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ルーナの七夜  作者: 立間
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一夜目-リュギ

 一時の隠れ場所に、リュギは物見台の上を選んだ。使われている木はぼろぼろになっていて、足を踏み入れた時はぎしぎしと音が鳴った。

 家の中より外から見られやすいが、逆にこちらからも周囲を見渡すことができる。その中でリュギは彫細工を作っていた。

 彫細工といっても装飾品や芸術品のたぐいではない。魔術の術式を刻んでおき、いざ魔術を使うときにはそこに魔力を通す。通常の詠唱を使うのに比べ、発動にかかる時間を短くできる。術式札と呼ばれるものだ。

 いつもは鉄でできた術式札を使うのだが、目覚めたときに手元にそれが見当たらなかった。袖なしの上着に肘覆い、布ベルト、髪留めは身に着けていたのだが、札は一緒に運ばれてこなかったのだろう。ただ、一応想定の範囲内ではあった。

 リュギは物見台の床の木を剥がし、これは手元にあった短剣でそれを刻んだ。鉄ならよいのだが、木だと魔術を発動したときに焦げてしまう。術式の一部でもが壊れるともうその札は使い物にならない。札はたくさん用意しておく必要があった。それに、この静けさはかりそめのものだ。いつ戦いが始まるかわからない。作れるときに作っておかなければいけない。

 木を刻みながら、リュギはちょくちょく頭を上げて周囲の様子をさぐった。先ほど一度稲光が光った以外、明らかに戦いが起こっているというしるしはなかった。

(イリトは……)

 まだ大丈夫だろうか、とリュギは思った。正直に言って、イリトがこの七夜に選ばれるとは思っていなかった。イリトは弱い。そのうち家へ帰されるだろうと考えていた。

 イリトの生家であるビダール家は、国内で五指に入る富豪だった。主に織物を扱う商人で、ほかに金貸しもしていた。

 イリトの父母はイリトを溺愛していた。イリトが望むものはすぐに与えられた。

 以前、イリトが海へ保養へ出かけたとき、海に浮かんだ小舟をほしがったことがあった。すぐに小舟がとりよせられたが、市中には船を浮かべる場所がない。小川はあるが船を浮かべられるほど深くはないし、一番近くの湖まで行くのには半日かかる。そこで、ビダール家の屋敷の邸内には池が掘られた。魚がはなたれ、専属の使用人が置かれ、水がわざわざ引かれた。

 そういう話を知っているのは、リュギが昔からビダール家に出入りしていたからだ。リュギの父も商人だった。しかしイリトの父ほどには商才がなかった。彼はだんだんにその財産を減らした。それに補いをつけるために金を借りた。出所はビダール家だった。そしてそれを返すためにまた財産を削った。

 なぜ父がビダール家に自分を伴っていくことにしたのか、リュギは知らなかった。おそらくは借金の申し込みか、返済の延期の交渉の話し合いの最中、広いビダール家の屋敷の中でリュギは放っておかれた。そこでリュギはイリトに出会った。

 二人はそのころ、七歳か八歳だった。まだ家の事情も何もわからなかった。二人は屋敷じゅうを走り回った。イリトの部屋の中で珍しいお菓子を食べ、象牙や彫刻をべたべたさわり、壁にかかった織物を体にまきつけてドレスに見立て、花をつんで頭に飾った。

 やがてリュギの父はビダール家に向かわなくなった。そのころには、リュギも自分の家とイリトの家の間の隔たりがわかるようになっていた。あの池を作るだけの費用が自分の家にあったら、と思うようになった。家の中にはだんだん物が少なくなっていった。母の指を飾っていた緑色の石もなくなり、絵入りの水がめも消えた。

 ときたまイリトに会った。イリトがやってきたのだ。

「なんでこのごろ来ないの? 遊ぼうよ」

何も知らないような無邪気な顔をして、イリトはそう言った。リュギは自分が引け目を感じていることに気付いた。そしてその引け目に自分で傷ついた。

 やがて、リュギはバリート=ルーナに入った。守護乙女となれば、数万の軍に圧倒する力を手に入れる。それは軍事的な力だけでなく、政治的な力ともなった。自分の家を引き上げることもたやすいだろう。それを表向きの理由として、リュギは家を離れた。

 学院の中と外は完全に隔絶されている。そもそも守護乙女候補を学院へ入れるのは、外部からの干渉を防ぐという意味が大きい。他の候補の少女を暗殺する、ということが学院のできる前は頻繁に行われていた。それで、十二歳になった時、守護乙女候補の少女は学院に入れられる。バリート=ルーナの門を再びまたぐのは、守護乙女候補を外れたときか、ルーナの七夜を迎えたときだ。

 だから学院に入ったとき、イリトには再び会うことはないだろうと思っていた。そのイリトが二か月遅れで入ってきたとき、リュギは心底驚いた。

(そして、こうして今に至る)

