43話【届いた想い】
「大公様、この二日間、お越しいただいてありがとうございました」
ラファラン子爵はテントに来ると、そう言って頭を下げた。
「領民が楽しそうでなによりだった。慰霊も兼ねての祭りのようだし――今後も開催は許可する。但し、領民にはくれぐれも川には入らないよう――指導してくれよ」
「はい、厳しく申し伝えます」
子爵は頷くと、テントの外を見る。
「ああ、もう陽が暮れて……祭りもそろそろ終わりか……」
彼の呟きにつられて視線を外にやると、確かに空が赤く染まり始めていた。
――そうとなれば。
俺はダロスに目配せして立ち上がった。
「最後に川辺を一回りしてこよう」
俺とダロスは子爵に見送られてテントを出た。
川辺をふらふら歩く。
正午に一大行事――折船流しをしてから、祭りはますます盛り上がり……ようやくその熱気が冷めてきた頃合い。
陽気に語らい、飲み、頬張る者たちがいる一方で――そろそろ帰り支度をはじめる人間も出始めていた。
領民たちの様子を眺めながら――ダロスに尋ねる。
「準備は?」
「万全にございます」
「上手く仕掛けられたか?」
「ちょうど――本職の者をつかまえることができまして。失敗はないかと」
「本職だと? こんな田舎にか?」
「はい、すでにこの川辺の茂みに……待機させております」
詳しいことは屋敷に帰ってから――と澄まして言う家令に、肩を竦める。
「で、いつ始めるんだ?」
「私が合図を送れば、いつでも。もう、開始しますか?」
「そうだな……」
陽が暮れきってしまえば、足元が見えず、川辺は危ない。
――まだ明るさはあるが……薄暗くなりはじめた今がいいタイミングだな。
俺はそう考え、口を開こうとして――。
「ん? なにか……聞こえるな」
音のしてくる川面の方へ目をやった。
しかし――そこには、なにもないし、誰もいない。
「ふむ……確かに川からなにか聞こえてくるような気がしますが、はて……」
ダロスも、首を傾げて川を見る。
楽器を奏でるような音。
これは――。
「リュートか?」
そう気づいて、周囲を見渡す。
だが、リュートを抱えている者などおらず、音もやはり――川の中からするようだった。
俺とダロス以外にも、楽の音に気づいた者が不思議そうに川を見始めた。
――待てよ、このメロディ……。
そう思ったところで、今度は――。
「むむ、歌声が聞こえますぞ」
ダロスが怪訝を通り越して、驚きの眼差しで流れる水を見る。
――この歌詞。
「やっぱり子守歌……だよな。しかもこの声は――」
俺が恋い焦がれる相手――。
「ミレイユ」
俺の呟きに、ダロスが首を捻った。
「ミレイユ様……ですと?」
訝しがる家令をそのままに――。
俺は、弾かれたように川っぷちまで駆け寄ると、必死に水の中に目を凝らした。
だが――こんなところに彼女の姿など見当たるわけがない。
祭り会場に段々とどよめきが沸き上がる。
「なんだい、この音は?」
「誰が歌ってるんだ」
ある者は面白がって、また、ある者は不気味そうに川辺をキョロキョロする。
「どうなってるんだ、一体……」
頭を掻きむしりながら言うと――さらに驚愕すべきことが起きた。
川面から――小さく淡い光りが、ゆらりゆらりと天に上っていくではないか。
神秘的な光景に――祭り会場は静まり返り、領民たちが息を飲む。
「デイモン様、あれを」
ダロスに肩を叩かれ、天に向かっていた視線を水面に下げる。
すると――川の中瀬に、一羽の鳥が降り立っていた。
そして――。
くちばしを川の中に入れ――美味そうに水を飲み始めた。
他にも――。
向こう岸に、兎や鹿の姿が見え始め、渡り鳥と同様に川の水に口をつける。
そして――苦しむことも、もがくこともなく、森の動物たちは満足そうに去っていく。
「デイモン様」
ダロスが呼びかける。
「ああ、わかってる」
――川の毒が浄化されてる。
信じられない思いで、水の流れを見つめる。
エルザの日記の一文。
『ドナシーの毒は――解毒する鉱物や薬草がない』
その下に綴られていた、妹が抱いた希望。一筋の光り。
『でも、もしかしたら――ドナシーの中に、私の毒を分解する能力を持つ者がいるかもしれない』
――ああ、そうか。
俺は片手を額にやる。
楽士の姿が見えないのにリュートの音が聞こえるのは――。
歌声で川を解毒できたのは――。
ドナシーの能力の成せる業。
それはつまり――。
「ミレイユは、ドナシーだったのか」
俺の小さい呟きを――ダロスだけが耳に拾って息を飲む。
俺は、愕然とすると同時に――腑に落ちた。
「レイナ」を必死に探し回ったあのとき――たしかに、彼女をめぐって説明のつかないことが起きていたのだ。
あれは――彼女がドナシーの力を使っていたからだと考えれば、辻褄が合う。
そして――今。
彼女の音楽が――川を浄化してくれた。
俺は――居ても立ってもいられず、川っぷちにしゃがむと水に手をつけた。
「エルザ……お前の望みが叶ったぞ。俺の力でないのが少々残念だが……」
目を閉じると――。
『ふふふ、お兄様ったら』
可愛い声が耳元をくすぐった。
『綺麗な川に戻って嬉しい。ありがとう』
ふっと身体の中を――なにかが通り抜けた気がして、目を開く。
辺り一面、舞うように上っていく青い仄かな光群。
そこに――エルザが。
悲しげだった笑みを、満面の笑顔に変えた彼女が――見えた気がした。
