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拠点についたのは、ちょうど日が暮れてしまった頃だった。窓は暗く、まだ誰も帰ってきていないようだった。
今日はアルベルトも泊まると言う事で、金星は手早く料理の支度をする。長いパンを適当な大きさに切って、おかずには朝に仕込んでいたスープ。それからベーコンと卵を焼くことにした。かりかりに焼けたベーコンが肉の香りを出す頃に皿へよそって運ぶ。
それから二人でささやかな食事をした。後片付けはアルベルトも手伝ってくれる。洗った皿を拭いて棚へしまいながら、アルベルトは穏やかに問いかける。
「グレイブレストについて、金星ちゃんはどれくらい知ってる?」
金星は皿を水にさらしつつ、首をかしげる。
西方の文字を読むのは苦手で、だからグレイブレストについてもほとんど知らない。故郷の学校で使っていた教科書に、簡素にまとめられた説明を読んだくらいだ。
「ええっと、鉱山の街だとしか……」
正直に答えると、アルベルトは頷く。
「東方の人にはあまりなじみがないかもね。グレイブレストの鍛冶職人は腕がいいので有名でね、色んな作品が高い値で取引されているよ。年に一度、夏に鍛冶の腕を競う祭りがおこなわれてね、それは死者の魂を送る意味もあるらしいよ」
鍛冶が盛んなだけではなく、街をあげて祭りもおこなわれるらしい。賑やかさを想像して、金星は小さく微笑んだ。
「けっこう大きな街なんですね」
「うん、フロンフルバニアよりは小さいけどね。祭りは盛大で、フロスベルに住んでいるなら一度は行ってみたい祭りだよ。……そんなところから緊急要請なんて、なんだろうな」
アルベルトの呟きで先ほどの事を思い出して、金星も微笑みを引っ込めた。祭りを控えているであろうグレイブレストの街からの緊急要請。大変な事になっていなければいいが。
心配な半面、レインならばきっと解決してくれるという信頼もある。待つことしかできないけど、帰ってきた時に、美味しい食事を出せるように、準備をしておこう。
もし拠点で問題が起きても、今日はアルベルトが泊まってくれるので、安心だ。そう思った金星は、ふと疑問が浮かんで問いかける。
「あ、そう言えばアンナさんに電報打たなくて大丈夫ですか?」
アルベルトはあっ、と声をあげて吹き終わった皿を棚に入れた。
「忘れてた。そうだね、打ってくる」
アンナへの連絡なら、早いほうがいいだろう。皿は洗ってしまったので、あとの片づけは金星一人でも十分だ。礼を言って彼を見送ると、金星は水場の周りを拭き始めた。
足音がしたのは、そんな時だ。
入口から、金髪の女の子がすっと顔を出した。
「話し声が聞こえたので誰かと思えば、新人と部外者か」
フィアは先ほどの会話を聞いていたようだ。
「あ、レイン先輩はグレイブレストに緊急要請で行きました。ウンリュウさんはまだ帰ってきてないみたいです」
「やつは今日は街へ泊る。それで、部外者がここへ留まっているというわけだな。……成り上がりフォーンも付いて行ったか」
「はい?」
知らない単語に、聞き間違いかと思って首をひねる。
フィアは薄い笑いを唇に浮かべた。
「余計なことに首を突っ込みたがる観察者だ」
観察者……と言う事は、リネットの話だろう。
「リネットさんもレイン先輩について行きましたが……」
「ふん、だろうな。あの女について面白い情報が手に入った。まあ聞いていけ。私も暇しているのでな」
フィアはふふんと鼻で笑うと、手ごろな椅子を引き寄せて腰を下ろす。
「手に入った、ですか?」
「ウンリュウが仕入れてきた」
金星は手を止めてフィアへ向き直った。椅子で足を組んだまま、フィアは面白げに笑みを浮かべる。
「あの女の祖父が観察者協会のトップだ。祖父からすれば孫は可愛いだろう。当然、何の苦労もなく観察者の地位が確立されていたわけだ。まあ、観察者とは名ばかりで、書類の整理やらなんやらの簡単な仕事しかさせなかったみたいだがな」
つまるところ、リネットは観察者協会の人間とはいえ、観察者の仕事はあまりしていないのだろうか。
大変な仕事をさせたくないという保護者の気持ちもわかるが、金星としては、好きな仕事は危険でも大変でも正面から向かい合いたいと思う。リネットは、歯がゆい思いをしていたのかもしれない。
フィアは面白そうに続ける。
「それで成り上がりフォーンと呼ばれていたわけだが、それがどうしたわけかフロスベルへ来たというわけだ。まあ、反抗期の小娘の考えなしの行動といったところだろう」
中々に手厳しい。
「……うーん、フィアさんは、リネットさんが気に入らないんですか?」
釈然としなくて問うと、フィアは不思議そうに金星を見つめる。
妖精の澄んだ瞳が、悠久の時の深さと共に金星を映した。
「どうせ直にいなくなる娘だ。気に入る必要はあるまい」
何も答えられない金星に、フィアはもう話は終わりだとばかりに立ち上がった。
不意に、その顔がほんの少し陰りを帯びる。
「まあ、こんな土地に来たがる変わり者なんて、頭に血がのぼった小娘くらいだろう。ここは終わりの地だからな」
終わりの地、というのはどういう意味だろう。過酷な保護区の環境を現しているのだろうか。確かにアンクタリアには危険が多い。だけど、金星はそれ以上に素晴らしいのもしっている。
フロスベルは、素敵がいっぱいある、金星の第二の故郷だ。
滞在して三か月ほどだが、この地が好きだと、思う。
金星は笑顔でフィアを真っ直ぐに見つめた。
「フロスベルにもいいところがいっぱいありますよ」
はっきりと告げて、それから自らの野望を漏らす。
「わたし、リネットさんは、きっと帰るまでにフロスベルを何か一つでも好きになってくれると思ってます」
金星は、そう決めていた。リネットに、何か一つでもフロスベルを好きになってもらおうと。ここに来てよかったと、思ってもらいたいと。
そしてリネットに、心から微笑んでもらえれば素敵だ。
フィアはかすかに目を瞬かせてから、酷薄な笑みで金星を見た。
「ふん。夏に雪が降るような、興味深い話だな」




