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辺境の村の幻獣保護官  作者: 和花
第三章 見習い保護官と準保護官
31/82

3-11

 夜の初めごろに雨が上がり、それからすぐにレインとアルベルトが迎えに来てくれた。洞窟の入り口で、高原は頭を下げて素直に嘘をついたことを謝った。

 夜のアンクタリアに留まるのは危険なので、小言もほどほどに四人は拠点へ戻る。柵から出てみれば辺りはもう夜一色で、雨上がりのぬれた土が、天上の星を映してきらきらと滑らかな光を宿していた。話もほどほどにアルベルトは村へ帰り、金星たちももう寝る事になった。

 高原と別れて自室に戻った金星は、ふうと息をついてベッドに腰掛ける。光草の明かりにぼんやり照らされた室内を前に、昼間の事を思い出した。せっかくアルベルトがアンクタリアを案内してくれたのに、金星は高原を止められなかったし、レインたちに心配をかけただろう。気持ちが重くなって、自然とため息が漏れる。

 それに、洞窟で金星は、きっと嘘をついた。悩んでいる高原を元気づけようとして言った言葉は、きっと本心からのものでない。みんなが笑って暮らせればいいと、そう思っている心も確かにあるけれど、気持ちの奥底では、金星は逃げている。

 ドラゴンに会った後、レインに言われた言葉がよみがえり、金星は布団をぎゅっと握った。自分の気持ちがまとまらない。昼間に幻獣を見た時、確かに美しいと思った。だけど……。

 気持ちを切り替えようとして立ち上がったからだが、自然と窓の外を見つめた。

 どこまでも続く夜の世界。果てはないのだというほど、まっさらな大地が続いている。フロスベルはそれほど広かった。

 視界の隅に動く人影を見つけて、金星は目を瞬いた。それから窓を離れると、慌てて下におりて外へ飛び出す。

 窓の外にいたのはレインだ。フロスベル保護区の手前に立って、彼は保護区内を見つめていた。

「レイン先輩、少し……話をしてもいいですか?」

 急いで近づいてきた金星に訝しげな表情を返しつつ、レインは小さく頷いた。

「言い訳は聞かないが、それでもかまわないなら聞こう」

「はい! え……えっと、ですね……」

 勢いのまま話しかけたため、言葉が途中で迷子になってしまう。だけど、金星は窓の外にレインを見つけた瞬間、彼にこの前の続きを話したいと思った。

 途中で逃げてしまった問いに、答えを返したいと思った。

 ゆっくりと空気を吸い込むと、体に新鮮な力が満ちていくようだった。

 金星は真っ直ぐに星色の瞳でレインを見つめた。

「以前レイン先輩は、わたしが幻獣を嫌いだと言いましたよね。きっと……そうなんです。わたしは、心の奥底で幻獣を憎んでいます」

 それは金星が認めたくなかった気持ち。向き合うことを避けていた言葉を口にして、金星はかすかに俯いた。後悔が滲む、だけど、あふれ出る言葉を止める術はもたない。

「わたしの母は幻獣保護官だって、話しましたよね」

 一年に一度、帰ってくるか来ないかなのは、保護官として保護区に滞在しているから。

 小さい頃は寂しかったが、そんな母を誇りに思う気持ちもあった。

「六年ほど前……わたしが九歳の誕生日の日、母はわたしをカンガス保護区に連れて行ってくれて、ドラゴンの背に乗せてくれました。あの時に見た景色は、一生忘れません」

 金星の言葉を、レインは黙って聞いていてくれていた。

 急に変なことを言い出したのに、その顔はとても真剣で訝しがる様子はみじんもない。

 だから金星は、少し肩の力を抜いて話すことができた。

「カンガス保護区で事故が起きたのを知っていますか?」

「ああ。ドラゴンが突然暴れ出したらしいな」

 金星はこくりと頷く。幻獣と人は良好な関係を築いているが、それはちょっとのことで崩れ去る類のものだ。あの時、カンガス保護区で子供が悪戯半分に爆竹でドラゴンを脅かし、事件が起きた。

