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辺境の村の幻獣保護官  作者: 和花
第二章 見習い保護官と精霊祭
11/82

2-3

 そんなわけで夜に拠点へ戻ってきた時には、疲れてくたくたになっていた。温泉で流した疲れが倍になって返ってきた気分だ。

 男たちはまだ働いているのか、拠点にいたのはフィアだけだ。彼女は書斎の扉に手をかけ、「邪魔をするなよ」と一言。扉をバタンと閉める。

「は、はあ……わかりました」

 神妙に頷いた後、金星は台所で夕飯の支度へ取り掛かることにした。

 血抜きした兎をさばいて、塩胡椒で下味をつける。新鮮な野菜は食べやすいサイズに切ってサラダにする。それから兎肉を鍋に放り込んで火にかけ、スープを作る。あとは出かける前に下拵えしたベーコンとジャガイモのキッシュを窯で焼く。

 キッシュがほんわり焼き上がって、辺りにベーコンの香りをふりまくころに、レインとウンリュウが帰ってきた。

「お帰りなさい」

 金星はにこやかに微笑みながら、出来上がった料理をテーブルに並べる。

「さっすがー。やっぱ女の子の作る手料理は違うぜぇ」

 ウンリュウがひゅうっ、と口笛を吹いて、いそいそと席に着いた。

 いつものように祈りをささげてから食事をする。食事への感謝をささげるのは、自然と密接して生きる幻獣保護官にとって当たり前のことだ。生き物の命をもらって今日を生きていることに感謝する。東大陸はぺたんと掌を合わせ、西大陸はすっと指を絡ませて握り、祈りの形をつくる。それから心の中で生き物たちへの感謝をささげるのだ。

 食事が終わると、「おっ!」とウンリュウが声を上げた。洗い終わった食器を片づけていた金星は、顔だけ振り向かせた。

「ウンリュウさん、どうしたんですか?」

「そういや、手紙を預かったのを忘れてた。金星あてだ」

 机の上に置かれた封筒の差出人を見て、金星は眉をひそめた。

「彼氏か?」

「いいえ、ただの幼馴染です。ところで、これって誰から預かったんですか?」

「俺様の知り合いの郵便屋だぜ。フロスベルまで配達に行くのが面倒だと押しつけやがって。で、なんて書いてるんだ?」

「えっと……読んでもいいですよ」

 興味津々のおっさんに手紙を差し出す。にやにやしながら文面に目を落とすウンリュウを、レインが冷めた目で見ていた。しかし席を立たないのは、彼にも多少の興味があるからだろう。

「えーなになに、『君がいなくなって静かで寂しいよ。もう、そちらの仕事にはもう慣れましたか』……ってまるっきし彼氏気取りじゃねえか。んで、『僕も頑張って、早く君のように幻獣と触れ合う仕事がしたいです』幻獣と触れ合う仕事ねえ……。ところで金星ってもうアンクタリアに入ったのか?」

「はい。一度だけですが」

 しかもその一度は流砂にはまって死にかけた。幻獣と交流どころか、姿さえ見ていない。

「ふーん、入ったのか。んで帰らないたぁ珍し……っておいおい、『今度、君の所へ行ってもいいよね? 滞在費なんかは僕が出すし、泊るとこくらいあるんでしょ?』ってどういう意味だ、これ?」

「ええっと……わからないです」

 金星は曖昧に笑っておいた。プライドの高い幼馴染が金星を頼ってフロスベル拠点へ来るとは思えないので、きっと遠まわしな嫌味か何かだろう。

 二階へ上がると、自室のベッドに寝転がってもう一度文面に目を通す。

 それから高原のきちんと整えられた茶髪と、眼鏡の奥で意地悪く細められた鳶色の瞳を思い浮かべながら、金星は手紙を『翻訳』する。

(騒がしい君がいないから、こっちは平和だよ。まだ、仕事は首になってないみたいだね? 僕も来年は、君より優秀な保護官になっているからそのつもりで。ところでさあ、僕って今、暇なんだよね。だから君の様子を嘲笑いに行ってあげようかな?)

