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辺境の村の幻獣保護官  作者: 和花
プロローグ
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プロローグ

――プロローグ――


 大草原の真ん中で、十五歳の金星きんせいは目を閉じて立っていた。幻獣保護官を夢見て六年。これから、ついにその一歩となる試験が始まる。

(もし失敗するとまた来年まで待たなきゃいけないんだよね。来年、また挑戦する気になれるかな……?)

 不安な心を落ち着かせるように、柔らかな風が吹きぬける。風は金星の長い黒髪を揺らして、白磁の頬を優しく撫でた。耳へ届くのはさわさわという草の歌。雨粒を吸った草の匂いは甘酸っぱく鼻をくすぐり、新鮮な気持ちで体を満たした。

「金星さん、準備はできましたか?」

「はい。最終試験、心して挑ませていただきます」

 金星は決意を新たに閉じていた目を開く。眩しいほど期待に満ちた瞳の色は――今宵は雲の下に隠れて姿を見せないが――夜空に浮かぶ月と同じ金だった。

「それでは、はじめてください」

 金星の背後に立った審査員の男が固い口調で告げる。彼と彼の背後に控える五人の人間は、全員が闇にとけこむ黒衣に身を包んでいた。

 一方の金星は、自分の持っている服の中で一番上等な服――故郷の結婚式できる純白の長衣姿だ。だが、まだあどけなさを残す金星からは、花嫁のそれよりも地上に降りてきた妖精を連想させる。

 金星は首元から下げられたオカリナを手に取った。祈るように空を仰ぎ、両手におさまる小さな蜜色の楽器にそっと口づける。細い音色が、ゆっくりと小さな波紋を広げた。

 目を閉じて、オカリナに強く長く息を吹き込む。白い指が躍るように動き回り、落ち着いた音色を奏でていく。流れるのは、まるで返ってくる山彦の声を小瓶に閉じ込めて、綺麗に一つに重ねて放したような音。

 どこまでも優しく愛おしい気持ちで、闇の中に存在する一つの命へ向き合った。

 ゆっくりと高低をつけながら演奏を続ける。

 ふいに、金星の音に答えるように闇の中がきらめいた。

 夏の光虫のようなぼんやりした丸い光が浮かんでいる。

 かすかに見える光に金星はそっと微笑んだ。光はびくりとゆらめいて恐る恐る近づいて来ると、音楽に合わせて動き出す。

 やがて光は金星の周りをくるくると楽しそうに踊った。

「そこまで」、という男の声で金星は音楽を止めた。

 再び静かな闇が下り、草原を風が駆けつける音ばかりが周囲を満たす。小さな光は歌の余韻を楽しむように、くるくると動いていた。

 金星の背後で、黒衣の人間たちがぼそぼそと何事かを話し合っている。それを見ながら、金星はじっと立っていた。震える手が、ぎゅっとオカリナを握りしめる。

 ややあって、審査員の男が口を開いた。

「夜光花精霊が喜んでいる。つまり、君の音楽には幻獣の傷を癒す力があるということだ。……しかし君を幻獣保護官にすることはできない」

 そこで男はいったん、言葉を止めた。

「――その理由は、君が一番よくわかっているだろう?」

 厳しい眼差しがこちらを見つめている気がして、金星は俯いたまま唇を固く閉じた。

 わかっていた諦めの気持ちと、どうしようもないもどかしさが混じり合って、気づけば手をぎゅっと握りしめていた。

 だが、どう思ったところで結果は変わらない。告げられた言葉は不合格。もし、まだ諦めきれないのならば、また来年まで待つしかない。

 そう思って、審査員に礼を述べようと顔をあげる。

「あの、今日は本当に――」

「君を幻獣保護官にするわけにはいかないが、君の才能を捨てるのは惜しい。そこで君、見習い保護官をやってみないか?」

 思ってもみない言葉に、金星は言いかけた言葉を呑みこんだ。

「見習い保護官、ですか?」

「ああ。安全な保護区内で簡単な仕事をする、準保護官みたいなものだな。給料は安いし、正職員としての保証もない。任される仕事は、したっぱの役割ばかりかもしれないが、それでもやるかい?」