 リュギは短剣をつかいながら考えた。リュギには戦略はなかった。ただ戦おう、と思っていた。それがどういう結果になるにしろ。

 しかしイリトがいるとなると、話は少し違ってくる。たとえばハルやデメットのように、自分以外はすべて敵と思いなせるのなら話は簡単だろうが、リュギはそういう性格ではなかった。戦いに対して恐怖はないが、人を殺すにはまだ躊躇があった。それが友人相手となればなおさらだった。

 持ち運べるぶんだけの術式札を作り終えると、リュギは短剣を鞘に戻した。術式札は腰に下げた革袋に詰める。20枚ほどは作っただろう。ただそのうち足りなくなるだろうと思い、床板をはがしたものをベルトに挟んだ。

「終わったか」

 急に下から呼ばれた。驚きをつとめて顔に出さないようにしながら、リュギは下をのぞいた。物見台を見上げるようにして、セレンが立っていた。特徴的な赤い髪でそうわかった。

 リュギは物見台から飛び降りた。着地しても、セレンは手を出してこようとはしなかった。

「いつからいたの?」

「君が十枚ほど術式札を作る間は、ここにいた」

「気付かなかった」実際、その間何度もあたりを探ったが、気配はしなかったのだ。

「隠れていたし、殺気も出さないようにつとめたからな。もう準備はいいのかい」

「まあ。でも、なぜわざわざ待っていたの」

 聞いたが、その理由は何となくわかった。セレンはひたすら真面目な性格だった。不意打ちは彼女のやり方ではないのだろう。

「準備の整わない相手を後ろから――この場合は下か――襲って、それでは本当の戦いができないだろう。七夜はもっとも強いものを決める、神聖な儀式だ。卑怯な振る舞いはできない」

「なるほどね」

 セレンは厄介な相手だった。正面から来られては駆け引きも何もない。

「では、準備も整ったようだし、やろう」

 リュギは短剣を右手に抜き、左手に術式札を握った。セレンも徒手で構えた。

「カルトラ・ウィラ!」

 リュギは術式札の一枚を放り、風を起こした。ごうっという音とともにセレンが後方へ吹き飛ぶ。しかしセレンは空中で何かを唱え、方向をこちらに変えた。

「力の場所は外にあり、その力を借りるは我」

 セレンが詠唱している途中で、リュギはまた術式札を投げた。「カルトラ・スナイ!」

 空から尖った氷がセレンへ向かって降りそそいだ。セレンが腕で自分の頭上を払う。そこへもう一枚、リュギは熱せられた石のつぶてを放った。セレンは接近戦に強い。あくまで距離をとり、術式札を使って相手に魔術を使う暇を与えず倒すつもりだった。

 石の一個がセレンの肩に入った。セレンはよろめいた。しかし入りが浅い。「力の場所は外にあり、その力を借りるは我、我世の境今はなく、ここへ集まれよ世の力」

 セレンは石をかわしきり、その詠唱を唱えきった。そしてまっすぐにこちらへ突っ込んでくる。セレンは術式札を放とうとして、革袋に手をつっこんだ。しかしほしい札がすぐに手に当たらない。その一瞬で、セレンは距離をつめリュギの足を蹴り上げた。

「ぐっ」

 左足の肉の奥が強く痛んだ。これまでの経験から、この痛みは骨の折れた痛みとわかった。うつぶせに倒れながら、リュギは必死に術式札を取り出した。しかし短縮した詠唱を唱える前に、今度は首を手刀で突かれた。

「が」

 喉の奥から空気が押し出され、意識が飛びかけた。右手からナイフを奪われ、その刃が目の前できらめいた。死、が脳裏をよぎった。

「土よ聞け、土へ力を、集まりて盛り上がれぇっ」

 セレンのではない詠唱の声が聞こえた。と、目の前のセレンが横殴りに飛ばされた。顔にぱらぱらと砂がかかった。

「大丈夫っ?」

 ふわりと、リュギの隣に誰かが立った。目をやると、そこにはミラテナが立っていた。反射的に構えようとしたが、ミラテナはリュギの肩に軽く手を置いた。そしてセレンへ向かって、もう一度土を襲いかからせた。

 セレンはこちらの様子をうかがっていたが、土をよけると北へ向かって逃げて行った。後姿はすぐに見えなくなった。それを見届けて、ミラテナはリュギにもう一度顔を向けた。にっこりと笑っている。

「あ、……した……」

 先ほどセレンに喉を突かれたため、うまく声を出せなかった。しかしミラテナはこちらの言いたいことがわかるようで、「お礼はいいわ」と言った。

「……んで……」

「なんでもないわ。前から……あなたなら信頼できると思っていたの」

「……らい……」

「そう。ね、私と組みましょう。どう?」

 ミラテナはそう言った。ちょうど月にうすく雲がかかり、あたりがさっと暗くなった。

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