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最愛は、顔も知らずに離婚した敵国の夫・妻です。  作者: Sor
第二章

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39話【告げなかった理由】

二週間の静養が終わり、肩の痛みはすっかり消えて――。


私は、領地屋敷の庭――その隅にある東屋でリュートを抱えていた。




さきほどまで、庭師が側で草むしりをしていて――。


「あの曲は弾けますかな」とリクエストしてきたり、「明日は森の川に、折船が流れて来るんでさあ」と世間話をしたりして、賑やかにしていたのだが……。



「おっと、今日中に正門の整備もしなきゃならんかった」と、庭師ははしごを担いで行ってしまったところだった。



静けさを取り戻した庭で――私はポロンと弦を弾く。



――あのおしゃべり庭師のおかげで、余計なことを考えず、楽しく過ごせたわね。




そう思った途端、空色の目を思い出しそうになって――慌てて頭をふってやり過ごす。



――ふう、危ない、危ない。


私は明るいメロディを爪弾き、気分を上げる。




あの日の一口のスープから。


段々と食事を取れるようになった私は、身体が元気になるとともに、考え方も前向きになり――。



重苦しい気持ちに押しつぶされてはいけないと思うようになった。




とはいえ――。


レナートのことは、正直、まだ受け止めきれず――。


顔を思い出すだけで、暗澹たる気分になってしまう。




それなら――。


「一旦、レナートのことは棚上げすることにするわ。いずれ、嫌な気分にならずに、彼のことを考えられようになる日が来ると思うの!」


と、アンに宣言したのが先日。



アンは驚いた顔をしてから、ふふふと笑い、「そういう楽観的なところが、ミレイユ様の良いところです」とうんうんと頷いていた。




それ以降、ふうっと気持ちが楽になった私は……。


日々、段々とレナートを頭の隅に追いやることに成功しているのだが――。



一つ、別の問題が起きた。




バトンタッチしたかのように――代わりに私の心を占め始めた人がいるのだ。


その人物とは――。




アーガスタ人らしい、グレーの瞳に灰青色の短髪の男。


「もう忘れよう」と決めたはずの……。


――デイモン。




「ううう……」


私は頭を抱えて唸る。



――今更、どうして、彼なのよ!



「忘れたはずでしょ!」と自分に腹を立てるものの、ことあるごとにデイモンの顔が浮かんでしまうのだ。




なぜか?


理由は明快。



彼は……なぜ、レナートが二重スパイだと私に告げなかったのか?



それが気になって仕方ないのだ。



――王命による箝口令があったのかしら。いいえ……たいした理由はなかったのかもしれない。



たまたま言うタイミングがなかったとか、わざわざ教えてやる義理はないと思ったとか……そんな他愛のないものだったのかも。



それでも、気になってしまい、ふとした瞬間に彼を思い出し、考え込むようになっていた。




――いけないわ。せっかくレナートのことで思い悩むことが減ってきたのに……。



明るい顔で――前を向くと決めたのだ。



――そうよ、もう「忘れた相手」に振り回されてはいけないわ。




俯いていた顔をぐっと上げると――。



風が吹いてきて、庭園の木々から、葉がはらはらと落ちた。


色づいた葉が、陽光を受けて輝く様を見て――。


「まあ……綺麗ね」


私はうっとりと見蕩れて――思いつく。



――この紅葉……栞にしたら素敵じゃない?



心の中から、仏頂面を追い出すと――私はリュートを椅子に置いて、木々のほうへ移動した。






「この真っ赤な葉はいいわね。アンにはあのオレンジ色がいいかしら」



紅葉を手に取ると、ウキウキしてきた。まるで宝石を選ぶように、美しい葉を選り抜く。



「そうだわ、お母様にも差し上げたいわ。ルイズも読書家だし……ああ、この黄色の葉がいいかも――」




ビィーン……。



小さいけれど、確かにリュートが鳴る音がした。



はっと東屋を見ると――平民らしき少年がリュートを手に取っているのが見えた。


私と目が合った少年は、驚いた顔をして一歩下がる。



――この子……この前、お父様に抗議しに来てた子だわ。



また物言いに来て……庭に迷い込んでしまったのか。



「あなた……」



そう声をかけると、少年はびくっと身体を揺らし――。


ぱっと垣根の隙間に潜り込み、屋敷の外へ逃げ出していく。



その腕にはリュートが抱えられていた。



――お父様からもらったリュート!