――安らかに、エルザ。
そう祈りを捧げていると――。
痛む胸に――すうっとリュートと歌声が染み入ってきた。
俺は、はっとして……「子守歌」に耳を澄ませる。
音に身体を委ねると――次第に心が温かくなっていくのを感じた。
――ああ、この感覚は……。
俺は、以前にも感じたこの温もりに――ある確信をもって立ち上がる。
「なあ、ダロス。わかるか?」
つい、にやけた声になった。
横に立つ大男が、こちらを見て首を傾げた。
俺は――口の端が上がるのを止められない。
「この子守歌はな――ミレイユが俺のために歌ってくれてるんだ」
ダロスは呆れ顔になる。
「やれやれ……デイモン様が自惚れ屋なのはいつものことですが――根拠は?」
俺は胸を叩く。
「ここに――彼女の声が届いているからだ。『愛してる』と」
そして――彼女は俺の悲しみに気づいて、慰めてくれている。
「不思議なものだが――わかるんだ」
ダロスはじっと俺を見てから、「そういうこともあるのかも知れませんな」と頷いた。
湧き上がる幸福感に――。
俺は、川下へ……彼女の歌声が聞こえる方へ歩き出す。
――ミレイユはこの川の先、すぐそこにいる。
「ミレイユ」と彼女の名を呼び、足を早めようとして――。
「懲りませんねえ」とぐっと腕を引かれた。
「気持ちはわかりますが、会えませんよ。あなたは国境を越えられない。散々、弾き返されたでしょう」
ダロスに窘められ、「うっ」と足を止める。
その時――。
川から浮かび上がる光玉が――すうと消えていった。
再び暗さを取り戻した川に――。
民たちが――夢から覚めたよう顔をした。
「なんだか、魔法みたいだったな」
誰かがぽつりと言った。
すると、川辺のあちこちで、ひそひそと話し声が始まる。
「魔法ってそんな物語じゃあるまいし」
「でもこんなの普通じゃない」
「なんか良くないことの前触れじゃないかい」
「あのキラキラ、なんだったのか――ちょっと調べてみるか?」
「おお、面白そうだな。川下から来たみたいだったよな。行ってみるか?」
俺とダロスは顔を見合わせる。
「このまま、疑問を持たせたままにするのは――まずいな」
「ミレイユ様の力だと気づかれては……あとあと面倒です。誤魔化さないといけませんな」
小声で囁きあう。
「よし、ちょうどいい。アレを始めよう」
俺が指示すると、ダロスは胸元から赤いハンカチを取りだして振った。
すると――。
川の茂みからヒューッと一筋の発光体が飛び出した。
「わああ!」
「なんだ、なんだ!」
騒ぎ出す領民の頭上で、発光体はパアンと弾けるように散った。
唖然とする彼らの前に、俺は颯爽と進み出た。
「ごきげんよう、デルビオンの民よ」
辺りはすでにとばりが落ち始め、俺の姿が見えていない者もいたが――。
挨拶の声で――誰だかわかったようだ。
騒がしかった川辺が、さあっと静まる。
「川祭りのフィナーレとして、面白い演出を用意した」
俺が手を挙げると、さきほどの発光体が、また音を立てて空に打ち上がった。
わあっという歓声が上がる。
「領地屋敷にあった――曳光弾だ。戦が終わってずっと小屋で眠っていたものだ。廃棄する予定だったんだが――」
ここで一度言葉を切ると、ぐるっと川辺を見渡す。
「どうせなら、平和的に使って終いにしようと思ってな」
パアンと再び光弾が打ち上がる。
曳光弾は――光のみを発する弾だ。
戦場では、主に味方に所在を知らせる連絡用に使っていた。故に――。
高度はなく、ぜいぜい頭上十メートル程度……光度も低い。
この弾であれば――。
国境沿いとはいえバラッタインを刺激することもなく……。
娯楽として使えると判断した。
きゃあきゃあと子どもがはしゃぎ出す。
「明るいもんだなあ」と大人たちも面白そうに笑いだした。
「ははは、こりゃいい」
「祭りの最後らしく華々しいじゃねえか」
「ああ、それじゃあ、さっきの川から光りが出てきたのも、領主様の演出かい」
「そうだな、そうに違いないよ!」
にわかに賑やかになりはじめた領民に、俺は最後の挨拶をする。
「百発ほどある。楽しんでいってくれ。良い夜を」
パアン、パアンと続けて二発打ち上がる。間をあけず、すぐに三発。
川辺の民たちは空のきらめきにすっかり魅了され、楽しそうに空を見上げている。
彼らの興味が――。
川の光の玉から、上空の曳光弾に移ったことに安堵し――。
俺とダロスはテントに戻った。
「ダロス、二つ頼みがある」
「なんなりと」
椅子に座り、俺は頬杖をついて言う。
「執務室の釣書は全部捨ててくれ」
横に立つ男から、無言の圧力を感じて苦笑いする。
テントから見える発光体を見上げ、「それから、もう一つ」と続ける。
「ドナシーの契約書を無効にする方法を見つけてくれ」
ダロスが片眉を上げた。
「俺は――ミレイユと再婚するぞ」
一瞬の間のあと――。
「そういうことであれば――二件とも承知いたしました」
家令は胸に手をあて、深々と頭を垂れた。
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次の44話が、第二章の最終話となります。
明日12月13日土曜の16時20分投稿予定です。
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