一夜目-ミラテナ
「そう。じゃ、ここは?」
「った、痛い!」
「ここね……ちょっと待って」
ミラテナは服のすそを裂き、長い布をつくった。それをリュギの左足、かかとより少し上のところへ巻いた。
光もほとんど差し込まない家の中にいるので、リュギの表情はかすかにしか見えなかった。しかし全身に力が入っているようすや、声を必死にこらえているようすはわかった。
「ありがとう……」
ミラテナが折れた左足の手当てを終えると、リュギは礼を言った。
「いいの。ほんとうは薬草か何かあればいいのだけど……」
「ううん、だいぶ楽になった」
リュギは上げていた左足をそろそろと床におろし、両足で立とうとした。しかしすぐ左足を床からはなし、腰を落としてしまった。
「歩けそう?」
「ちょっと……難しいみたい」
「ごめんね。もっと早く私が見つけていればよかったのに」
「いや、そんなこと。助けてもらってほんとによかった。それに、歩かずに飛べば大丈夫だし」
「そうね……」
「ミラテナも立ってないで、座って」
リュギは自分の座っている横を手で払った。この家は比較的壁や屋根が壊れておらず、家具もいくつか残っていた。リュギが座っているのは木で作ったテーブルである。ミラテナが腰を下ろすと、すこし軋んだものの問題なく体重を預けられた。
しばらく二人はそのまま座っていた。お互いが身じろぎする衣擦れの音が聞こえた。
「ねえ、どうしてわたしを助けたの」
沈黙を破ったのはリュギだった。ミラテナは用意していた言葉をそのまま口にした。
「さっきも言ったでしょう、あなたなら信頼できると思っていたの。そのあなたが戦っていたから、そして劣勢だったから」
リュギはしばらく黙っていた。
「でも……でも」
「でも?」
「わたしたちは敵でしょ。……最後に残れるのは一人なんだし」
「そうね」
「だったら、信頼とか協力とかは……」
「必要よ」
ミラテナは力強く言った。
「リュギ、あなたはイリトと仲がいいでしょう」
「え? うん、まあ」
「イリトが心配じゃない?」
「それは、うん」
「イリトと戦おうと思う?」
「いや、それは……」
「思わないでしょう。でも、最後に残れるのは一人よ」
「でも」
「それと同じでいいでしょう」ミラテナはリュギの言葉を遮った。
「確かに敵、ということになっているわ。でも、ほんとうに戦うかどうか、決めるのは私自身でしょう。そうじゃない?」
「うん……」
「それに、これからどうなるかなんてわからないわ。たとえば明日に私が死ぬかもしれないし」
「そんな」
「ことない、ことはないわ。わからないのよ、誰にも。だからここは四の五の言わず、協力しましょうよ。そのほうが楽よ、きっと」
ミラテナはそう言って、リュギの両手を握った。リュギはあいまいにうなずいた。まだ納得しきれていないようすだった。
かまわない、とミラテナは思った。リュギにはもう恩を売りつけ終わった。根が善良もしくは単純なリュギには売られた恩を踏み倒すことはできないだろう。それにリュギは手負いだ。
となれば、リュギをどう使うかはこちらの胸先三寸だ。今のところは、リュギを使ってイリトを引き寄せ、適当なところを見て二人とも殺すつもりだった。イリトと正面から戦って負けるとは思わないが、逃げ一手の相手を仕留めるのはなかなか難しい。いつ邪魔者が現れるかもわからない。
イリトがすでに殺されているということも考えられる。その時は、リュギを使って楽をし、終わりの近くになったら始末する方針でいこうとミラテナは考えた。実際、先ほどの言葉ではないが、四の五の言わず協力したほうが楽なのだ。交互に見張りをして睡眠を貪ることもできる、敵にも有利に当たることができる。ミラテナは最後に残るのが自分であることを疑っていなかった。そしてそこにたどり着く道はより平坦にしようと思っていた。自分ならばそれができるという自負もあった。他人の命や心はミラテナに響かなかったし、嘘や甘言を口にすることが後ろめたいという発想もなかった。
ミラテナは立ち上がり、扉から外をうかがった。ひと気はない。だが、外の空気がだんだん青みを帯びてきた。夜明け前の空気だった。
「リュギ、そろそろ朝みたい」
「ほんと? よかった」
リュギは片足で壁伝いに歩き、こちらへ寄ってきた。空はどんどん明るさを増してくる。空の黒い部分は西へ追いやられ、黒が薄まり濃紺、青、とグラデーションに染まっていった。星がどんどん姿を消していく。
いよいよ東の空から太陽が顔を出す、という時になって、ミラテナとリュギは目の前が一瞬真っ暗になるのを感じた。目が見えるようになると、外の様子は一変していた。
明るくなりかけていた東の空は、なぜか暗くなっていた。一転して西の空は薄く橙色が残り、そこに白い月が浮かんでいた。一番星も光っている。
「え? ……え?」
リュギはきょろきょろとあたりを見回した。ミラテナはあたりを探った。しかし敵の気配はない。
一瞬にして、夜明け前が日没へと変わった。夜が終わり、一瞬でまた夜が来たのだ。
(ルーナの七夜)
教えられなかった、七夜という言葉の本当の意味をミラテナは初めて知った。