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「こんにちは! いいお天気ですね」
馬から降りた金星は、家の前で話し込んでいたおばさんたちに声をかけた。おばさんたちは、麻布で作られた簡素な服の上に鮮やかな前掛けをつけている。これがフロスベル地方の一般的な装いで、本でしか見たことない金星はしげしげと見てしまう。
珍しいのはおばさんたちも同じようで、振り向くなり二人そろって目を丸くする。
「見かけない子だねえ」
「あんた、もしかしてレインんところへ新しく来た、新人さんかい?」
田舎らしく、見かけない人は新しく来た人間なのだろう。
「はいっ。幻獣保護官のお仕事を手伝っています」
明るく答えると、おばさんたちが一瞬、複雑そうに顔を見合わせた。ほがらかな笑みを浮かべて正面に立つ金星に答えながら、おばさんたちは片肘で隣の相手をつつきあう。
「まあ、保護官の仕事ねえ。……ちょっと、あんたあれを聞きなよ」
「大変だねえ。……あたしゃあ、いやだよ。あんたが聞きなよ」
「うん、大変ねえ。……わかったよ、わたしが聞くよ。でも、あんた小突く力入れすぎだよ。痛かったから」
素知らぬ顔のおばさんを軽く睨みつけてから、もう一人のおばさんがにっこりと愛想笑いを浮かべ、金星を値踏みするように見て口を開いた。
「で、新人さん? あんたは、アンクタリアにはもう入ったのかい?」
「はい? アンクタリア……ですか?」
全く聞き覚えのない単語に金星は素っ頓狂な声になった。おばさんたちは、やっぱりねえという風に顔を合わせてから、愛想笑いを浮かべて金星に向き直る。
「幻獣保護区のことさ。この辺ではアンクタリアと言っているよ」
「へえ、そうなんですか」
言いつつ、金星はアンクタリアとはどういう意味だろうと考えていた。だが質問する前に、傍らの栗毛の馬が不満そうに一声鳴く。
「あっ、ごめん……忘れていたわ。あのぅ、おばさん。わたしは卵と野菜を買いにきたんですけど、売っている場所を知りませんか?」
「買いに来た?」
「買いに来た、って……あんたお金持っているのかい?」
「あ! そういえば、レイン先輩に貰い忘れていました」
「だろうね。保護官には年明けにまとめてお金をもらっているからね、たまに物々交換するけど、基本はタダだよ。卵だったら、アンナのところだね。ちょうど帰る所だったからあたしが連れてってやるよ」
「本当ですか。ありがとうございます!」
金星は愛想よく笑って礼を述べた。それから、馬の手綱を引きながら、土の道を歩いていく。ここは〈酒通り〉と呼ばれていると、おばさんが教えてくれた。酒場の前にある道だからだ。入口から真っ直ぐ伸びる道は、村で一番大きな通りらしい。
フロスベルは百人程度の人間が住む集落で、出来た当時から住んでいるん隠元がほとんどだ。村人の名前と顔はもちろん、誰それの今晩のおかずは魚だとかいう食事事情までつつぬけらしい。
辺境の田舎とはいえ、きちんとした整備はあるらしい。金星の歩く道は太く、馬車でも通れる大きさで、石畳が敷かれている。視線を上げると、村はずれの川近くに大きな風車が回っているのが見えた。
目的の『アンナのところ』は村から少し離れた場所にある一軒家だった。家の隣に簡素な柵が作られ、そこに赤いとさかの鶏たちが入っている。白色に黒のまだらが特徴的な、フロスベル地鶏だ。家の向かいには立派な酒蔵が建っていた。
「おーい、アンナ。レインのとこの新人が来たよ」
「ペルーおばさん、母さんは留守だよ。何か用があるなら……って、誰?」
一軒家から顔を出した青年は、ペルーの大柄な体に隠れるように立っている金星を見つけて、首を傾げた。
「だから、レインとこの新人だって。んじゃ、あたしは帰るよ」
「あっ、色々とありがとうございました」
金星は去っていくペルーに礼を言って頭を下げた。気にするなと言うように片手を上げた背中を見送ってから、目の前の青年に向き直る。
