39話【告げなかった理由】
二週間の静養が終わり、肩の痛みはすっかり消えて――。
私は、領地屋敷の庭――その隅にある東屋でリュートを抱えていた。
さきほどまで、庭師が側で草むしりをしていて――。
「あの曲は弾けますかな」とリクエストしてきたり、「明日は森の川に、折船が流れて来るんでさあ」と世間話をしたりして、賑やかにしていたのだが……。
「おっと、今日中に正門の整備もしなきゃならんかった」と、庭師ははしごを担いで行ってしまったところだった。
静けさを取り戻した庭で――私はポロンと弦を弾く。
――あのおしゃべり庭師のおかげで、余計なことを考えず、楽しく過ごせたわね。
そう思った途端、空色の目を思い出しそうになって――慌てて頭をふってやり過ごす。
――ふう、危ない、危ない。
私は明るいメロディを爪弾き、気分を上げる。
あの日の一口のスープから。
段々と食事を取れるようになった私は、身体が元気になるとともに、考え方も前向きになり――。
重苦しい気持ちに押しつぶされてはいけないと思うようになった。
とはいえ――。
レナートのことは、正直、まだ受け止めきれず――。
顔を思い出すだけで、暗澹たる気分になってしまう。
それなら――。
「一旦、レナートのことは棚上げすることにするわ。いずれ、嫌な気分にならずに、彼のことを考えられようになる日が来ると思うの!」
と、アンに宣言したのが先日。
アンは驚いた顔をしてから、ふふふと笑い、「そういう楽観的なところが、ミレイユ様の良いところです」とうんうんと頷いていた。
それ以降、ふうっと気持ちが楽になった私は……。
日々、段々とレナートを頭の隅に追いやることに成功しているのだが――。
一つ、別の問題が起きた。
バトンタッチしたかのように――代わりに私の心を占め始めた人がいるのだ。
その人物とは――。
アーガスタ人らしい、グレーの瞳に灰青色の短髪の男。
「もう忘れよう」と決めたはずの……。
――デイモン。
「ううう……」
私は頭を抱えて唸る。
――今更、どうして、彼なのよ!
「忘れたはずでしょ!」と自分に腹を立てるものの、ことあるごとにデイモンの顔が浮かんでしまうのだ。
なぜか?
理由は明快。
彼は……なぜ、レナートが二重スパイだと私に告げなかったのか?
それが気になって仕方ないのだ。
――王命による箝口令があったのかしら。いいえ……たいした理由はなかったのかもしれない。
たまたま言うタイミングがなかったとか、わざわざ教えてやる義理はないと思ったとか……そんな他愛のないものだったのかも。
それでも、気になってしまい、ふとした瞬間に彼を思い出し、考え込むようになっていた。
――いけないわ。せっかくレナートのことで思い悩むことが減ってきたのに……。
明るい顔で――前を向くと決めたのだ。
――そうよ、もう「忘れた相手」に振り回されてはいけないわ。
俯いていた顔をぐっと上げると――。
風が吹いてきて、庭園の木々から、葉がはらはらと落ちた。
色づいた葉が、陽光を受けて輝く様を見て――。
「まあ……綺麗ね」
私はうっとりと見蕩れて――思いつく。
――この紅葉……栞にしたら素敵じゃない?
心の中から、仏頂面を追い出すと――私はリュートを椅子に置いて、木々のほうへ移動した。
「この真っ赤な葉はいいわね。アンにはあのオレンジ色がいいかしら」
紅葉を手に取ると、ウキウキしてきた。まるで宝石を選ぶように、美しい葉を選り抜く。
「そうだわ、お母様にも差し上げたいわ。ルイズも読書家だし……ああ、この黄色の葉がいいかも――」
ビィーン……。
小さいけれど、確かにリュートが鳴る音がした。
はっと東屋を見ると――平民らしき少年がリュートを手に取っているのが見えた。
私と目が合った少年は、驚いた顔をして一歩下がる。
――この子……この前、お父様に抗議しに来てた子だわ。
また物言いに来て……庭に迷い込んでしまったのか。
「あなた……」
そう声をかけると、少年はびくっと身体を揺らし――。
ぱっと垣根の隙間に潜り込み、屋敷の外へ逃げ出していく。
その腕にはリュートが抱えられていた。
――お父様からもらったリュート!
