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精霊祭当日は良く晴れ渡っていた。青空の下でほのかな桃色に輝くカイユ花の粉をふりまいて、フィアは地面に複雑な模様を描く。古代から伝わる精霊召喚のための陣だ。
ちょうど、アルベルトの家の前にあたる広場で儀式は行われる。今は、雄々しく叫ぶ鶏たちの小屋には、黒色の幕が下ろされている。
むき出しの土の地面に、フィアが小瓶を傾けて陣を描く様子を、村の人間たちは和気藹々と話しながら見守っていた。
「いったい、今年はどれだけ飲まれるだろうな」
「去年みたいに、村のもんが酒を買い足しにいくことになるか?」
「去年は精霊様というより、フィア様とウンリュウにあらかた飲まれただろう。今年は自粛してくれるはずさ」
「どうだろうねえ」
ウンリュウはいつものように締まりのないへらへらした顔で、あさっての方向へ顔を向けている。そんな彼を呆れ気味に見る男性たちの輪から抜け出し、金星はレインを捜す。女性たちは村で宴の最終準備をしているので、ここへ集まっているのは男性ばかりだ。
(あれからレイン先輩と話す機会がなかったけど、気が変わったりしないよね?)
ちょいちょいっと最終確認的なことを聞きたい。そんな気持ちできょろきょろしていた金星の頭を、大きな手がぽんぽんと優しく触れた。
振り返った金星は、穏やかな若草色の瞳を見つける。
「アルベルトさん?」
「金星ちゃん、久しぶり」
片手を上げて気さくに話しかけてきた青年に、金星は微笑みを返した。
「はい、お久しぶりです。ところでそちらの方は……」
「まあ、まあ、まあ!」
アルベルトの背後に立っていた小柄な女性が、金星を足元から頭の上まで眺めながら、驚きと笑いをかみしめているような声を出した。
それから肩で切りそろえた赤毛を耳の上から押さえて、悪戯っぽい笑みでアルベルトを見上げた。
「とっても可愛らしいお嬢さんね。アルの彼女かしら?」
「な、なに言ってんだよ母さん! 金星ちゃんに失礼だろっ」
「あらあら。照れなくてもいいじゃない」
楽しそうに笑う女性の表情は、よく見るとアルベルトに似ている気がする。それに気づいた金星は、姿勢を正して彼女へ向き直った。
「アルベルトさんのお母さんのアンナさん……ですよね。チェリーパイ、とってもおいしかったです。それにえっと、息子さんにはいろいろとお世話になりまして……」
言っているうちに何か違う気がして、言葉が迷子になってしまう。アンナは微笑ましそうぎゅっと金星を抱きしめた。
「ひゃっ、な、なんでしょう!?」
「今までの子はね、私のパイを食べる前に、みんな帰っちゃったのよー。だから、よその土地の人に褒めてもらえるのは久しぶりだわ。それに、こんな可愛らしい女の子がおいしいと言ってくれるなんて、感激よっ!」
「母さん、やめろってば。金星ちゃんが困ってるだろ」
アルベルトが、自分より背の低い母親を金星から引き離す。それから強敵にびびる猫みたいに固まっている金星をちょっと申し訳なさそうに見た。
「ごめん金星ちゃん。母さんって、表現がオーバーだから」
「なによ。私はね、抱きつくと見せかけて、アルの未来のお嫁さんの胸の大きさを探っていたんですからね。私の目測では金星ちゃんは――」
「母さん! 妙なこと口走んないでくれよっ!」
真っ赤になってアンナの口をふさぎにかかるアルベルトがおかしくて、つい吹き出してしまう。そんな金星を見て、親子はお互いを前に笑い出した。
「もうっ、私たち笑われたじゃない。アルのせいよ」
「なんで俺のせいなんだよ。明らかに母さんが問題だろ?」
むむむ、と軽くにらみ合う様子もよく似ていて、金星は微笑ましくなった。とても仲の良い親子だ。少し、養母の月夜を思い出した。彼女はきっと心配していることだろう。今度、手紙でも書いて送ろう。
その時、親子の団欒に水を差すように、ぱんぱん、と手を叩く音が聞こえてきた。
地面に描かれた複雑な模様の上に、可愛らしい少女がちょこんと立っている。
少女――フィアは集まった人々をじろりと眺めまわして、高らかに言葉を告げた。
「これから、精霊召喚の儀を始める」
村の人たちがざっと陣の周りに円になった。金星はアルベルトに手を引かれて、人々の輪の中に混じる。
「金星ちゃん、手を貸して」
アルベルトが小声で告げる。見ると、輪になった人々が両隣の人と固く手を握り合っている。これも儀式の一環らしい。
(わわっ、なんか異文化って感じで、新鮮だあ)
金星は左手をアルベルトに差し出して、もう片方はアンナと繋ぐ。ふと思い出して輪になった人々に目をやるが、年配の男性たちばかりで、レインの姿は見つけられない。
「金星ちゃん、精霊祭についてどの程度知ってるの?」
アルベルトが小声で話しかけてくる。
「えっと、普段は封印されている精霊たちが、三日だけ解放されるんですよね。それで、今までの準備は精霊たちをもてなすためのものだと」
「うん。その通りだよ」
「でも、三日だけしか解放されないなんて、精霊たちが可哀想ですね」
事情があるとはいえ、釈然としないものを感じる。アルベルトは驚いたように目を瞬かせて、それから優しげに笑う。
「……仕方ないよ、運命だから。そう決まっているんだ、どうしようもないんだよ。金星ちゃんもさ、笑顔で精霊たちを迎えてやろう? ……始まるよ」
陣の中央に立ったフィアが、にぃと笑みを浮かべた。彼女の右手には大きすぎる歪な樫の杖が握られている。
「精霊どもよ、一時の享楽を与えよう!」
フィアが杖の先を陣に振り下ろした。カッ、と稲妻が落ちたかのような轟音。同時に、陣の中から様々な精霊が飛び出してきた。
大人の手よりも少し大きな、半透明の少年少女が空中にふんわり浮いている。彼らは羽もなしに、空中をすいすい泳ぐように動き回った。水が形をとったようにほのかな青色の雨精霊。薄い桃色の花のドレスを着た花精霊。白いふんわりとした服装は雪精霊だ。
「今年も春がやってきたぞ。メイの月だぁ」
「果物に薬湯酒、それからたっぷりの金平糖」
「わたしの器はどこにあるの? 今年の器は美しい晴れ雪の銀」
精霊たちは金楽器のような細い声で、歌うように言葉を紡ぐ。彼らの声は人間にはない独特の響きで、山彦みたいに何重にもなって聞こえてくる。
「さあ精霊ども! 三日三晩を、飲んで、食って、騒いで、歌って、大いに楽しむがよい!」
フィアの声に、精霊たちは花びらがはじけるようにして村の方向へ降りて行った。




