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第4章 愛せない姫

惨たらしい事件の翌日…

遠くで鶏が鳴いた。


霊山アスラの屏風に守らた『黒の館』は、可憐なアズレード城を蝕むごとく近くに、溶け込むほど偉大にそそり立っていた。

それは復讐の根城。


城の別館として、王の血を引く一族の住居や、迎えし賓客を招く宿として使われていたのは、もう今は昔のこと。

ラグラスが、館に逃げ込むように住み着いてから、20年近くがたつ。

その黒の館の一室のこと…




(あたしはなんでこんな所にいるの?)


明け方の柔らかな日差しが、たっぷりと窓を覆った絹のカーテンからこぼれる。


広い広い部屋の真ん中に、ただ1つ、ベッドがある。


大きなベッドだ。ゆうに5人は寝れる。


そこにはいとも可憐な女が横たわっていた。


生まれたままの姿で、白いシーツに包まれる。昨夜の匂いはしない…清潔なものに取り替えられている。つまりこの醜態を、小間使いの誰がしかに見られたのだろうが…それすらもう、慣れてしまった。

金色の長髪を手繰り寄せて、肩の後ろに払う。長い睫毛を伏せて起き上がるその背中は、ユリのごとくしなやかで白かった。

美女は…囚われのネリネ妃は、薄く唇を開いて笑った。


(あの人はもういない…)


シーツは冷え切っていて、ネリネの肩を震わせた。


彼女の夫である男は忙しかった。国を治め、民を導く男だ。今は老いたと言えども、その意志は固く、情熱は熱い。


(彼は…ラグラスさまは、あたしを愛してくれる)


(けれどそれは歪んだ愛。悲しい愛。)




ネリネは貧乏な家に生まれた娘であった。親の記憶もおぼろげなほど幼い頃、借金のかたとして故郷の領主の家に召し出された。

そこで、わがままな領主の子らにいじめられ、幼いながらも美しいその顔故に、まだ女とも言えぬ歳で、街の酒場に売り飛ばされた。

踊り子となった彼女の美貌はたちまち注目を浴びたが、同時に何度も危ない目に合った。客を取られた踊り子仲間に刺されそうになったり、怪しい外国人に連れ去られそうになったり…。

そんな時、お忍びでやってきていたラグラスに惚れられ、高値で妻に買われたのだった。


なんとも不幸な少女に思われるが、ネリネは内心ほっとしたのだ。自分などと言う役立たずなものは捨てて、感情を閉ざして、ただただ年の離れた夫の言いなりになればいい…と。


ラグラスはネリネを愛した。

それは端から見ても明らかなほどである。彼にはお気に入りの遊女など余るほどいたが、どんないい女も決して妻にしようとしたことは無かったのだから。さらには、ネリネを正式な愛妾、第二の妃として迎えたことも、周囲を驚かせたのだ。


それ程にネリネは美しく、儚げで、男の心を揺さぶったのだ。まして、寝物語に少女の生い立ちを聞けばなおさら、守ってやると誓わせるに十分であった。


(どんなに愛してくれても…あたしはあの人を愛せない。)


黒の館の一室で、ネリネは立ち上がり、小間使いを呼ぶ。どこから見守っていたやら、素早く少女が現れる。甘い香木を焚き、水浴びを施し、絹の化粧着を着せかけた。


そして、鍵のかかった小さな黒い木箱から、布に包まれた「仮面」を取り出した。

それは、黒き男以外の者が、ネリネの麗しき顔を拝まぬように、思い上がった感情を抱かぬように、妻に課した「枷」だ。

夜の(ふくろう)が飛び立つ様を模したそれは、慎ましい淑女を覆って隠した。

ネリネが歩くたび、側面で揺れる輝石の数珠がちりちりと鳴る。瞳に取り付けられた魔除けの石は、内からは光を取り込むが、外からは深淵を覗き込むごとき恐怖を与えた。

しかし、おぞましき仮面から僅かに覗く…白き肌は、整った鼻筋は、幼さを残す(おとがい)は…

人を愛せない可哀想な少女そのものなのだ。


(だって、あたしには感情がないのだから)


こうして、彼女はその姿で館に君臨し続けてきたのであった。




お久しぶりです。少しでも感想頂けたら嬉しいです…♪

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