 唐突な提案を頭はまだ理解できなかったが、心はきちんと審査員の言葉を聞いていた。

「や、やります!!」

 口からこぼれたのは力強い言葉。

 審査員はかすかに笑みを浮かべた。いつの間にか雲の切れ目から顔を出していた月が、静謐な光を投げかけてくる。

「そうか、やってくれるか」

「はい!」

「ならば、春先からは見習い保護官としてフロスベルで頑張ってほしい。また来年、期待しているよ」

 審査員の表情は真面目だったが、思いのほか朗らかな声だった。それまで無表情だった黒衣の人間たちも、次々に穏やかな表情になる。

 金星は彼らに向かって大きく頭を下げた。

「ありがとうございました。見習い保護官の任、謹んで拝命します!」



 純白の少女がいなくなった緑色の海の中で、黒衣の人間たちが、がやがやと季節外れの秋の虫のように騒ぎ出す。

「おいおい、いくら不合格だからって、本当にあんな細い……か弱そうな少女をフロスベルに配属してよかったのか?」

「しかも珍しい癒し手候補だろ? せっかく優秀そうな素材なのに、また一か月も待たずに辞めるんじゃないか?」

「可哀想に……あの子もトラウマになって、泣いて故郷に帰るんだろうな」

「なんたって、あの問題だらけのフロスベルだしなあ。あそこは、見回りに土地を歩くだけでも大変だ。俺は、今回の子は一週間も持たないのに賭けるね」

「いやいや、あんな子ほど、実は図太かったりするんだぜ」

「なら、賭けてみるか?」

 好き勝手に言葉を紡ぐ黒衣たち。その中の一人が、夜空を見上げている審査員の男に話しかけた。

「おい、コニーも賭けに加わらないか? あんた、あの子に何か期待しているから、フロスベル配属にしたんだろ?」

「いや……どうだろうな」

 コニーと呼ばれた審査員は、言葉を濁して苦笑した。

「やっぱフロスベルが保護官に嫌われんのは、土地のせいだろ。もうちょい、監視しやすいように整備してやりゃいいのに」

 黒衣の言葉に、コニーは肩をすくめて首を振るう。

「仕方ない。あの環境でしか、生きられない幻獣もいるのだから……」

 そうして、どこまでも続く草原の緑を婉曲に包み込む、夜の闇の奥を見据えた。

 文明が生まれてから何年もの長い時間が経った。

 この世界に、未踏の地はほとんど残っていない。新しい土地のために森は切り開かれ、あるいは畑を作るためにと焼かれた。野原の川はせき止められ、水を引くために側面を煉瓦で囲まれて、流れを変えられる。汽車の吐き出す煙で空気は淀み、生き物たちは住処を追われた。とりわけ、幻獣と呼ばれる生き物たちは、清浄な空気の、緑あふれる美しい自然の中でしか生きていけない。

 人間たちのせいで、美しい幻獣たちが滅びに瀕している。それを憂いた各国の王たちは、国の辺境に幻獣保護地域を設けた。大自然をそのまま残し、人間の立ち入りを禁止した幻獣たちの住む不可侵の楽園だ。見張り手のハーブの弦を張った柵の中には、幻獣保護官のみ足を踏み入れることを許される。

 保護官たちは区内の環境を整え、幻獣や絶滅しそうな動物、植物を保護したり、生態系を調査したりする。

 各国の保護地区は、妖精の責任者を筆頭に十数人の保護官が配属している。しかし、フロンフルバニア国のフロスベルにいるのは、たった三人。しかもそのうちの二人は、お飾りの責任者と、さぼってばかりの問題人だ。

 毎年の春にフロスベルへ配備された新人はその現状を知ってか、あるいは保護地区の過酷さに変易して、一か月と待たずに全員が辞めてしまう。彼らは、フロンフルバニアのもう一つの幻獣保護地域への移転を望み、叶わぬなら辞表を叩きつけた。

 あの少女もすぐにそうすることだろう。

 審査員たちはみな一様にそう思いつつ、頭の隅では、きらきらと輝く星のような瞳の少女に、一縷の望みを捨てきれないのだった。

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