 その時の事は、あまり思い出したくない。

「母はドラゴンを止めようとして怪我をして……記憶を失くしました」

「記憶を?」

「はい。ドラゴンのしっぽに攻撃されて、頭を強く打ったみたいです。後遺症はなくてそれはよかったんですが……母はわたしの存在を忘れてしまっていました」

 母親は事件の後も保護官を続けている。幻獣を愛する気持ちはかわらなかった。だけど、母は自分の娘の存在を忘れてしまった。

 頻繁に会えば思い出すかもしれないと、月夜に言われたことがある。だけど金星は、あの日から母に会うことを避けた。

 もしも思い出してもらえなかったら……その怖れと向き合う覚悟がなかった。

 冷たく突き放した夜の風が、金星の黒髪を弄ぶ。保護区の向こう側で、草が己の体を擦り合わせて広大な歌を奏でていた。

 この前レインが言った言葉は、本当だ。でも、嘘でもある。

 レインの瞳は柔らかな青色で、金星は夜空の下に広がる雪原の色だと思った。

「だからわたしは、幻獣が憎いんです。母を奪った幻獣が、どうしようもなく嫌いで……でも、好きでもあるんです。守りたいと思う。母はわたしよりきっと幻獣を選んで、それが嫌で、だけど同時に母はそういう人なんだと安心できます。母はいい保護官です」

 誰にも話した事のない気持ちを吐露する。他の誰でもないレインだから、話したかった。不安を押し殺して顔をあげ、レインを見つめる。

 真剣な眼差しで、だけどその言葉はどこまでも不安定だった。

「わたしは……どうすればいいのかわかりません」

 それが金星の本心だ。

 高原には偉そうに、進むべき確かな道があるとのたまって、金星はそれを信じられない。自分の気持ちさえも、はっきりとわからないのだ。

 自然と浮かぶのは自嘲的な笑みだった。

「……それじゃあ、レイン先輩。話を聞いてくれてありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げて、拠点に戻ろうとした金星の背中にレインの声が届く。

「俺は密猟者の子供だった」

「え?」

 全くもって予想もしていなかった告白に、金星はまぬけな声を出した。

 呆けたようにして振り返った先で、レインはいつもと同じように佇んでいた。黒い服が、夜の闇を吸ってなおはっきりと見える。

 レインは小さく肩をすくめ、青灰色の瞳を柵の向こうのアンクタリアへ向ける。

「ここにも仕事のために入ったんだ。幻獣を攫うために忍び込んで保護官たちに見つかった。俺は密猟者を逃がすために囮になり、ジャックという名前の保護官のリーダーに捕えられた」

 おそらくは先代と呼ばれる人の事だろう。淡々とした口調に確かな信頼が感じられて、金星はレインとジャックの信頼の深さを知った。

「ジャックはおかしな男だった。俺を警吏につき出さず、人手不足だからと自分の仕事を手伝わさせた。俺は彼を、馬鹿な男だと思っていたな」

 レインの口元にかすかな笑みが浮かんでいた。

「ジャックといるうちに、俺は幻獣保護官という職に興味を持っていた。自然と、幻獣を守りたいと思ったんだ。それは後ろめたさや贖罪のためではない。俺の意志だ」

 自分の意志だとレインは言った。意志とは何かをなそうとする強い気持ち。ありのままの自分が望んだ、願い。

 意志ですか、と口の中で繰り返す。

 金星は草原の向こうの深い森を見つめて、岩場のドラゴンに思いをはせた。

「わたしは本当は、どうしたいんでしょう…」

 迷える小さな呟きは夜にとけ、寂しい世界に散らばっていく。


  ◆


 遠くからのシシラギ鳥の鳴き声を、男たちはじっと聞いていた。十数人の男が、狭い部屋の中に身を寄せるようにして隠れている。そこには西方訛りの強い男の姿もあった。

「あれを、どうにかしないとな」

「それは先鋒がなんとかするさ。おれたちはタラニスが終わり次第、保護区へ侵入して、ドラゴンを捜す」

「保護官はどうする?」

「それは鷹の目が片づけるから、心配せんでいいで」

 男たちはしばらくぼそぼそと密談を続けていた。

 灰色の建物を打ちつけていた雨は、もう間もなく上がろうとしている。

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