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今日は久しぶりに幻獣保護官の仕事は休みで、金星はいつもよりも気合を入れて食事を作った。香料をつけた鶏肉を挟んだサンドイッチに、野菜を煮込んだコンソメスープ、ハムと卵のサラダ。食後には甘酸っぱい夏蜜柑のゼリー。
くりぬいた夏蜜柑を器にしたゼリーの、透明な橙色の表面にスプーンを入れながら、ウンリュウは清々しい笑みを窓の外に向ける。
「いやあ、本日は良い日だなあ。空は一面の青空で、風は心地よく、料理は美味い。いやあ、生きてるって素晴らしい!」
つられて金星も外へ目を向ければ、真っ青な空の下に広がる草原が見渡せた。ずっと向こうには保護区を囲む柵が伸び、その向こうには山がそびえ立つ。夏の日差しの下、それらはいつもよりも楽しそうに微睡んでいる。
「ウンリュウさん、機嫌がいいですね」
「どうせ、馬券が当たったとかくだらない理由だろう」
食事を終えたレインが自分の器を下げながらそっけなく告げると、ウンリュウはスプーンで彼を指さした。
「おいそこ! 百レグが二千は大きいぞ!」
「……やっぱり馬券なんですね」
「いいじゃねえか、人の趣味をとやかく言うなよ」
ついつい呆れた声を出してしまったが、ウンリュウの言葉に金星は反省する。自分と他人は違うのだから、自分にとってどうでもいい物でも、他人にとっては大切なものかもしれない。それを否定するのは、快い事ではないだろう。
「そうですね。ごめんなさい」
「金星、騙されるな。趣味といえば何でも許されるわけではないぞ」
まあ確かに、限度はありそうだが……。
「ちっ、細かい野郎だな。ま、いいだろー、固いこと言うなって」
何はともあれウンリュウの言うとおり、今日はとてもいい天気だ。保護区内の見回りも、ぽかぽかして気持ちの良い散歩になるかもしれない。
ふとウンリュウは毎日何をしているのだろうと疑問が浮かんで、口を開く。
「ウンリュウさんって、お仕事は何されてるんですか?」
「おーい、金星。それ新手の嫌味か何か……? 俺様、保護官でリーダーやってます」
「あ、ごめんなさい。ウンリュウさん、保護区に入らないから……すっかり忘れていました」
彼は保護官の護り手で、保護区への侵入者や保護区での異変を察知する力がある。見回りはしないとはいえ、資料の整理や書類の確認はきちんとこなしているらしい。
「ったく。毎日街に言ってるからって、遊んでるだけじゃないぜ。ほら、今日だって手紙を預かって来たし」
ウンリュウがそう言って服のポケットから取り出したのは、茶色い封筒だった。
「手紙?」
「フロスベル保護区当てだよ。ええっと、なになに?」
手紙を読んでいたウンリュウの顔がだんだんと難しい表情になっていく。金星は掬い取った黄昏色のゼリーを口に入れた所で首をかしげた。
何か、よくない内容なのだろうか。
吟味するより先に、ウンリュウが唐突に立ち上がる。
「二人とも、出かける準備をしろ」
「は、はい?」
「何か書いていたのか」
疑問には答えず、ウンリュウは真剣な表情を二人に向けてきた。
「明日までにここを出ないと、厄介なことになるんだよ。一週間も空けときゃ、向こうも諦めて帰るだろ? 先手必勝が大事だ」
金星は息をのんでこくりと頷いた。全く話が見えてこないが、何か大変な事態だろうと読み取れる。
「それでウンリュウさん、わたしは何をすればいいですか?」
ウンリュウが口を開きかけた時、玄関のベルが鳴った。
「こんな時に誰だよ」
ウンリュウだけでは不安なので、金星とレインも彼について行くことにした。
扉の前に立っていたのは、金星やレインと同じ年頃の少女だ。赤みがかった金の髪を後頭部で結い上げ、丈の長いゆったりとした服を着ている。
少女の青い瞳が、鋭さをもってウンリュウを射抜く。
「こんにちは。あなたがリーダーのウンリュウさんですね」
「あー? 誰だあんた」
「まあ、いやですね。お分かりになられるでしょう」
少女はそういって、悪戯っぽく微笑んだ。ウンリュウは心当たりがないのか、しきりに首をかしげている。
「手紙にきちんと、書きましたわよ?」
ウンリュウの動きが止まった。不思議に思って覗き込んでみると、顔色がみるみる蒼くなっていく。
「はああぁ!? おまっ……明日来るって、書いてるだろ!」
「思ったよりも早く着いたのですもの。いいから、これから三か月ほど滞在しますから、そのつもりで」
二人の間では通じあっているようだが、金星には全く意味が分からない。
「えっと、ウンリュウさん。彼女は……?」
「彼女は現在募集中です」
「え? ええっと……?」
「観察官だ」
すっかり生気がなくなったウンリュウに変わって、答えを教えてくれたのは、レインだった。彼は無表情に少女を見つめる。
「先の事件に不信を懐いて、調査に来たといったところか」
少女は挑発的に唇を曲げた。
「ええ、そうですわ。もう早速、そちらの方がリーダーにふさわしくないようだと記録することになりますわね。貴方は、まともな方だといいのですけど」
観察官について、金星は書物からの知識で知っているが、実際に見るのは初めてだ。
「レイン先輩、観察官って……保護官が保護官にふさわしいか否か調べるお仕事の人、でしたっけ?」
「ああ。普通よりも随分若い観察官だがな」
少女の態度は堂に入っており、仕事慣れしているように見えた。しかし、金星は彼女の雰囲気の端に何か不安気な揺らぎを感じ取る。
少女は勝気な瞳でレインを見上げた。
「とにかく、さっさとフロスベル保護官を集めてくださいません? 彼らにも仕事を観察することを説明しますから」
「必要ない」
レインがきっぱりと断言する。少女は眉をひそめた。
「わたくしが若いからって、まともな観察ができないとでも言うつもりかしら?」
彼が否定の言葉を継ぐよりも早く、ウンリュウが得意気ににやりと笑う。
「ふっ、残念だったな。こいつが年齢で人を判断する奴に見えるか? たんに、フロスベル保護官はここにいるだけで全員だって話なんだよ」
間違ってはいないが、威張る事ではないのではないかと、金星は思った。




