01
黒馬を傍らの木に繋ぐと、男は黒い外套を翻えした。
辺境の地に立つ白亜の塔。白石を組み上げて造られているその頂きは、真下からでは見えない程に高い。壁面を這う蔓を掻き分ければ、その奥に現われたのは幾重にも錠を掛けられている扉だった。
頑強な錠を壊し、重厚な扉を押し開く。抉じ開ける乱暴な扱いに抗議するかのように、古びた蝶番がギイギイと悲鳴を上げた。
敗戦の国に残された塔。天へと向かう柱。
『その塔には魔が棲んでいる』
数年前に市井で拾ったきり記憶に埋もれていた噂話。彼が辺境の地で「それ」を思い出したのは、遠目にこの塔を見止めたからだった。視察先を離れることへの躊躇いはあったが、好奇心の方が勝り、気が付いた時には馬の腹を蹴っていた。
伝承が本当ならどの程度の者が封じられているのだろうか。幸いに今日は気分が良い。気に入れば臣下に加えてやるのもいいだろうと思えた。
温度を遮る厚い石の影響か、塔の中を漂う空気は外よりも凛と冷たいものだった。光を取り込むための窓は幾つもあるが、今はその多くが鉄扉に閉ざされている。鉄扉が歪んだ僅かな隙間から、緑の葉を透かして光が差し込んできていた。
広間は朧が掛ったようにぼんやりとして、中央の螺旋階段だけが僅かな光にぼうっと浮かび上がっている。彼はその螺旋を目で辿り、上の方の眩しさに目を細めた。外壁を覆う蔦の所為で塔は下層の方が仄暗いのだ。塔の内部は天上へ行くほど白く輝いている。
硬い靴音を響かせながら、男は螺旋階段へと進んだ。
意外な事に、目的地と思われる場所に辿り着くまであまり時間は必要なかった。男の期待を裏切って、螺旋階段はこの最上部まで妨げなく続き、ここ以外、途中に室らしい物も無かった。
その室の中、窓辺に佇んでいる人影が一つ。入口に背を向けて、室に唯一の窓から外を眺めているようだった。頭の先から足の先までを白い布に包まれているそれは、随分と小柄な人の姿で、大した魔力も感じられない。悉く(ことごとく)期待外れだ。
ひとつ鼻を鳴らしてから、男は問う。
「お前がこの塔の主か?」
シャラリ。
何処からか金属の鳴る音が響いた。
ゆっくりと振り返った顔は意外にも年若かったが、それに関心するより先に鮮やかな色に射抜かれて、彼は呼吸を止めた。
白い紗と長い髪の間から覗くそれは、赤い色をしていた。絹も髪も肌も白い娘の、其処だけが滴る血のように鮮やかに緋い。緋色の瞳。
呼吸も忘れてしまった男の姿に、白い人影はことりと、容易く折れそうなほど細い首筋を傾げる。
(嗚呼)
囚われた視線を外せぬまま、男はぼんやりと感嘆の息を零した。
シャラリ。
また音が響く。艶やかな髪は星屑を零したようにきらきらと揺れていた。
「あなたはだれ?」
魅入られている事も知らず、娘は音を紡ぐ。
そうして、この世界に「美しいもの」があることを彼は知った。
辺境の地の白亜の塔。それが崩れ落ちたのは、人影を二つ乗せた馬が辺境の地を去った数日後の事。塔が瓦解したその場所には白い石と白い鉄扉。そして、銀色の鎖が残されていただけだった。