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ウンリュウたちの傍を離れた金星は、銀のシートの上でわいわいと騒ぐ男女と精霊たちを横目に歩いていく。
さすがに毎年開くだけあって、久しぶりだなあ、とか元気にしてたか、とか親しげな言葉も聞こえてきた。
ざっと見た村の人間は一〇〇人程度。仲良く雑談する人たちの中には、アルベルトとアンナの姿もある。
(レイン先輩はやっぱりいない……どこに行ったのかしら?)
「おっ、お前、見かけない顔だな」
騒がしい道を歩いていた金星の鼻先に、小さな指が突き付けられた。金の巻き毛と愛らしい緑の瞳。男の子の姿をした樹精霊が、金星の目の前にふわふわと浮いている。簡素な白い服に首元の緑色のスカーフ。背中には薄い虹色の蝶みたいな羽があった。
それを見た金星は頬をかすかに上気させて、にっこりと微笑んだ。
「わたしはここの新人幻獣保護官見習いの金星です。あなたは樹の精霊ですよね?」
「おれはエコー・エルス・クディオだ」
樹精霊――エコーは、背中をそって得意そうに言う。精霊というより幼い男の子のようで微笑ましい。
「わたし、精霊さんを近くで見るのってはじめてです。さっそくですが、ちょっと触ってもいいですか?」
ファンタジー小説にでも出てきそうな可愛らしい姿に、どんな感触がするのだろうとうずうずしながら手を伸ばす。
金星の期待に満ちた表情にエコーはちょっと目を細めて、それから腕を組んで偉そうに高みから見下ろした。
「お前がおれの下僕になるなら許可する」
「はい、なります!」
言うや否や金星は手を伸ばして優しくエコーをつかむ。腹をつままれたエコーはむぎゅうとつぶれた変えるみたいな声を出す。
「な、なりますってな、お前そんな簡単に言っていいのか! 下僕だぞ!」
「下僕って、お手伝いさんみたいなものですよね? こう見えてもわたし、雑用は得意なのでお安いご用です」
「おれが豚の振りをしろと言ったら、お前はぶぅぶぅ言わなきゃなんないんだぞ。それでもいいのか!」
「ええ、全力で頑張りますっ。わたし、豚さんはあの鼻としっぽが可愛らしいと思うんですよ。でも、豚さんを同じ場所に入れておくと、ストレスで互いのしっぽを食べちゃったりするんですよ」
「どうでもいい話をするな~!」
手の中でばたばたと暴れている精霊の、ほっぺたを指で触る。人肌みたいな感触だが、どことなく体温が低い気がする。
(は、初めて……ここに来て初めて不思議生物に触ったかもしれない。やっぱり精霊って、人間とは違うっぽい感触なのね。うぅ、幸せ~)
幻獣保護官になって二週間以上だったが、やったことといえは読めない言語の書き取りと、氷砂糖を鍋で溶かす作業だ。
過去をしみじみと思い返しながら、うっとりと精霊に頬ずりする金星を、つかまれた本人は呆れたように半眼で見ていた。
「おい、どうしたんだエコー。お嬢ちゃんに甘えてんのか?」
近づいて来たのは赤ら顔の背の高い男性だ。二十代後半ほどの彼は、麦酒のたっぷり入った木のコップを傾けて酒を飲みながら、にやりとエコーに目を向ける。
「違わい!」
「そうですよ。わたしが甘えさせていただいたんです」
そっとエコーを解放すると、彼は異常がないか確認するみたいに体を伸ばしたり、回転させたり、こきこきと首を振ったりした。
赤ら顔の男はデニムという名前だと、彼の隣にいたペルーおばさんの旦那さんが教えてくれた。口は悪いがいい奴らしい。
「なあお嬢ちゃん、精霊が好きなのか? わりいこと言わないから、こいつらと係わるのはやめておけ」
「どうしてですか?」
「そりゃあ、三日しかいねえわけだし、無駄だよ無駄。どーせいなくなるんだから、初めからいねえと思って無視してりゃあ、いんだよ」
デニムは吐き捨てるように言って酒をあおる。旦那さんが窘めるような視線を送り、エコーは反感の色をあらわにした。
「なんだとぉ? おれはここにいるぞ! お前、目ぇついてんのか!?」
「いないと思って、っていっただろ」
「いないと思っても何も、おれはここにいるぞぉ」
「ったく。精霊にゃあ、曲解な解釈が出来ねえのかよ。馬鹿だろ」
思わずという風に呟いたデニムの右手を、旦那さんが引っ張った。
「悪いね二人とも。このとおり、アホな酔っぱらいだから見逃してやってくれ。ほら、行くぞ酔っぱらい!」
そのままデニムを強引に引きずりながら離れていく。二人を見送ってから、エコーが仕切り直しとばかりにぶんぶんと腕を回した。
「おい下僕、行くぞ!」
「えっ、え? 行くって……どこへ行くんですか?」
「どこでもいいんだよ。三日三晩、遊びつくしてやるぞっ」
「はい! ふふっ、精霊さんと遊ぶ日が来るなんて、思いませんでした。何をして遊びますか?」
「お前が決めろぉ!」
小さな精霊の力強い言葉に押されるようにして、金星は足早に歩きだした。




