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辺境の村の幻獣保護官  作者: 和花
第一章 見習い保護官とフロスベル保護区
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1-2

2.

 次の日、金星が起きるとレインの姿はなかった。日が顔を出したばかりなのに、ずいぶん早起きだと思いながら台所に降りる。食事の準備はまだだったので、ライ麦パンを薄く切り、ハムとスクランブルエッグをはさんで簡単な食事を用意する。しばらくして顔を出したレインは、テーブルの料理を前に軽く目を瞬いた。金星は彼にぺこりと頭を下げる。

「おはようございますレイン先輩。今日からお仕事ですね! ふつつかものですが、ご指導のほどをよろしくお願いします」

「仕事……か」

「わたしは何をすればいいですか? あっ、癒し手の力を使うことがあるかもしれないですから、オカリナは持っていった方がいいですよね。他には何を――」

「お前は書斎で本を写していろ。あと夕食の用意も頼む」

「はい?」

 聞き間違いかと思ったが、そうではない。レインは真顔で、とても冗談を言っているようにも思えなかった。金星は首を傾げつつ疑問を口にする。

「あの……見回りはいいんですか?」

「俺がする」

 レインはそっけなく答えて、テーブルについた。

 食事をするようなので、金星もひとまず彼の正面に座って、目の前の料理を制覇しにかかる。材料がいいのか中々美味だ。食事が終わるとまた口を開く。

「あのっ、本当にわたしは本を写すだけでいいんですか?」

「ああ」

(……勘違いかもしれないけど、レイン先輩、何だか冷たくない? 返事が短いし、面倒に思われているのかな)

 内心でしょんぼりしながら、レインを追って書斎へ向かう。本棚は一つだったが、そこにはびっしりと本が詰まっていた。部屋へ備え付けられた書机には、なるほど、インクの詰まった瓶と筆記用具、それからノートがのっている。

「あれを全部写してくれ」

「わかりました。あれを写せば……って、ええぇーーーー!?」

 レインは無関心な瞳のまま、本であふれる棚を指差してこともなげに言う。

「あれ、全部ですかもしかして!?」

「ああ」

「ああって、そんな簡単に言わないでくださいよ。無理ですよコレ!」

「じゃあ、俺は出かけるから、留守番も頼む。だた、もし誰かが来ても出なくていい。居留守で通してくれ」

「え? あのっ」

 泣き言など聞いてくれない。金星は反射的に言い返そうと口を開くが、言葉が出てこない。しばらく意味もなく呼吸を繰り返して、改めて聞く。

「つまりわたしは、扉に鍵かけたまま、ここであの本を写して、来客が来ても無視して、夕食の時間に二人分の食事を作ればいいんですね?」

 こくんと頷く無愛想な先輩を前に、金星は今度こそ言葉を失った。レインはいう事は言ったとばかりに書斎を出ていく。

 こうして金星の、フロスベルでの幻獣保護官見習いとしての仕事が始まったのだ。

 当然ながら書物には西大陸の言語が使われている。西言語は話すのがやっとで、文字まで覚えていなかった金星は、遺跡の奥にある謎の呪文を書き写している気分でペンを進めた。正直だるい。この作業に何の意味があるのかわからないうえ、読めない本を写していても楽しくない。金星は拷問に近い感覚を覚えた。

 ただ、写真には幻獣や見たことない動物が写っており、それを眺めるのは楽しい。先に絵だけみてしまおうかと思うが、ぐっとこらえて、映し終わってページを見たときのご褒美に取って置く。

(うぅ、これを本当に一日中……?)