 我ながら酷い『翻訳』だが、だいたいこんなニュアンスだろう。

(……ええと、高原ってば乗り込んでくる気かしら?)

 金星は、戦闘態勢で相手の動きを観察する猫のようにじっと文面を見つめていたが、やがて「もういいや」と面倒になって手紙を封筒へ戻す。乗り込んでくるならその時はその時だ。

 ベッドに仰向けになって目を閉じると、ヒュゥゥゥと透き通った笛を優しく吹いたように儚げな風の音が、宵闇の向こうから聞こえてくる。夜は好きだ。落ち着いた、どこか懐かしい夜特有の空気が染み渡っているのを感じる。遠くのほうで草が互いの体をこすれ合わせる小さな音がする。

 目を閉じて窓の外へ思いを寄せていた金星は、足元にある部屋の扉を叩く音に飛び上がりそうになった。

「な、何でしょうか!?」

「別に開けなくていい。少し話をしたいんだが、いいか?」

「……はい」

 金星は鍵へ伸ばしかけた手を引っ込めて、どうしようかと逡巡してから結局扉の前に立ったまま話を聞くことにする。

 声の主はレインだった。が、彼が金星に何の用があるのか予想できない。何か失敗してしまったのだろうかと、今朝からの行動が目まぐるしく蘇る。

(さっきの料理がおいしくなかった、とか? うーん、わかんない……あっ、もしかしてレイン先輩、昨日のことを怒っているんじゃ、ないかな)

「…………」

 いつまでたっても声が聞こえてこないので、金星は躊躇いつつ、扉の向こうへ疑問を投げかけた。

「あの、レイン先輩。いったい、何のご用でしょうか?」

「怒ってないか……?」

「え? それはむしろわたしが聞きたいのですが……」

 扉の外に再び暗澹とした沈黙が降りた。

 金星は固まったままいたたまれない気持ちになる。一体レインは何を言いたいのだろうか。ややあって、暗闇で紐を手繰り寄せるような不鮮明な調子の声が聞こえてくる。

「……まあ、いい。それより、精霊祭が終わったらアンクタリアの仕事をしてもらうからな。死なないようにしろ」

 えっ、いいの? との突っ込みは、次の言葉で吹き飛んだ。金星は鳩が豆鉄砲をくらったみたいな顔になって、しばらく扉を凝視していた。

 後半部分の内容をもう一度吟味すると同時に、その場で思い切り飛び上がる。聞き間違いでなく、彼は仕事をしてもらうと言った。よく考えれば当たり前のことが、こんなに嬉しいなんて、フロスベルに来る前はちっとも思わなかった。

「本当ですか!? 本気ですか!? 本当に仕事していいんですか?」

「あ、ああ」

 ついでとばかりに質問だ。

「もう書き取りはしなくていいですか?」

「それは……もういい。だが、アンクタリアに入るのが嫌なら……」

「まさか! もうしばらくペンもインクも見たくありません! 保護地区でお仕事するの、今からとっても楽しみです。レイン先輩がご指導してくださるんですよね? 気が変わったとかはなしでお願いしますよ」

「ああ。邪魔したな」

「いえいえ、それじゃあ、おやすみなさい!」

「……お前は、いかないでくれよ」

 喜びの海で溺れそうになっていた金星には、最後にぽつりと漏らされた、縋るような小さな声は聞こえなかった。

 脳内薔薇色のまま、ベッドにダイビングして枕をぎゅっと抱きしめる。

(やっと、保護官として幻獣たちと交流……じゃない、お仕事ができるんだわ。精霊祭も楽しみだけど、お仕事も今から楽しみ!)

 背の高い草を踏みしめて歩く真っ白なペガサスや、暗き洞窟で宝を守るドラゴン。深い森で静かに流れる川底では、青黒い海狸のアーヴァンクが巣をつくるための大岩を運んでいることだろう。

 眠りに落ちるまで、金星は夜の向こうのアンクタリアへと思いをはせた。

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