E判定とA判定
週に1回か2回更新したいです。
そんなに長くはならないつもり。
自分以外誰もいない教室で、俺は1人黙々と英単語帳に目を通す。
校庭ではまだまだ部活盛りの1、2年生が各々の運動に励んでいる。この炎天下の中であれだけの運動を去年までは自分もしていたと思うとなんだか信じられない。
時計の針を見ると1時20分を少し過ぎていた。担任との面談の予定時間より少し早いが、俺は荷物をまとめて職員室へと向かう。
1学期の終業式、大概の学生が夏休みの楽しみに胸を躍らせる日の午後に、俺は苛立ちながら職員室へと続く廊下を歩く。
それは俺が受験生だから夏休みを勉強に費やさねばならないことへの苛立ち……ではない。
俺は高2の秋からすでに受験生が如き勉強をしている。理由は簡単、国内最高のTK大学に入りたいと思ったからだ。
幸いになことにここ、丸々高校はなかなかの進学校である。どれくらいかといえば、学年10位に入る奴らはTK大学にA判定が出るほどで、最終的には毎年30人ほどはTK大学に行ける。だから俺がTK大学を志望するのもめちゃくちゃにおかしいというほどでもない……はずだ。
しかし、今日俺は職員室に呼び出されている。それはこの間の模試の結果で、進路について話し合う必要があると判断されたということを意味する。
要はクラスに10人くらいはいる、少し無茶と思われる第1志望を書いた人間と見なされたわけである。
「失礼しまーす」
職員室の扉を開けて担任の村松先生の席へと向かう。そこでは俺の前に面談をしていた朝倉という女子が座っていた。朝倉はどちらかといえば目立たない、おとなしそうな奴なので進路面談に引っ掛かっているのが俺の中では少し意外だった。
「なんだ田口、もう来たのか。」
担任の村松が少し迷惑そうに言う。
「まだ終わってないなら廊下で待ちますけど。」
「いや、まあもう終わってもいいだろう。とにかく朝倉、もう少し考えてみろ。」
村松が少し投げやりにそういうと、分かりました、といって朝倉は席を立つ。
「失礼します。」
朝倉はぺこりと村松にお辞儀をして、一言じゃあねと俺に言って職員室を出ていった。
「ふう~、嫌な仕事だよほんと。」
ならやらなきゃいいのに、と俺は内心毒づきながら、村松がペットボトルのお茶を飲むことにさえ苛々する。
「え~と、田口は、……あった。TK大学にE判定か。う~ん、さすがに厳しいかな~。」
「でも先生、俺の順位は高2の秋から上がり続けてます。」
すかさず俺は反論する。実際、去年までは真ん中の200番をうろうろしていたが今回の模試では校内70番まで上げてきている。
「いや、確かに上がってはいるんだが……やっぱり受かる生徒はこの時期に悪くてもD判定をとっているもんなんだよ。」
「なら俺だって、ほら、あと5点あればD判定です。」
「う~ん、だけどな~。」
村松は弱った声をあげる。なんと言われようとも俺は志望を変える気などない。
「他のQ帝大じゃだめなのか。」
「だめです。俺はTK大で研究がしたいんです。」
しがない国語教師の村松には分からないだろう。そもそも理系のクラスを国語教師に担任させてる高校は何を考えているのだろうか。
「う~ん、困ったな~。」
俺としては村松が勝手に弱っているようにしか見えない。俺は受かるつもりしかないのだから。
「じゃあ夏休み終わりの模試で何判定だったら先生は納得するんですか。」
俺は半ば問いつめる形で村松に聞く。
「そうだな~、夏終わりならC判定は出てないと厳しいよな~。」
「分かりました。C判定ですね。」
そういって俺は席を立つ。今は少しの時間も惜しい。
「おい、田口!」
「失礼します。」
そういって逃げるように職員室を出ていく俺の後ろから村松の奇妙なぼやきが聞こえた。
「全く。朝倉と田口、頭が逆ならいいのに。」
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帰り道、学校のすぐ横のコンビニでパンを買った後に南へと自転車をとばす。
広い国道を駆け抜ける。見慣れた通学路。駐車場がバカみたいにでかいショッピングセンター。その横を曲がって細い道に入れば途中で墓地があって、ペダルをさらにこげば市の中央から徐々に遠ざかっていく。
ただし自宅にまっすぐと向かっているわけではない。
いつも通り、少しだけそれて自習のために小さな図書館へと入る。
実は高校の北にも図書館はある。そちらのほうが駅も近く、多くの丸高生が使う大きな図書館なのだが、いかんせん俺の家とは反対側なのでそっちより南の図書館に俺は入り浸っている。
中に入ると冷房が程よく効いていて、俺に勉強をやる気にさせてくれる。しかし今日は珍しく全体的に込んでいて空席がぱっとは見当たらない。
それでもどこかは空いているのがこの図書館で、とりあえず見つかった席に座った。相席なのがネックだがこの際仕方ないだろう。それに横の席の人は席を立っていて今は荷物しか置いていない。
俺はさっそく模試のやり直しをする。数学の大問3、これにまったく手が出なかったのがE判定の原因だと俺は踏んでいる。
格闘すること十五分、(2)までは理解できたが(3)が難しい。うんうん頭を捻っていると隣の席の人が戻ってきた。
「あっ」
っと先に言ったのは俺だった。
「あっ」
っと後に言ったのは戻ってきた相手、朝倉だった。
「……田口くん、ここで勉強するんだ。」
同じクラスとはいえ、朝倉とはほとんど話したことはない。なんとなく気まずいが、ここで黙ったら今日の残りの学習の間もっと気まずくなる。
「朝倉さんも勉強?」
丸高生であるからには4年生大学に進むのが普通だ。しかも大抵の生徒は俗にいう難関大を狙っている。進路面談に引っ掛かっている朝倉がまさか読書のために図書館にくるとは思えない。
「勉強……まあ勉強かな……」
そういって朝倉は手に持った本を恥ずかしそうにちらりと見せる。タイトルは『高校生のための大学数学入門』となっていた。
「マジかよ、朝倉さんこっそり優秀な人か~。」
理系クラスの女子は落ちこぼれるのがセオリーだ。だがクラスに一人か二人は優秀な女子がいる。なんとなく朝倉がそれなのは分かっていたがあえてオーバーに言ってみる。
「いやいや、私なんてほんとまあまあだから。」
そういう女子ほど賢いことを俺は2年半の丸高生活で学習している。
しかし思っていたよりずっと朝倉は喋りやすい。俺は自然と質問していた。当然、朝倉さんって彼氏とかいる? ……などではない。
「ねえ、朝倉さんってこの問題分かる?」
これぞエリート丸高生の会話。
「あっ、この間の数学ね。ちょっと待ってて。」
そういって朝倉は鞄から分厚いファイルを取り出す。ファイルはあまり整理されていない。朝倉は貰ったプリントを乱雑に入れるタイプの人のようだ。
朝倉が分厚いファイルをがさごそとしていると一枚のプリントが落ちた。
「ん、何か落ちたぞ?」
反射的に俺が拾い上げたそれは模試の判定だった。
「あっ、それは見ちゃダメ!」
その朝倉の一言よりも先に、俺の目はA判定が並ぶその紙を捉えていた。更に驚くべきはその学年順位だ。脅威的な偏差値の横には398人中1位と書かれてあった。
ここまでは普通に驚くことだった。だがもうひとつ、いや、ふたつ、俺を驚かせることがあった。
朝倉の第1志望が地元の短大になっていたことだ。当然A判定が出ている。
そして何故か第2志望にあるTK大学にもA判定が出ていたのだった。