一夜目-ハル
かくして、大いなる力は次のように得られるものである。
司祭たる二十人を定める。この二十人は同じ家から出ることはできない。
司祭は一月の間沐浴を行い、身を清める。いかなる穢れも入れてはならない。
そして捧げられるべき十人の処女を聖別する。十人に欠けるところがあってはならない。聖別ののち、処女らには邪を入れてはならない。
嫌な夢を見た。ハルは目を覚ますと、まず一番に顔をべたべたさわった。手になにもつかなかったので、やっと夢が夢だったことを確認して一息ついた。
しかしそれもつかの間だった。寝ている寝台がいつものものではなかった。手織りのシーツの代わりに、石造りのごつごつざらざらした感触の寝台に寝かされていた。
ハルは飛び起きて、あたりの様子をうかがった。壁に大きな穴が空いていた。群青にわずかに紅が混ざった、日の沈む間際の空の色が見えた。部屋の隅に、壊れた花器が転がっていた。そして何の音もしなかった。自分の靴が床の砂を踏む音がやけに大きく聞こえた。
とうとうこの日が来たのだ。この九年というものは、この日の準備に過ぎなかった。
ルーナの七夜。七夜の間、十人の少女が最後の一人となるまで戦う。その最後の一人は、次代の守護乙女として限りのない力を得る。そういう儀式だ。
始まりは、日が沈んでからだ。七夜の始まりにはまだ少しの間がある。ハルは寝台のそばで軽い体操をした。緊張はなかった。すでに自分のするべきことは心に決めていた。
親友のアシナを守ること。それがハルの行動指針だった。そのためだったらなんでもする。他人だろうと自分だろうと、殺すことにためらいは無かった。
寝ている間に着替えさせられたらしく、すでに戦衣装を身につけていることに気がついた。足にぴったりとした皮靴、一族の守護紋章が刺繍されたマント、動きやすい上着とズボン。
「あ」
思い出して、あわてて上着の下を探った。革紐のついた赤い石はきちんと首に下がっていた。石を服の外に出そうとしたが、思い直してやめた。この石は大事なものだ。しまっておいた方がいい。
寝台の横を見ると、いつも使っている槍が転がしてあった。ちゃんと持ってきてもらえたらしい。槍と言っても堅い木を身長とおなじくらいの長さに切り出して、先端を尖らせただけだ。単なる棒として扱われてもしかたないくらい粗末なものだが、魔力をこめれば鎧の十枚も難なく突き通す。馴染んだ木のすべすべとした手触りを確かめ、自分の傍らに立てる。それで身支度は終わった。壁の穴から空を眺めながら、ハルは夜が来るのを待った。
最後の光が山の向こうへ消えていった後、闇が一気に濃くなった。それがあまり急だったことにハルは驚いた。槍を引き寄せてもう一度空を見ると、半月があかあかと空に上っていた。
ハルはそろそろと外に出た。月あかりのため、数間先まで見ることができた。しかし静かさは相変わらずだった。自分の靴が砂を踏む音しか聞こえなかった。ハルはこの荒れ果てた町に一人ぽっちのような気がした。
(まずは……)
アシナを探そう、とハルは決めた。儀式の舞台となっているこの廃都は広い。そしてそのどこに誰がいるのかは何も知らされない。最悪なのは、再会までにアシナが誰かに殺されてしまうことだ。それだけは避けなければいけない。それに、二人で協力すれば戦いを有利に進められるだろう。アシナも自分を探してくれているはずだ。
道に並んで建つ石造りの家々はそのほとんどが壊れていた。中には基礎組みしか残っていないようなものもある。道にも石がごろごろと転がっていたり、大きな穴が空いていたりした。足元に注意しながら、ハルは歩を進めた。急に冷たくなってきた空気のように、ハルの感覚も澄んでいた。
その感覚が、背後にかすかな気配を感じた時、考えるより先に身体が動いた。ハルは建物の角にまわりこむと、壁を駆け上がって屋根の上に出た。そして気配のした方へ向かって駆けた。逃げる足音をハルは聞いた。足音を追って、ハルは屋根と屋根の間を飛んだ。
追いかけっこは長く続いた。ハルも逃げる人間も声は一言も発しなかった。しかし、逃げる人間の足音はだんだんと大きくなってきた。息遣いも聞こえるようになった。ハルを振り切れずに焦る気配が伝わった。
その焦りが限界に達したとき、足音は急に止まった。ハルは気配目がけて跳び、槍を振り下ろした。
がんっと槍が弾かれ、ハルは地面に転んだ。飛び起きて槍を構え直す。
「ハルか」
気配の正体はデメットだった。細身の刀を正眼に構えている。ハルは何度かデメットの稽古を見たことがある。この刀の斬れ味は警戒すべきだった。
「躊躇ないみたいね」
デメットが言った。もちろんハルに躊躇など無かった。それはデメットも同じだろうと思った。デメットの構えは、守りではなく攻めのためのものだった。
この距離では魔術よりも手にした得物のほうが速い。ハルとデメットはじりじりと相手をうかがった。ちりちりと動く刀がきら、きらと月あかりをうつした。
ハルは中段に構えを移した。そして軽く突きを入れた。ひゅっ、とデメットは鋭く気合いを吐きながら身をかわした。そして伸びたハルの左腕へ刀を振り下ろした。
だがそれより、ハルが槍を引き戻し再度突きを放つほうが速かった。どっと手ごたえがして、刀が金属音を響かせて地面に落ちた。
「あっ」
抑えたような声をデメットが発した。そこへハルは蹴りをくれた。デメットはあおむけに地面に倒れた。
「聖霊よ来たれ、雷鳴を轟かせ」
術語を唱える。轟音とともに、槍に稲妻が落ちる。目を閉じていても光が瞼の裏に届いた。
目を開けると、デメットの身体は焼け焦げていた。槍が支えを失って倒れるところを、ハルは片手で止めた。抜き取って二、三回先端を地面でたたく。
あたりの様子を伺ってから、誰かに見つかるのを防ぐため、ハルは走ってその場を離れた。
(あと七人)
走りながらハルは勘定した。自分とアシナを除いて、あと障害となるのは七人。長いようだが、今のように一つ一つ片づけていけばいい。そう考えながら、ハルは顔にかかる髪をはらった。