1‐4
幻獣保護区の柵へ馬を繋いだ金星は、アルベルトの案内で保護区へ入ることになった。厳密には彼は部外者とはいえ、金星よりも経験が長いので保護区内の行動は彼を中心にしている。
保護区の柵を開けた先には、広大な森が広がっている。
「今日は森の方角から保護区内に入ろうと思うんだ。そっち側の羽根はまだ回収できていないからね。少し遠いから急ぐよ」
道草虹鳥は道草とついている通り、自分の好みであるオシロイバナの近くに寄り道することが多く、羽根もその周辺に落ちている。
結構な量が必要とのことで、今回はまだ調べていない場所へ行くことになった。アルベルトの先導で、金星とリネットは歩いてついて行く。
十分ほど経って、リネットが口を開いた。
「保護区内の詳細な地図を見せてくれませんこと?」
後ろを歩いていた金星は、問いかけに首をかしげる。
「地図、……ですか?」
簡素なものは拠点で見たが、持ち運び用にはない気がする。金星は手帳に書いた簡単な地図を見せてみたが、リネットは首を振った。
「そんな子供が書いた物じゃなくて、しっかりしたものよ」
アルベルトが口を挟む。
「ああ、そんなのないよ」
「ふざけてますの? 仕事をする場所の地図がないなんて」
「いや、簡単な地図ならあるけど、広大な土地だからね……不完全なんだ」
保護区内に入れるのは限られた人間だけで、危険も多い。そのため、街のように詳細な地図は作られていない。
リネットは仕方なくと言ったように金星の手帳を受け取った。拠点とは反対側の山の近くに地名が書かれているのを見つけて、リネットは指さす。
「近くに街がありますのね」
「はい。行ったことはありませんが」
頷いた金星に、アルベルトが言葉を続ける。
「鉱山の街、グレイブレスト。火精霊の炎で鍛冶を興している街で、大勢の職人が住んでいる。確か、夏には祭りも行われるはずだ」
フロンフルバニアとは逆方向にある街だ。
アルベルトは立ち止まって、前方にある濃い茶色の幹の木を指で示す。しだれた枝は柳にも似ていて不気味だ。
「その木は危ないから近づかないで。木に擬態した動物で、近づいた人間を捕まえて生気を根こそぎ吸ってしまうんだ」
リネットが身を固くした。
アルベルトが安心させるように言葉を足す。
「まだ子供だから、それほど危険ではないけどね」
「そんな妙なものがある場所は避けて通るべきではなくて?」
「ここはアンクタリア(悪魔の土地)だ。多少の危険を避けるなら、さらに大きな危険に会うことになる」
金星も始めてきた時は戸惑ったものだが、この土地には本当にシャレにならない場所もある。危うく命を落としかけるレベルでだ。
よく考えるとリネットを連れてきたのは危険だったかもしれない。
だけど、彼女は泣いて帰ろうと言ったりはしなかった。ただ呆れ気味に肩をすくめる。
「そんな土地、五年前はよく大勢の保護官が働いていたものね」
また五年前の話だ。金星はよく知らないが、昔はジャックというリーダーの元でたくさんの保護官達が働いていたという。
アルベルトは少し複雑そうに目を細めて、また歩き出した。
「保護区内に入っていた人は少なかったけどね。幻獣保護区って言っても、精霊から預かるという形で、人間が入っているだけだ。だから、厳密にはここは精霊達の世界なんだ。それを忘れてはいけない」
いつもよりも固い声は、自分にも言い聞かせているように感じられた。
黙ってしまった女性達に、振り返ったアルベルトが笑顔をばらまく。
「夏は一年で最も保護区内が安全な時期だから、観察するならこの季節が一番だね」
それから三人はオシロイバナの元へ行って、近くに落ちている虹色の羽根を採集する。子供の手と同じくらいの長さのある羽根は、光の下できらきらと輝いて綺麗に見える。これで装飾の類を作るらしい。
手もちの袋に採取した羽根を詰め込んでいく。途中で木陰で昼飯を食べて、また奥へと移動する。そこでも羽根を拾い集める。今日の作業はそれくらいだ。
幻獣の姿を見かけることはなかったが、ときおり姿を見せた子リスや鹿などの動物はどれも元気そうだった。
日が沈みかけるより少し前に、森を抜けて馬を残した場所に戻る。
それから拠点に戻る予定だったが、柵の前へ来た金星は意外な人物を見つけて目を丸くした。
「レイン先輩?」
チャコールに乗ったレインが、馬上から金星を見下ろす。なんとなくぴりぴりとしたものを感じ取って金星は身を固くした。
レインは妙な前置きを置いたりはしなかった。
「緊急要請だ。これから俺はグレイブレストに行く。羽根の回収作業が終わってからは、書類の整理をしていてくれ」
緊急要請――幻獣保護官の手を借りたい時にその有無を鳥の手紙に託すのだ。それが拠点に届いたと言う事だろうか。もしくは、使者が来たかだ。
こくりと頷いた金星の後ろからリネットが飛び出す。
「わたくしもついて行きますわ」
レインは真っ直ぐにリネットを見つめた。
「観察官としての仕事か?」
「ええ、異論はありませんわね」
「邪魔をしなければ問題ない」
リネットには金星の馬を貸すことになった。彼女は馬車できたと言っていたが、乗馬の方も問題なくできるらしい。
「あの、……気を付けてくださいね。ご武運を」
レインに声をかけると、彼は力強い頷きを返してきた。
「アル、念のため今日は拠点に止まってくれるか?」
もう間もなく夕暮れだ。今日中には帰ってこれないかもしれない。
「わかった。こっちの事は任せてくれ」
二頭の馬が離れていくのを見送ってから、金星はアルベルトと一緒に帰ることになった。
グレイブレストの緊急要請とはなんだろうか。
小さく、何かが動き始めている予感がした。