穏和な雰囲気の青年は、二○歳くらいだろうか。明るい緋色の髪は癖が強くてあちこち飛び跳ねている。がっちりした大人の体形とは裏腹に、若草色の瞳は子供のような無邪気さを含んでいた。
「君が今回のフロスベル幻獣保護官なんだな。まあ、立ち話もなんだし、あがってよ。ブラウンはそこにでも繋いでおいて」
そこという場所に目をやると、家のわきに棒が立っている。金星は言われたとおりに馬の手綱を結んで、青年の家に上がり込んだ。
ダイニングのテーブルでお茶をよばれる。金星の正面に座ってにこにこ笑っている青年は、アルベルト・エルグレムというらしい。
「で、今回は何人きたんだ? まさか、もうやめた奴がいるのか?」
「何の話ですか?」
コップを両手に持ったままきょとんと瞬く金星に、アルベルトは「ああ、ごめん」と自身の頭をさらにぼさぼさとかく。
「レインの所へ来た、幻獣保護官だよ。去年は五人だったから、もう少し増やしてくれたのかと思って」
「えっと、わたしはまだ見習いなんですけど……。それで、新人は……たぶん、わたし一人です」
「君一人だけ!?」
「はい。……って、やっぱり新人が一人だけなのはおかしいですよね? なにか、手違いでもあったんでしょうか?」
「いや、やけになったんじゃないかな」
アルベルトは驚いた顔を引っ込めて、深々とため息をついた。
「あんまりにもやめる人が多いから、さ。全部がフロスベルみたいだと思われてやめられるよりも、派遣しない方がマシだからさ。俺もときどき手伝うんだけどね、だからこそ、あれはやめても無理ないかなって思うんだよ」
やめる人が多いとはどういうことだろう。何か原因があるのだろうか? レインは取っ付きにくいけど悪い人ではないし、ここは辺境だが、保護地域はみなそうだ。そんなに仕事がつらいのだろうか? 金星にはちょっと想像できない。
(仕事の内容なんて、みんな知っていて、それでも働きたいと思ったから、試験を受けたんでしょう? なのにすぐやめるなんて、そんなに想像と違うのかしら?)
考え事をしていると、突然、金星の両手がアルベルトにつかまれた。がしりと力強い手に包み込まれながら、熱っぽい瞳でじっと見つめられる。
「あ、あの……?」
「すばらしいよ! 君はやめないんだな! アンクタリアの現状を見ても逃げ出さない、勇敢な女性なんだな」
「あの……アンクタリアって、保護地区ですよね?」
「もちろんだよ。アンクタリアは、悪魔の土地という意味なんだ」
なんだろう、その物騒な意味は……。
不穏な気配を感じつつも、素直に告げる。
「ええっと、保護地区ならわたしは、まだ入ってないんですが」
「えっ、マジで?」
アルベルトは手を引っ込めて椅子に座った。手を顎にやって何ごとか考え出す彼を前に、金星はコップの中の蜂蜜色の液体をじっと見つめる。
(うーん、人が少ない原因はアンクタリアにあるのかしら? うぅ、どんな土地か気になる。レイン先輩が入れてくれないのと、何か関係あるのかな?)
気になることだらけだ。何も知らない自分は、本当にここへ働きに来た新人だろうかと、ちょっぴり疑問に思ってくる。本を写しているだけでいいのだろうか。
「アルベルトさん」
蜂蜜湯を一気に飲んで、金星は屹然とアルベルトを見上げた。
「よければ、わたしをアンクタリアに案内してくれませんか?」
保護地域には見張り手の楽器による銀色の弦がつけられていて、関係ないものは入れないようになっている。だが、たまに手伝うことがあると言ったアルベルトは、自由に保護地域へ入れるはずだ。
「え? あ、でもさ……」
「お願いします!」
このまま書き取りを続けるよりも、自分は見回りぐらいきちんとできるとレインに証明したい。そのほうがレインの助けになると思いつつ頼み込む。アルベルトはしばらく迷っていたが、金星の異様な気迫に押されたように、仕方ないなと肩をすくめて頷いた。
「うーん、まあ隠し通せることじゃないし、君も、じかにアンクタリアを見たほうがいいだろうからね。わかったよ」