 保護官は、柵内の幻獣保護区を見回って、幻獣が無事か確かめ、怪我した動物がいれば癒し、侵入者を排除するのが仕事と聞いた。

 なのになぜ、書きとり……。

 釈然としないながらも、素直に指示に従う。部屋の柱時計が、ぼぉーん、ぼぉーん……と九つの鐘を鳴らす。まだ今日は始まったばかり。ふと金星は、ここへ来る途中に馬車の窓から見た、緩やかに蛇行する川を思い出す。あの川のように、時間が流れるのがやけに遅く感じられた。



 一日ならまだしも我慢できた。が、二日、三日、四日……とまったく同じことをさせられると閉合する。先輩の言葉なので、あからさまに否定できないのだが、さすがに我慢の限界がある。滞在一週間が過ぎた朝、ついに金星はレインに切りだした。

「わたしは一体いつまで書き取りを続ければいいんですか? さすがに毎日だと、腕が疲れるし……なにより幻獣とちっとも交流できないなんて、これじゃ、幻獣保護官になった意味がないですよ! いくら見習いだからって、あんまりです!」

「全部写し終わったのか?」

「まだ……ですけど……」

 声がしおしおとしぼんでいく。本当に、本棚にぎっしり詰まった本を全部、写さなければならないのだろうか。それは少々キツイ。精神的にも肉体的にも……。先ほど言った通り、連日ペンを動かし続けた影響で、右手首が痛かった。

 無言の抗議に気づいたのか、レインはほんの少し眉を寄せて、困った表情になる。しばらくの沈黙の後に告げたのは、こんな言葉だった。

「それなら、卵と野菜がなくなりそうだから、近くの村まで買い出しに行ってくれ」

「はい、わかりました。買い出しくらいお安いご用です」

 拷問みたいな書き取りから解放されるなら、何だってできる。いまなら、故郷の鏃国の激マズ薬草スープだって、何杯でもお代わりできそうな気分だ。

 保護官が生活する家の横の建物は馬舎になっていて、栗毛と黒毛の馬が呑気に飼葉を貪っていた。二頭の馬を前にして金星は歓声を上げた。

「馬がいるなんて知らなかったです。教えてくれれば、世話をしたのに……。世話したかったのにい!」

 若干むくれて上目遣いに見ると、レインは戸惑ったように唇を曲げる。

「世話と言っても、朝と夜に飼葉をやるのと、たまにブラシで手入れするだけだ。それよりも、お前は馬に乗れるのか?」

「ばっちりです。これでも故郷の鏃国では、天馬も飛んで逃げる絶妙的な馬さばき、と評判だったんですよ」

「絶妙的……? 絶望的ではないだろうな?」

「なんでも、暴れ馬に乗って建物に突っ込みそうになっても、すんでのところでぶつけないのが、中々に絶妙的なんだそうです」

「……気をつけろよ」

 レインはおとなしそうな栗毛の馬を柵から出して、手綱を金星に渡す。金星は金の瞳を子供みたいに輝かせて、馬の首に抱きついた。柔らかい毛の感触。乾いた干し草のにおいが鼻をくすぐる。

「この子の名前はなんというんですか?」

「ブラウン。あちらがチャコールだ」

 金星は微笑ましくなった。馬の色そのままで覚えやすい。その安易な名前の付け方が、無愛想なレインらしいと思った。

「ブラウンもチャコールも、先輩に可愛がってもらっているのね」

 金星は栗毛の馬にそっと呟く。彼らの艶やかな毛並みは丁寧に手入れしてもらっているのをうかがわせた。金星は鞍をつけて荷物袋を運べるようにして、栗毛の馬にまたがった。

「それじゃ、行ってきますね」

「……夜までには帰れよ」

「心得ました。レイン先輩も、お仕事、気をつけてくださいね」

 相変わらずの黒装束の背中に声をかけて、手綱を引いた。

 馬上で草原の空気を吸い込むと、金星の口元に自然と笑みが広がった。フロンフルバニアは温暖な気候に恵まれた、緑豊かな土地である。西大陸のほぼ中央に位置し、周りを高い山に囲まれているためか、侵略とは無縁の土地であった。そもそも、今の時代は、南の小国が内乱を繰り広げているほかには戦の噂などない、平和な時代だ。

 だからこそ、幻獣を保護する余裕があるのだろう。

 金星は草原をかけながら、フロスベルを観察する。太陽は柔らかな光を投げかけ、地上を明るい光で満たしていた。遥か彼方の空の隅に、小さな入道雲が見える。一時間ほどすると、前方に細い緩やかな川が見えてきた。その向こうの、少し高い場所にフロスベル村がある。金星は、橋代わりにおかれた円い飛び石をこえて村へ入る。


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