森の奥へと走って行く少年を――私は慌てて追いかけた。
少年の足は速かったが――。
父のリュートを奪われるわけにはいかない私は、必死についていった。
少年は後ろを振り返ることなく走った。
貴族女性が――同じく走って追いかけてきてるだなんて、思ってもみなかったのだろう。
やがて、少年が壊れかけの小屋に入るのを見て、私は足を止めた。
ふうふうと肩で息をしながら、あたりを見回す。
――ここは……ルーモナの領地の外れよね。
そうっと小屋に近づいて、小窓から中を覗いてみた。
すると、さっきの少年と――。
少年の弟らしき男の子が、床に絨毯のようなものを引いて座っていた。
男の子は、絨毯の上に置かれたリュートに、わあっと目を輝かせている。
私は小屋の中を見回した。
小さなテーブルの上に、森で取ってきたのだろう、不揃いの木の実と果物がおいてあった。
天井にはロープが張ってあり、そこに継ぎはぎだらけの服が干してある。
掃除はしてあるらしく、それなりに清潔には見えたが、暮らしに困窮しているのは間違いなかった。
――両親は亡くなったって、お兄様が言ってたわね。
それなら――この子たちは兄弟二人きりでこの小屋で暮らしているのか。
「これ……どうしたの、お兄ちゃん?」
男の子がリュートの弦を弾きながら、兄に尋ねる。
「……貸してもらった」
少年は気まずそうに言うが、男の子は気づかない。
「そうなんだ! うわあ、綺麗な音だね、お兄ちゃん」
感動したように言うと、男の子は何度も何度も弦を弾いた。
少年はその様子を見て、ふっと笑う。
「お前、楽器が好きだよな。この前も、森に落ちてた木の筒で笛をつくっていただろ」
「うん、僕、音が鳴るものが好きなんだ!」
「そうか、じゃあ、いつか俺が楽器を買ってやるから」
「うん! そうだ、お父さんとお母さんにも聞かせてあげよう!」
男の子はそう言うと、リュートを抱えて小屋から出てきた。
私は慌てて近くの木に身を隠した。
そうっと幹から顔を出すと――。
男の子が、小屋の前に置かれた大きな石の前でリュートを鳴らし、石に向かって話しかけているのが見えた。
その様子を――少し後ろから、少年が見つめている。
「父さん、母さん――」
声を震わせて呟いた少年は――弱々しく、頼りなげで……。
父に食ってかかっていた威勢の良さは見る影もなかった。
両親のことを思い出しているのか――少年は遠い目をして、うわごとのように言う。
「川の魚が捕れなくなって、作物も育たなくなって……父さんたちが自分たちの食べ物を、俺と弟にくれて……それで父さんと母さんは……」
少年は声をつまらせた。
その姿があまりに痛々しくて――思わず幹から一歩踏み出そうとしたところで……。
少年が拳を握り、ぎらっと目を光らせた。
彼の――今にも散ってしまいそうだった雰囲気がガラリと変わる。
「助けてくれなかった公爵を、俺は絶対に許さない」
少年の目に――怒気とともに生気がみなぎる。
「絶対に、絶対に、一生許さないからな!」
怒りに震えるその姿に――かつての私が重なった。
『一生許されることはないと思ってちょうだい』
大公邸の執務室で――私は怒りにまかせて仮面の男にそう言った。
「どんなことをしても――絶対に生き残って、公爵に復讐してやるんだ!」
『時には、怒りが生きる力になる』
兄から聞いた父の言葉が、ふっと腑に落ちた。
そして――気づいた。
――私も……そうだったのかも。
デイモンを恨み、彼に憤ることが――。
自分を奮い立たせ、あの地で生き延びる一助になっていたのではないか。
――デイモンは、お父様と同じ考えを持っていたかしら?
『戦場を経験した男なら――誰もが思うことらしい』
兄の言葉が蘇る。
ああ――。
デイモンは――きっと、怒りの力を知っていた。
知った上で――。
二重スパイのことはあえて言わず、私に彼を憎ませていた。
不思議と――そう確信できた。
――私は、デイモンに生かされたのね。
大公邸で、執務室に佇む仮面の男が頭に浮かんだ。
なんて――わかりにく優しさ。
でも――。
私はこんな見えにくい温かさを知っていた。
セルゲトン村で――村人から橋の修繕方法を尋ねられて……。
文句を言い、迷惑そうに相談に乗った後――深夜、一人で橋の様子を見に行っていた彼。
結婚式では来賓として出席してほしいと言われ……。
「よく知りもしない奴なんか祝えるか」と突っぱねて――誰よりも早くから会場に入り、熱心に警備にあたっていた人。
――ダン。
仮面の男と、大剣を背負った彼。
二人の男性がパチッと重なる。
――ああ……そうだったのね。
「ダンとデイモンは同じ……同じなんだわ」
私は震える胸を押さえ、呟いた。
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