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辺境の村の幻獣保護官  作者: 和花
第一章 見習い保護官とフロスベル保護区
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1-4

 アンクタリアの手前で、金星は馬から降りた。柵の近くに設けられた棒に馬たちを繋いでやる。幻獣保護区内に入るということで、金星は長い黒髪を無造作に紐で纏めていた。ついに、実地用に買った針草繊維の服を役立てる時が来たのだ。針草繊維は丈夫で、ちょっとやそっとでは破れない。そのおかげで、女性はスカートにニーソで仕事ができるのだ。

 同じく馬を繋いだアルベルトは、柵にはりめぐされた銀の弦をピンッ、ピンッ、と指で何度か弾いた。

「それは、何をしているんですか?」

「見張り手に、これから二人、保護区の中へ入りますって伝えているんだ。密猟者かと思われたら、たまったもんじゃないからね」

「見張り手って、レイン先輩のことですか?」

 金星はここに来てから、レインとしか会っていない。しかし、アルベルトは違うよと笑って首を振るう。

「レインは護り手だよ。見張り手はウンリュウっていうおっさんで、今は拠点の管理者と町へ買い出しに行ってるよ」

「だったら、密猟者が勝手に入ったのがわかっても、どうしようもないんじゃないですか?」

 街からここまで、少なくとも六十キロルは離れている。

「金星って、見張り手のことを勉強しなかったの?」

「うっ……筆記試験は……苦手でした」

 幻獣保護官になるためには、筆記試験と体力テスト、実技試験に最終試験の四つがある。金星は筆記、体力、実技とパスしたが、筆記試験はぎりぎりだったと思っている。

(だって、誰も教えてくれなかったし……一人で勉強じゃ、限度があるわ)

「じゃ、説明するけど、保護区の柵に張りめぐらされた弦は見張り手の楽器と同じものなんだ。見張り手は、保護区の弦が振動すればわかる能力がある。で、だ。密猟者が侵入したとわかると、見張り手が弦をかき鳴らして、保護区のシシラギ鳥に知らせるんだ。シシラギ鳥は、それはもう大声で鳴いて、現地の幻獣保護官に異常を伝えるんだよ」

「へえ、そうなんですか」

 シシラギ鳥はその特殊な聴力を買われて、保護区内に飼育されているのだ。シシラギ鳥の鳴き声は特徴的で、密猟者が侵入した場所もわかりやすい。この辺りにはめったに鳴かないが、有名なハリノ保護区ではひっきりなしに聞こえると言う。

 銀糸の張られた柵の途中に扉があって、金星とアルベルトはそこから中へ入った。草原を少し歩くと、しっとりと濡れた湿地帯に出た。アルベルトは金星を背後に、棒を地面に突き刺しながら注意深く足を進める。いったい何をしているのだろう。

「金星ちゃん、あれなんだけどね」

 アルベルトの指さす方には、小さく可憐な花々が群集している。

「綺麗な桃色の花ですね。あれがどうかしたんですか?」

「あの花は腐苔が密集する底なし沼の上に咲くから、摘んじゃいけない。ヒキズリ花と呼ばれているよ。で、あっちの銀の苔みたいなのは、人食い鰐の頭だから、近寄ったらぱくっといくから、気をつけて」

「ぱ、ぱくっと……? 底なし沼?」

 可憐な桃色の花は湿原のそこら中に咲いていたし、人食い鰐の頭だとかも、結構いっぱい見受けられる。金星の背中を冷たい汗がつたった。

「人食いって……冗談ですよね? なんか、銀の苔だらけなんですけど、近づいたらどうなるんですか?」

「そりゃ、食べられるよ。二メルト内に近づいたものを襲うから、ニメル鰐とも呼ばれている。彼らの顎は強靭で、決して獲物を離さない。沼に引きずりこまれたら、もう助けられない。だから、気をつけて歩いてほしいんだ」

