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第2章 姫の魂

第二章 姫の魂



『キョロ、キョロロロロ』

――窓の外には、すでに夜の帳が降りていた。


「これ、姫さま。起きませぬか!」

乳母が姫君の居室に慌てて入り込んできた。小鳥のルリリが驚いて、鳥籠の中でばさばさ羽ばたいた。

「…ポリアンサ。なぁに?」

「まったくもう、お忘れですか?今日はサフラン様の狩りの祝宴がございます。姫さまもご出席くださらないと!」


ミオは眠い目をこすって窓辺の椅子から立ち上がった。寝ていた時間はそう長くないが、腕を枕にしていたから痺れて不愉快だ。そういえば、12才の従兄弟サフランが、狩りに行って、なんとかゆう怪物を捕らえたと聞いた気がした。(実際にしとめたのは従者のコルチなのだろうが)


「やっぱり私も行かなくてはいけないの?近々、ペチュニアとサフィニアの結婚式まで同時にありそうだってのに」


「ええ。行かねばなりませんとも。陛下の顔を立てると思って。さあ急ぎましょう、そのだらしない格好をどうにかしなくては」

乳母ポリアンサは、姫君にも容赦がなかった。乳母は今すでに40代の半ばをすぎるが、かつてミオの亡き母と親しかったらしい。スミレ姫と呼ばれたという美しき母の記憶があまりないミオは、母の面影をポリアンサに求めていた。 ポリアンサも子がいなかったから、そうだったかもしれない…。


「シオン、バーベナ。姫さまを手伝いなさい。」


「はい。ポリアンサさま」

「はい。かしこまりました」


侍女たちが駆け込んできて、姫君の支度を手伝い始めた。乳母はやれやれとため息混じりに出て行った。




「ねぇミオ。どうして嫌がるのよ。サフラン様って美しいじゃない?」

ミオより小柄な侍女バーベナは、淡紫のドレスの紐をきつく締めながら呟いた。

「まぁ!従兄弟のことをそんな風には見れないわ。確かに美少年ではあるけれど、気が弱いとこがあるし…。それに、10も年下よ?」

「従兄弟と結婚することもあるだろう。王族なんだから。」

すらりと高い背を、ぎくしゃくかがめたシオンは、姫君に硝子細工のような靴をはかせた。


二人の侍女は、ミオソティアと歳も同じ。幼なじみであり、よき友である。


「だから…そういう考えが嫌いなの。なんていうか、浅ましいじゃない!みんなしてお洒落して着飾って、勇ましい戦士様でもいるってなると、きゃあきゃあ騒ぎ立てて…。」

ミオはふてくされながら立ち上がった。腰を強く締めているリボンが肋に軋み、華奢な靴の踵が痛かった。


「ミオは、王族としてのプライドとかではなくて、運命の人を探してるだけなんでしょ?」


「そう。そうよ。姫だからって美しい婿どのに嫁げるとも限らないのだし。運命の相手が必要だとは思わない?」


「…。バカバカしい」

シオンは扉の所まで歩いて行って、戸を開け放った。さぁ行こうとばかりに腕を広げて。


ミオがバーベナを見ると、半端な顔つきで笑い返してきた。


姫君は、幼い子どものような夢を信じていたのだ。もちろん普段は隠しているが、親友二人の前ではありのままに話してしまう。バーベナの冷静な応答も、シオンの呆れ顔も、互いをよく知っているからこそ成り立っていた。

まるでおとぎ話のような…白馬の王子が囚われの姫君を迎えにくる!…話を美しいと感じた。自分も美しく生きたいと願っていた。…だから、結婚に事急いて男に侍ったり、薄衣纏って男を誘ってその心を奪おうと躍起になったり、女らしくあるために菓子作りや裁縫に精を出す…そんな女たちは、見た目がどんなに麗しくあろうが、清くないと考えた。そういう事に煩わずに、運命の人を待ち続ける自分は高潔である、と自信を持つべきなのだと。




ミオはしずしずと、大広間への廊下を進んでいた。 灯りは乏しくて、なんとも頼りない。

(私は間違っているの?それは美しい生き方ではないの?)

いくら友情が強けども、シオンの態度はミオの心の奥深くに突き刺さった…。

姫君の前を歩くシオン。彼女には結婚を誓った恋人がいた。城の兵士食堂で働く、料理人見習いの青年である。まだ結婚を決めないのは、彼が貧しいからに他ならない。しかし二人は愛し合っていた。


(シオンの愛は美しいわ。私の求めるものそのもの。けど、彼女の考えは私とは違う)


「…着きました、姫。」

他ならぬシオンが言った。


―大広間の巨大な金の扉。

けっして独りでは開けられない…ミオが幼い頃には恐ろしい地獄の怪物の口みたいに見えた…何故なら、大広間で起こることと言えば、彼女を辟易させることばかりだったから。

(今日もまた怪物の口に入る。あぁ、嫌だ。部屋に帰りたい。)


入口の脇に控えていた兵士らが姫君に敬礼すると、一列に並んで金の扉を開けた。





わぁーっと上がったり下がったりする歓声。途絶えぬ話し声。皿のぶつかる音。かき消された祝福の歌。

王族の1人、現王の甥にあたるサフラン公は、大広間の奥の壇上で、ただ1人、兵士長の父君だの隣国の大臣だの老魔法使いだのに、褒め殺しにされて途方に暮れていた。今宵の宴の真の英雄、従者コルチの姿はそこにはなかった。

