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辺境の村の幻獣保護官  作者: 和花
第四章 見習い保護官と密猟者
32/82

4-1

 金星の前には紙の山が積まれていた。百枚なのでそれほど多くないが、心情的には山と称するのがふさわしい。半分を終わらせたところだが、さすがに疲れてきた。

 ペンを片手にため息をつくと、近くにカタンと皿が置かれる。こんがりと焼けたパイの中にはぎっしりと林檎が詰まっており、周囲に甘酸っぱい香りをふりまく。

「『勝手なことしてごめんなさい』って、レイン君も面白い罰を与えるわ。大変ね、金星ちゃん。とにかくパイでも食べて元気を出して」

 金星の向かいの椅子に座ったアンナが、紅茶を金星に差し出した。

「あはは、お仕事で、ちょっと失敗しちゃいました。パイ、おいしそうですね。いただきます」

 迎えに来てくれたレインは、金星たちをあからさまに責めたりしなかったが、しっかりと罰をあたえた。しばらく謹慎の上に、書き取り百枚。高原はその倍だ。

 あれから二週間ほどたつが、まだまだ白紙が残っている。謹慎の間、金星は村のアルベルトの家で、西方語を教えてもらう合間にこうして罰則を片づけている。

「金星ちゃんは、どうしてここでの仕事を辞めないの? あ、別にやめてほしいわけじゃないわよ。でも、大変な土地でしょう?」

 アンナの言葉に金星は複雑そうに首を傾げた。確かに、危険の多い土地で、レインにもずいぶんと迷惑をかけている。それでも、やめたいとは一度も思わなかった。

(多分、自分の手で何でもやる生活が好きだから。それに幻獣たちを、守りたいと思っているから。だけど……今のわたしが言っても、上辺だけに、聞こえそうだね)

 そう思った金星は曖昧に笑って見せた。

「やりがいがありますよ。それに、村のみなさんも良い人ばかりですし」

「そうね。本当に、気持ちの良い人ばかりだわ」

 アンナは立ち上がって、玄関口に置いた鶏の餌を手に取った。

「ゆっくりしていってね金星ちゃん」

「はい。ところで、アルベルトさんはお出かけですか?」

「……うーん、どうかしら。最近、アルったら何かしているみたいなのよね」

 アンナは肩をすくめて鶏小屋の方に姿を消す。その後ろ姿を見送った金星は、再び白紙と格闘する。窓際では、心地よい風が若草色のカーテンを降らしている。じめじめとしたタラニスが終わり、本格的な夏が始まろうとしている。

 うららかな日差しを受けていると、だんだんと眠くなってくる。金星は眠気覚ましに紅茶を飲むと、無意識にパイへと手を伸ばす。

 手は空を切った。アップルパイがあるべき場所には、こまかな残りかすが散らばる程度である。白い皿の傍らには、満足そうに腹をさする樹精霊の姿。

 彼は金星が見ているのに気づくと、むっとしたように小さな指を突き付けた。

「くぉら! 大事件だぞ、こんなところで呑気にしてるな~!」

「え? ええっ? むしろエコーさんの方が呑気にしてません? というか、アップルパイ、一人で食べちゃったんですか?」

「樹精霊に不可能はないんだぜ」

「あの量を一人でなんて、まさに大事件ですね!」

「って、そっちじゃな~い!」

 エコーは服についた細かいパイの欠片を払うと、得意気になって腕を組んだ。が、満腹で体が重いのか、いつものように浮かべないようだ。なんだか小人みたいで微笑ましい。

「ふふん。おれだってな、ぶんぶん飛び回ってるだけじゃないんだぞ。おれは、最初からあのおっさんが、怪しいと思ってたんだぜ」

「何の話ですか?」

「密猟者の話だよっ!」

「……はあ?」

 微笑ましさが一気に吹き飛んだ。状況が追い付かない金星によたよたと近寄ったエコーは、金星の肩によじ登って「いくぞ!」と外を指さす。

 金星はよくわからないまま、エコーの指図する通りに進んだ。

 酒蔵の裏の崖にくると、エコーは隠れるように命じる。草葉の陰から、ぼそぼそと話す二人の男性が見えた。

 酒蔵の主であるデニムと、西方訛りの強い密猟者だ。険悪な雰囲気ではないようだ。どうして彼らが一緒にいるのか考えると、妙な胸騒ぎを覚える。

「何を、話しているのでしょうか……?」

「もっと近づいてみろ。こっそりだぞ」

 金星はこくりと頷いて、姿勢を落としたままゆっくりと歩く。乾いた草が互いの体をこすり合わせて、低い音を立てた。

「酒蔵は、なかなか住み心地がいいだろ?」

 デニムが軽い調子で冗談っぽく言う。片手には酒瓶を持っており、相変わらず酔っぱらったような赤ら顔だ。西方訛りの男は下卑た笑いを浮かべた。

「まあな。あんたには感謝してるで」

「まっ、こっちも分け前をいただくわけだしな。気にすんな」

 金星はじっと二人を凝視する。デニムは密猟者をかくまっているのだろうか? それに分け前とは……彼らは、何の話をしているのだろう。どきどきと心臓が音を立てる。緊張で握り込んだ手が汗ばんだ。金星は息を殺して、前方の会話へ意識を集中する。

 ふいにデニムが声を落とす。

「で、タラニスは終わったわけだが、決行はいつだ?」

「そりゃあ……」

 その先の声は聞こえなかった。カエルを踏んづけたような甲高い樹精霊の声が響く。

「ふぎゃっ! な、何する!」

「エコーさん!?」

 樹精霊が、大きな手から逃れようと暴れている。金星が手の主を確認する前に、口元に薄い布が押し当てられる。わずかに薬品の臭いがした。金星の体から力が抜けて、意識がぼんやりとしてくる。

「ごめんね、金星ちゃん」

 どこかで聞いた声の気がしたが、もうどうでもよくなっていた。瞼をおちるままに、金星は意識を闇へとゆだねた。

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