 若草色の瞳が真剣に金星を見ていて、冗談ではないと語っている。新人がすぐに辞める理由がわかった気がした。彼らは幻獣保護官である。フィールドワークで幻獣を保護するための環境を調べるだけで、別にサバイバルがしたいわけではない。ましてやちょっとした不注意で命の危険がある土地を歩くなんて、考えただけでも恐ろしい。

「まあ、危険ばかりでもないんだけどね、ほら、幻獣も生息してるし」

 表情を凍らせた金星に、アルベルトは柔らかく微笑んだ。湿原に存在する幻獣は、たまにしかお目にかかれないのだと、アルベルトは楽しそうに言う。

「イピリアといってね、知ってるかな?」

 幻獣の話になり、金星は顔を輝かせた。子供の頃に読んだ物語の中で、幻獣たちは気高く美しいものとして書かれていた。幻獣知識なら自信があった。

「はい! 幻獣なら図鑑でたくさん見ました。イピリアは虹色に輝くヤモリですよね。いつか見てみたいです」

「ほんとを言うと、彼らのいる場所にあまり人は近づかない方がいいんだけどね……。ああ、幻獣保護官は別だよ。幻獣は保護官は受け入れているから」

 保護官のテストの最終試験で、夜光精霊に好かれた人間たちは、幻獣にも受け入れられるのだ。だから、筆記や実技の点が高くても、最終試験に合格しなければまた来年、頑張ってくださいという事になる。

 沼地を二〇分程度で抜けると、目の前に大きな森が広がっていた。虹の森と呼ばれているらしい。大きな葉っぱと葉っぱの間から差しこむ木漏れ日が気持ちよかった。

 アルベルトは森の開けた場所で足を止めた。

「ちょっと休憩しよう。金星ちゃんも疲れただろ?」

「えっと……はい。ここって、休憩所になっているんですね」

 体力には自信があるが、やりたいことがあったので頷いて切り株へ座る。机と椅子代わりに大小の切株が並んでいた。雨除けはないが居心地良さそうだ。

 竹の水筒から茶を入れるアルベルトをよそに、金星はスカートの後ろポケットから手帳を取り出す。都市で買った水色のメモ帳は、革の表紙で防水加工されている。

「アルベルトさん。沼地で注意するのは、先ほどおっしゃったヒキズリ花とニメル鰐だけで、いいんですか?」

「ん? おっ、メモしてるのか、感心感心。まあ、湿地帯は他の所に比べて安全だからな、注意するのはその二つくらいだ」

 他に比べて安全とか言うのは聞かなかったことにしたい。

「えーっと、沼地にいる幻獣はイピリアですね」

「ああ。あとたまにグランガチを見たりする。こちらはニメル鰐と違って、緑色の立派な鱗……ってあれ? 金星ちゃんの書く文字って西言語じゃないな」

 覗き込んできた若草色の瞳が、画数の多い複雑な文字を前に丸くなる。金星はメモを開いたまま顔を上げた。

「はい。これは、故郷の楔国で使われる東言語です。恥ずかしながら、わたし、西言語は読めないんです。言葉を覚えるのがやっとで、文字にまで気が回らなかったから……」

「へえ。そっか、金星ちゃんは東方人なんだね。そう言えば、そんな髪の色をしているよ」

 アルベルトは相槌を打ちつつ、水筒の茶を金星に手渡した。焦がした太陽を溶かしこんだような色のお茶は、落ち着いた柑橘系の香りがする。

「ありがとうございます。これは、何と言う飲み物なんですか?」

「ただの紅茶だよ。西方の紅茶にハーブやなんかをブレンドしてるんだ。俺のかあさんの十八番でね、ぶっちゃけると、何を入れているかよくわからないんだけど……」

「おいしいです」

 ほんのり甘くて、疲れた身に染みわたる。

 それから二人は昼食にした。アルベルトの母特製のチェリーパイだ。フロスベルでは、パイが好んで食べられる。いろんな種類があるし、保存もきくし、こうして外で食べたときの食べかすは、小動物のエサにもなるからだ。

