罪と罰
「本当に行くの?」
入り口の階段に足をかけたようとした時、サラが言った。
軽蔑も、悲嘆も、まして喜びでさえ、その言葉には含まれていなかった。
「何度も言うけど、僕はここに残るつもりは無いよ。ただ死ぬのを待つだけの運命なんて、僕には耐えられない」
「死ぬと決まったわけではないでしょう。助かるかもしれない」
「どっちにしろ、もうこの星が壊れてしまったことに変わりは無いんだ。人工的に生かされるか、あるいはワクチンが開発されるか。色々な生きる可能性はあるけど、こんな腐った星では、どっちにしても人間的生活は望めない」
そうだ。もうこの星は、どうやったって助かるはずはない。だから僕は、行くしかないんだ。
「へぇ。まるであなたが行くところは、素晴らしい生活ができるみたいね。羨ましいわ」
違う。そんなわけない。だって僕が行くところは…………
「分かっててそういう事を言うなんて、やっぱり君はひどい人だね」
サラに向かって怒鳴ろうかと思ったけど、やめた。
たぶん今の彼女に何を言っても無駄だ。それに、言ってしまえば惨めになるのは自分だから。
これ以上決心が揺らげば、たぶん今度こそ、僕はどこにも行けなくなってしまうから。
「今から大犯罪者になるあなたに、ひどいなんて言われたくはないわ」
彼女は相変わらず無表情のまま、ただ述べる。
「僕は星を出る許可をもらってる。犯罪者とは言わないよ」
「ううん、そういう意味じゃないわ。あなたの罪はね、星を出ることじゃなく―――――殺人よ」
僕は彼女の言った意味が分からなかった。
だってサラは分かってるはずだ。僕が誰よりも『死』を恐がることを。
人が死ぬのを見るのが嫌だから星を出るのに、僕が人を殺すはずが無い。
「あなたは、この星の全世界の人々を殺すのよ。今この瞬間にいる、全人類を」
もちろん、私を含めて。
そう彼女は言うが、僕はますます分からない。
「できるはずないだろ。それに僕は人が『死』ぬのは大嫌いなんだ。だからこそ――――」
「だからこそ、そうやって自分が見えない所で皆を消そうとするんでしょ?」
彼女は少し怒ったようだった。
「あなたがこの星に戻るときは何年後? 五十年? 百年? 宇宙では時間の進み方が違うから、あなたが一年行っていただけで、こっちはそれ以上が経過する。あなたが帰ってきたとき、私たちの誰が残っているというの?」
彼女の口からは雪崩のように言葉が出てくるのに、僕からは何も出てこない。
「世界中の人間を殺すのと、自分だけが違う世界に行くのとは、何も変わらないわ。だってどちらも、その世界ではあなたと私たちは共存してないんだもの。それに、きっとあなたは百年しても戻ってこない。あなたが望むような世界になるには、きっと途方も無い時間がかかるから。あなたにとってはたいした時間でなくても、その頃には、今いる人々は誰一人として生きてはいない」
「…………………ごめん」
僕は、謝ることしかできなかった。それさえ満足にできなかったけれど。
「そう思うなら一緒にいてよ。長くは生きられなくても、私は最後まであなたと生きたい」
「それは…………嫌だ」
「どうして!? 私を愛してるって――――」
「言ったさ。もちろんそれは本当だ。だけど、だからこそ、嫌だ。僕は、最愛の人の死を見るなんて考えられない」
彼女の口が動きを止めた。
「僕は本当に臆病者だ。人が死ぬのを見たくなくて、どうせ死ぬならと、自分の目に写らない所で皆殺しにしようとする。そう、君でさえも。僕は『死』が恐いんじゃなくて、それを見るのが嫌なだけなんだろうな」
これこそ、究極のわがままだ。
僕は内心でそう思い、そして笑った。何も面白くは無かったけれど。
せめて彼女が最後に見た恋人の顔が、笑顔として残るように。
「それじゃ、僕は行くよ。これ以上ここにいると、離れられなくなる」
僕は階段をのぼりきり、中に入ろうとする。
「じゃあ最後に一つだけ聞かせて!!」
振り向くと、彼女が思い詰めたように叫んでいた。
「自殺という手は無かったの? 皆と同じように、あなたもここで死ぬことはできなかったの? 死を見るのが恐いんだったら、そうすればいいじゃない!! そうすれば、少なくともあなたの骸はここに残るわ! 私は、あなたが死んだ後でもあなたを見ることができる! なのに、それすらも許されないの!?」
彼女が涙を流した。
あぁ、罪深い男だ、僕は。
最後まで、彼女を笑わせてあげられなかった。
その上、泣かせてしまった。
これは僕が犯した罪の罰だろうか。
分からない。
でも、
「その骸を見ても、君は生きていられるのかい?」
僕はそれでも止まらなかった。
それだけ言って、彼女を振り返りもせず、一目散に操縦席に座る。
あぁ、僕は果たして笑顔でいられただろうか。彼女と、笑って別れられただろうか。
せめて、彼女の記憶に写る僕が、いつまでも笑顔でいられますように。
僕は、ロケットを発進させた。
× × ×
あれじゃぁ、僕が彼女を想って自殺しなかったみたいじゃないか、と今更ながらに思う。
それは決して嘘じゃない。彼女が僕の骸を見て後追い自殺をはかろうとするのは、目に見えていたから。けど、本当でもない。
僕はどこまでもずるい男だ。
そしてわがままな男だ。
だから自殺しなかったのも、たぶん自分のせいなのだ。
僕は『死』が恐い。人が死ぬのが。そして―――――自分が死ぬのでさえ。
つまり僕は、死にたくなかったから、自分以外を殺したのだ。
共存できないことがわかっていたから。
どちらかが、死なねばならなかったから。
しかし、彼女がこんなことを言っていたのを思い出す。
『――――世界中の人間を殺すのと、自分だけが違う世界に行くのとは、何も変わらない。どちらも、その世界では共存してないから――――』
だったら、例え自殺をしても変わらないじゃないか。自殺をすれば『死』の世界に行き、生きている人とは永遠にまじわらない。それは結局、今の自分と変わらない。
いや、もしかすると、僕以上の犯罪者だろう。だって僕は世界中の人を殺したけど、自殺すれば『自分』さえも殺してしまうのだから。
彼女はあれからどうしただろうか。
寿命をまっとうしたのか。それとも、ウイルスにおかされたか。
彼女の『死』を見なくていいのは良かったが、彼女がどうやって死んだか分からないのは残念だ。
願わくば、彼女が自殺をしなかった事を望む。
犯罪者になるのは僕だけで十分だ。その罪を背負うのも。
僕は丘にあがり、そこに腰をおろした。
そして景色を眺める。
人などいるはずのない、荒廃した大地を。
そして感じる。
自分の罪の重さを。
「これが、望んだ世界、か」
声は風に乗り、どこまでも流れていく。しかし残念なことに、この星にはその声を受け取る者は誰一人としていない。
――――そして僕は立ち上がった。この星の千年を殺した責任を果たすために。
たった一人で、生きていくために。