森の奥へと走って行く少年を――私は慌てて追いかけた。








少年の足は速かったが――。


父のリュートを奪われるわけにはいかない私は、必死についていった。



少年は後ろを振り返ることなく走った。


貴族女性が――同じく走って追いかけてきてるだなんて、思ってもみなかったのだろう。



やがて、少年が壊れかけの小屋に入るのを見て、私は足を止めた。




ふうふうと肩で息をしながら、あたりを見回す。



――ここは……ルーモナの領地の外れよね。



そうっと小屋に近づいて、小窓から中を覗いてみた。




すると、さっきの少年と――。


少年の弟らしき男の子が、床に絨毯のようなものを引いて座っていた。



男の子は、絨毯の上に置かれたリュートに、わあっと目を輝かせている。



私は小屋の中を見回した。


小さなテーブルの上に、森で取ってきたのだろう、不揃いの木の実と果物がおいてあった。



天井にはロープが張ってあり、そこに継ぎはぎだらけの服が干してある。



掃除はしてあるらしく、それなりに清潔には見えたが、暮らしに困窮しているのは間違いなかった。




――両親は亡くなったって、お兄様が言ってたわね。



それなら――この子たちは兄弟二人きりでこの小屋で暮らしているのか。



「これ……どうしたの、お兄ちゃん?」


男の子がリュートの弦を弾きながら、兄に尋ねる。


「……貸してもらった」


少年は気まずそうに言うが、男の子は気づかない。



「そうなんだ! うわあ、綺麗な音だね、お兄ちゃん」


感動したように言うと、男の子は何度も何度も弦を弾いた。



少年はその様子を見て、ふっと笑う。



「お前、楽器が好きだよな。この前も、森に落ちてた木の筒で笛をつくっていただろ」


「うん、僕、音が鳴るものが好きなんだ!」



「そうか、じゃあ、いつか俺が楽器を買ってやるから」



「うん! そうだ、お父さんとお母さんにも聞かせてあげよう!」



男の子はそう言うと、リュートを抱えて小屋から出てきた。




私は慌てて近くの木に身を隠した。


そうっと幹から顔を出すと――。


男の子が、小屋の前に置かれた大きな石の前でリュートを鳴らし、石に向かって話しかけているのが見えた。



その様子を――少し後ろから、少年が見つめている。




「父さん、母さん――」


声を震わせて呟いた少年は――弱々しく、頼りなげで……。


父に食ってかかっていた威勢の良さは見る影もなかった。



両親のことを思い出しているのか――少年は遠い目をして、うわごとのように言う。



「川の魚が捕れなくなって、作物も育たなくなって……父さんたちが自分たちの食べ物を、俺と弟にくれて……それで父さんと母さんは……」


少年は声をつまらせた。



その姿があまりに痛々しくて――思わず幹から一歩踏み出そうとしたところで……。



少年が拳を握り、ぎらっと目を光らせた。



彼の――今にも散ってしまいそうだった雰囲気がガラリと変わる。



「助けてくれなかった公爵を、俺は絶対に許さない」


少年の目に――怒気とともに生気がみなぎる。



「絶対に、絶対に、一生許さないからな!」


怒りに震えるその姿に――かつての私が重なった。



『一生許されることはないと思ってちょうだい』


大公邸の執務室で――私は怒りにまかせて仮面の男にそう言った。




「どんなことをしても――絶対に生き残って、公爵に復讐してやるんだ!」



『時には、怒りが生きる力になる』



兄から聞いた父の言葉が、ふっと腑に落ちた。


そして――気づいた。



――私も……そうだったのかも。



デイモンを恨み、彼に憤ることが――。


自分を奮い立たせ、あの地で生き延びる一助になっていたのではないか。




――デイモンは、お父様と同じ考えを持っていたかしら?



『戦場を経験した男なら――誰もが思うことらしい』


兄の言葉が蘇る。



ああ――。


デイモンは――きっと、怒りの力を知っていた。



知った上で――。


二重スパイのことはあえて言わず、私に彼を憎ませていた。



不思議と――そう確信できた。



――私は、デイモンに生かされたのね。


大公邸で、執務室に佇む仮面の男が頭に浮かんだ。



なんて――わかりにく優しさ。


でも――。


私はこんな見えにくい温かさを知っていた。




セルゲトン村で――村人から橋の修繕方法を尋ねられて……。


文句を言い、迷惑そうに相談に乗った後――深夜、一人で橋の様子を見に行っていた彼。



結婚式では来賓として出席してほしいと言われ……。


「よく知りもしない奴なんか祝えるか」と突っぱねて――誰よりも早くから会場に入り、熱心に警備にあたっていた人。



――ダン。



仮面の男と、大剣を背負った彼。


二人の男性がパチッと重なる。



――ああ……そうだったのね。



「ダンとデイモンは同じ……同じなんだわ」


私は震える胸を押さえ、呟いた。

いつもお読みいただきありがとうございます。


月曜から金曜まで20時20分の投稿予定です。

お楽しみいただけたら嬉しいです。

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