 食事が終わると、アルベルトが思い出したように口を開いた。

「そうだ、金星ちゃん。よかったら暇なときにでも、俺が文字を教えようか?」

「アルベルトさんが?」

「ああ。俺は東の言語に興味あるんだ。だから、互いに教え合いっこ……て言うのも変だけど、まあ、どうかな?」

 言葉が通じるとはいえ、文字がわからないままでは、後々苦労するだろう。金星も勉強しないといけないと思っていたので、この提案は嬉しい。

「本当にいいんですか? 良ければ、ぜひお願いしたいです!」

 アルベルトは朗らかな笑みで頷いて、ゆっくりと腰を上げた。

「それじゃ、そろそろ行こうか」

「はいっ」

 金星は軽く頬を叩いて気を引き締める。ここはまだまだアンクタリアの入り口だ。奥がどうなっているかわからない以上、充分注意しなければならない。

 先導するアルベルトの後をついて行く。森はだんだんと暗くなっていき、足元でしなびた落ち葉が砕けるしゃり、しゃり、という音がしてきた。

「あの木は毒化樹といって、人間に害のある毒素を出しているから、あの木の根元に生える茸は、たとえ食べれる種類でも口に入れてはいけないよ」

 黒くて幹の、背の高い木を指さして説明する。枝も幹も異様に細く角ばっていて、見るからに毒々しい不気味な感じだ。

「他にも笑い樹ってのがあるんだ。あれは、人面樹みたいになってて少し怖いよ。おっ、これば便利なんだけど……」

 アルベルトは、足元で輝く草を見つけて引き抜く。たんぽぽによく似た植物で、白い綿毛がほのかな白に光っている。

「光草だよ。衝撃を与えると数時間も輝いてくれるから、天井につるして照明にしたり、硝子の筒に入れてカンテラしたりも出来るよ。なんたって、この光草は、水がなくても一ヶ月は枯れないからね」

「はい。拠点の部屋にあるのを見ました」

 それからアルベルトは、黄金の葉と幹を持つ木は裂いたら水が出てくるとか、あの木の、林檎に似た赤い実は林檎モドキという実で毒があるとか、あの草はもんで傷口に張るとちょっとした薬草代わりになるとか、歩きながら各地を指さして教えてくれる。金星はそれを忘れないうちにメモした。

 森には草食動物の姿も見受けられた。大きな鼻の上に目がある鼻顔豚や、季節によって色を変える色鹿。夜に活動する目黒夜鷹など、珍しい生き物たちがひっそりと暮らしていた。よく観察すると、拠点の書斎で写した本に描かれていた動物ばかりだ。

「ユニコーンやドラゴンというレッドリストの絶滅危惧種に指定された幻獣たちをはじめ、ケンタウロスみたいな亜人、レーシーやノッカーといった妖精もいるよ。ここには、西大陸で一番多くの幻獣が住んでいるんじゃないかな」

 山に囲まれたフロンフルバニアでも、ひときわ辺境に位置するフロスベル。そこにはほとんど人が近づかない。だから、今も多くの幻獣や動物たちが平和に暮らしている。広大な土地は、とても一日で回りきれないほどだ。

「つまり、保護の仕事も大変なんですよね。なのにどうして、わたし以外だれもフロスベル配備にならなかったんでしょう?」

 疑問を口にすると、草を踏み分けていたアルベルトが振り返って苦笑した。

「それは、すぐにやめる人が多いからだよ。『悪魔の土地』っていうくらい、ここは危険が多いからね。実際、殉職した幻獣保護官も多いし」

 ぽつりと漏らされた言葉に金星の背筋が寒くなる。

(じゅ、殉職? そう、だね。幻獣保護官は危険が多い仕事だもの。そういう事もきっとあるんだわ。ここは特別、多そうなんだけど……)

 アルベルトも失言に気づいたのか、誤魔化すように言葉を続けた。

「あ、でもさ、俺やレインは生きてるわけだし、気をつけていれば大丈夫だよ。多分」

「気をつけても、多分、なんですね」

「それはえっと……残念ながら?」

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