いつもの豪華なシャンデリアは、今日ばかりは黄色のランプに代えられていて、幼き殿下が白い頬を真っ赤に染めてはにかむさまを照らしている。


「まことに若君は多才であられる。勉学の知識も豊富ながら、武芸も達者ですなぁ」

「それに加えて色男っ!近頃有名な詩人が申しますことには、金髪の貴公子、麗しの美男、孔雀の瞳の天使など…つらつらつら」

「ほんに嬉しいことじゃの。わしは、大昔に、そなたの父君の狩りにお連れ頂いたことがあったが、いやはや『竜』などという生き物は見かけもしませんでしたわい」


「何をいう、マスター・イネ。ついに老いぼれたか?竜とドラゴンは住む地方が異なるのだけで、殆ど変わらぬ同種だろう。」

「は、これはこれはラグラス様!!」


白髪の老人が、突然ひざまずいた。その先には、右手に華のような美人を抱いて、左手に血のような赤ワインを持った、黒い男がいた。 大広間の客たちの視線がいっせいに集まる。


「まぁ、このように勇ましそうなドラゴンは見たことがないがな!わっははははは。」


男が笑うと、周りのお偉い方々もつられて笑い始めた。男は、現王の弟であり、サフランの父親であるラグラスであった。


「我が息子よ、よくやったな。褒美を遣わそう。ん、何がよいか?」


「……。」

サフランは真っ赤だった顔を蒼白にさせて、己の父を見上げた。手に掴まされていたワイングラスが小刻みに揺れている。


「申さぬか?欲のない若者だな。若い者は欲張るべきだ。儂はこの歳になっても欲にまみれておるぞ?」

そういうと、男は片手の女を強く抱き寄せて無理矢理唇を奪った。

とたんに大広間は、羨望とも畏怖とも侮蔑ともつかぬ空気に満ちた。

鳥のついばみ合うようなその光景に、幼きサフランは遂にワイングラスを落としてしまった。

ラグラスはうなだれた女を突き放して高らかに笑った。

「我が息子よ。そなたは儂よりももっと多くのものを手に入れる事が出来る。…まずはなんでもよい。強く何かを欲しるのだ。」

「……………。」


…沈黙。

……

………


「…ミオソティア様がおいででございます!」

静寂を破ったのは高らかに呼ばわる女の声だった。…侍女シオンの声に注目が集まり、やがて、多くの侍女を引き連れた淡紫のドレスの姫君がいることに気がついた。


「おぉ。なんと美しい小鳥姫!どうか我が息子の愚鈍な行いをお許しください。」

黒い男は言った。


(やだ、何なの。穢らわしいっ!人前で大胆にあんなこと…。あの女の人が可哀想。それにあぁ、サフランも!)


ミオの叔父である男は、壇上から両手を開いてこちらに向かってくる。ミオの前に膝を着くと、手をとって接吻した。整えられた口髭がチクリと当たってひどく不快だった。

ミオはさっきの美女に同情の視線を送ろうとした。…が、なんと女はほくそ笑んでいるではないか!



―姫君はサフランを救ってやりたかったが、とても出来なかった。気付けば壇上の片隅の椅子に座らせられていた。

ラグラスの合図でまた宴会は始まり、何事もなかったかのように、人々は大いに食べ大いに飲み、笑っていた。


(いいの。私はこれでいいの。)

(どうせ、救えないんだから。ただ生まれついただけのお姫さまなんだから)

悲しい訳ではないはずなのに、ミオの瞳は濡れていた。後ろに控えた侍女らが気づいているやらいないやら。

あ、あんな清くない女に微かに憧れているなど…そんなことはあるはずなかったのだ。そんな女に同情してやる自分の優しさを誇るべきで…周りがどう思おうと、それこそが自分なはずなのだ!


(…そうよ、それが私だわ。そのままでいい。変わらなくていいの)


姫君はサフラン公を見つめてみたが、また偉人たちに囲まれている。気付けば、下劣な黒い叔父も、数多の美女を連れて寝室へ向かったらしかった。


偉大なる第一王女がおいでになったというのに、誰一人とて見向きもしない。


当分の間、宴会は終わりそうもないので、ミオは侍女にばれないように、こっそり痛い靴を脱ぎ、腰のリボンを緩めた。

固まっていた腰が、少しばかり身動きが取れるようになったので、辺りを見回すと、なんと!

大広間の中央に、人混みに紛れて異様な生き物が横たわっていた。


(あれ…が、ドラゴン?)


灰緑の巨大な肉片のような、獰猛な蛇のような、おぞましい物体。巨人に噛み殺されたごとき無惨な姿。赤黒い血を噴く化け物。

矛の突き刺さったままの頭(あぁ、あれが頭だというのだろうか)の両方のこめかみから、灰色の鋭い角が出ている。眼球はあらぬ方向を向いていたし、開かれた顎は、牙こそ抜かれていたものの、小柄な大人ならばひと飲みに出来るだろう。


ミオは吐き気を覚えた。

非現実的なその光景に。堂々とつかれたあからさまな嘘に。


(抜け出したい。こんなところ!)

(汚い。なんて哀しい心の人ばかりなのだろう!)



…まばたきで涙を押し殺すと、ミオはゆっくりと目を閉じた。

雑念を取り払って、椅子に座り直す。瞼の奥が、真の闇に包まれるまでじっと、待って、待って…やがて闇夜に光が灯る。白い星が浮かんで、瞬きながら、明滅しながら、瞳の深海を泳いでゆく。速さを増し、星は2つに4つに…無数に分かれて散り、それぞれか溶け合いそうになる。

…ミオはさがした。探して捜して…見えたっ!!

たったひとつの青い星。かけがえのない自分の魂。

(……………ルリリ!!)




もはや、姫は人々からは遠く離れた所にいた。

ミオは飛んでいた。姫の魂は、鳥の形をして…親友であり自分自身であるルリリの姿になって、南の塔の姫君の居室から飛び出していた。

星空のもとへ。



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