。わたくしは、観察官ですのよ? 不自然な事案があるのならば、調べますわ」

「藪をつついたら、何が出てくるか知っているのか?」

 諭すような落ち着いた声音だった。リネットはうつむき、だが納得できなさそうな表情をしている。

 ウンリュウも何かしら思うところがあるのか、もう一つ嘆息して、腰を下ろした。

「まあ、いい。けどな、うちの妖精や前のリーダーを侮辱するのは、やめろ」

「立ち聞きとは、言い趣味をしているな、新人」

 いきなり後ろから話しかけられて、金星は思わず声を上げる。面白そうな表情をしたフィアが立っており、彼女の視線を追った金星は部屋の中の二人がこちらを見ているのに気づいて、慌てて頭を下げた。

「あ……ごめんなさい」

 二人ともあまり気にしていないようだった。金星よりも、フィアの存在を見ている。

 リネットは興をそがれたようにこちらへ来た。

 フィアは彼女へと目をやり、意地の悪い口調で話しかける。

「観察官が事に当たれるのは最長で三ヶ月。そんな短い期間で、何ができるつもりでいる?」

「失礼しますわ」

 こわばった声で告げて、足早に去って行く。

 それからフィアも部屋を去って、ウンリュウも地方紙を片手に台所から出て行く。

 一人残された金星は手元のメモを思い出して、蜂蜜やら砂糖やらの文字を目にして我に返った。

「ええっと、これ……用意する物って、わたし一人で探すんですよね」

 ついつい漏れ出たつぶやきに答えてくれる声は、もちろんなかった。

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