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大切な用事

 夏休み、貴重な夏休み、青春の夏休み、勉強の夏休み。

 午前は学校で課外、午後は図書館で勉強、横にはいつも朝倉がいた。きっとどんな家庭教師よりも優秀だろう。分からない箇所は聞けば一発だった。


「ねえ、朝倉さん。この漸化式なんだけど……」

「ああ、これは一般項を求めようとしちゃダメ。帰納法で全体のまま大小を証明するの。」


「ねえ、朝倉さん。この反応熱なんだけど……」

「ああ、これは下手な公式よりもエネルギー図がかけるようになったほうが難しい問題にも対応しやすいわ。」


「ねえ、朝倉さん。コーシーシュワルツの不等式って覚えたほうがいいのかな」

「別にコーシーシュワルツの不等式ぐらい、答案の隅でささっと証明したらいいじゃない。ほら1分かからないよ。」


 朝倉はほんとに凄い。だけどそう思うたびにいつも出てくる疑問を俺は声にしてはいけなかった。



(なあ、朝倉。保育士の前は何を目指していたんだ?)





 がむしゃらに勉強した。俺と朝倉の仲は確実に深くなっていった。けれどそれは図書館での勉強仲間としてであり、それ以上でも以下でもなかった。教室なら俺は岸と喋るし、朝倉は静かでおとなしい女子になる。まるでそうすることが賢い女子としての義務であるかのようだった。



 気がつけば8月の中旬になっていた。


 月曜日、学校に行くのが少しだるい。理由は簡単、この土日に模試があったからだ。

 TK大オープン戦

 断っておくが野球ではない。

 大手予備校が主催するTK大入試を意識した模試。

 結構な数の丸高生も受ける模試。

 俺が村松先生を納得させるために、そして自分自身との戦いのために、C判定を出さなければいけない模試。



「なあ田口、昨日の模試出来たか?」

 俺が席につくなり横から岸が聞いてくる。

「さあ……、どこからを出来たって言えるのかな?」

 俺は曖昧にこたえるしかなかった。自分でも手応えが分からなかった。

 もちろん自分の力が伸びたのは感じることができた。だけど入試は相対評価だ。俺より優秀な人だって力は伸ばしているはずだ。


「とりあえず数学は完答が2つと半分が2つ、ほぼ白紙が2つってとこだった。」

 岸の手応え通りなら数学で5割をとったということだ。やっぱり岸は賢い。俺は完答1つに半分が2つだった。

 国語や英語は自己採点がしにくいのであまり話さなかったが、理科でも岸とはやはり差があるようで、特に岸が得意な化学では結構な点差が開いた。


「テスト返ってくるの9月25日だろ? だいぶ先だな~。まあAは無理でもBは出て欲しいよな~」


 岸、お前はやっぱり凄いよ。テニスも最後の大会まで続けて、それでもそれだけ勉強ができて。


 ペアだった俺は2年の秋にラケットをおいてシャーペンをとったのに、それでもまだお前に追いつけないよ。




~~~~


「ねえ、田口くん。土日の模試どうだったの?」

 図書館で会ってすぐに朝倉は尋ねてきた。この夏休み、俺はかなりの時間朝倉に勉強を教えてもらったし、朝倉はかなりの時間俺に勉強を教えていた。そんな夏の結果が気になるのも当然だろう。だけど残念ながら俺にはいい報告が出来ない。


「いや、多分そんなに良くない……岸より出来てなかったし……」

「あ~岸くんか~。岸くん賢いもんね。」

 そういって朝倉はしばらく沈黙した。


「あっ、もちろん田口くんだって賢いのにね。」

 そして無いほうがいいフォローを慌てて入れてくれた。

 俺や岸よりも賢い朝倉が言うとまるで園児が本気で小競り合いしているのを仲裁する保育士みたいだった。三頭身の園児になった自分と岸を考えると少し笑えてくる。


「何にやけてるの?」

 変なイメージをしたのが表情に出てしまったようだ。


「ほら、もっと賢くならないとTK大は入れてくれないよ」

「わかってる、わかってる」




 そして俺達はいつも通り勉強をする。それ以上でも以下でもない。

 けれどなんだか今日はそれがいやだった。勉強に気がのらなかっただけかもしれない。


 時間が過ぎていった。


 朝倉に質問をしなかった。質問をしたら今日もまた勉強の仲になってしまいそうだった。やっぱりそれがいやだった。模試の出来が微妙だったからかもしれない。


 時間が過ぎていった。


 朝倉は荷物をまとめて帰る準備をしている。

 別に夏の間はいつもそうだ。夕方に朝倉が帰って、俺は閉館まで残る。ただいつもと違って今日は図書館でした会話が少なかった。


「じゃあね」

 朝倉が手を振って去っていく。いつもなら俺もじゃあな、と言って手を振るだけだ。それをいつもと言えるぐらいの仲ではあった。


「朝倉、」

 だけど俺は朝倉を呼んでいた。さん付けをし損ねたのは俺にとってはどうでもいいことだったが朝倉は少しびっくりしたようだった。

「なに?」

 朝倉が振り向く。デジャビュか。いや、2回目だ。本当はもっとかもしれないけれど朝倉に対しての気持ちを明確に感じたのは2回目だ。


少し、いやかなり緊張する。多分俺が伝えようとしていることの意味することを俺自身も分かっているからだろう。



(8/25(日)、夏祭り)


 いつからだったか図書館に来る道中にポスターが貼ってあった。毎日、それは漠然と目にとまっていた。



「今度の日曜のさ……」

 口調がかなりたどたどしくなってしまう。朝倉にもこれがお誘いだってことはわかるだろう。

「25日にさ……」

「25日?」

「うん、今度の日曜の25日にさ……」


「何? 私その日大切な用事があるんだけど」


大切な用事?


「どうしたの?」

「……いや、いいんだ。……もう帰るんだろ。じゃあな。」

 俺は朝倉を直視できなかった。自分がどんな表情になってるか分からない。朝倉に直視されたくなかった。

「うん。じゃあね。」


 朝倉が去っていく。行き場のない何かが俺の中を駆け回り続けた。


大切な……用事?


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