36話【汚染】
俺とダロスが――。
嵐の中、森にあるデルビオンを訪れ、領地屋敷に居を構えて……今日で八日目。
その間――俺たちは、領地の視察を徹底的にやった。
結果――。
この十年ほどで、デルビオンの土地が急激に痩せ細ったことがわかった。
そのせいで、作物の育ちが悪く、領民は苦しい生活を強いられていたのだ。
俺は今――。
クレグス修道院を背後にして――小高い丘に立っていた。
すぐ横には――かつてエルザが水仕事をしていた川が流れている。
腕を組み――川下に広がる弱りはてた畑作地帯を眺めた。
大地が枯れた原因は何なのか――まだはっきりはしないものの……。
領内の畑や果樹園を回ってるうちに、気づいたことがあった。
生育が悪い土地のほとんどが――わずかだが黒く変色していたのだ。
変色について領民たちに話を聞いてみたが――。
黒みがかった土は、枯葉などが微生物に分解された「腐植」――つまり、よい肥料となった証として考えられており――。
領民たちが、黒色土を危険視している節はなかった。
だが、俺は――彼らの考えに納得できなかった。
なぜなら――。
作物も果物も……土が黒みがかっているところほど、収穫量が落ちていたからだ。
俺は、大地が痩せた原因は、土地の変色にあると考え――。
ダロスとともに、より強く変色している場所を――「変色の始まった地点」を追っていくうちに……。
このクレグス修道院へとたどり着いたのだった。
とはいっても――。
変色は――修道院にまでは及んでいなかった。その少し手前――俺が今いるこの位置で終わっている。
――いつもここに来るときは、墓参りをして森を抜けてきていたから……。
こちらの道がこんな風になっていたとは気づかなかった。
俺は、すぐそこに見える変色地を睨みつけた。
畑作地帯を出たときは、少し黒っぽいというくらいの変色だったのが――ここでは。
「まるで闇を煮詰めたような色をしてるな」
苦々しく呟く。
ふと、馬のいななきが聞こえた。
修道院の向こうから、馬に乗ったダロスがこちらに戻って来るのが見えた。
ダロスは、俺の元まで馬を操ってくると、背後を指さして言った。
「この修道院より先には、地面の変色は見られませんでした。院の中も見てきましたが、あの豆のなっていた畑に変色はありませんでしたね」
俺は頷き、目の前の禍々しい黒色に目をやる。
――変色はここから始まった。
視線を川へ移し、「なあ、ダロス」と声をかけた。
「俺は、土が黒く変わったのは……川のせいではないかと思う」
変色は――川沿いに起こっていた。
ならば――。
一見、綺麗な清流にみえるが……この川がなにかに汚染されていて――。
その汚染水が土地に染み込み、下流のデルビオンの畑作地域は、不毛の大地となってしまったのではないか。
「私も同意見です」
ダロスが眼光鋭く言った。
「川の穢れは――ここから始まってる」
俺は呟く。
もっと上流から――。
山肌がむき出しの地面から、変色がはじまっていたのなら――。
鉱物の成分が流れ出し、川が自然に汚染されたかもしれなかった。
もっと下流から――。
人々の生活圏から、地面の色が変わっていたのなら――。
日々の暮らしで使う石鹸や洗剤などのせいで、知らぬ間に川を汚していた可能性もあった。
しかし、この場所から汚染が始まっているというなら――。
原因は鉱物流出でも、生活用水でもない。
「川の汚染は――悪意ある人為的なものだろう」
俺は、背後の崩れた建物を振り返り、大男に問いかける。
「この修道院が、汚染に関わってると思うか?」
「十中八九――黒かと」
ダロスの返事に、俺は一度目を閉じる。
エルザの明るい笑顔が浮かび――消える。
瞼を開けて、俺は言った。
「修道院を捜索するぞ。……まあ、こんな有り様だしな、大した収穫はなさそうだが……」
崩れた廃院を、俺は睨み上げた。
かつては立派な院長室――。
今は……がれきの山となった部屋の中に――俺はいた。
デルビオンの収穫量の減り方をみるに――。
汚染は数年かけて、少しづつ行われていったと思われた。
戦場で生きてきた経験から、俺は確信していた。
こうしたじわじわとダメージを与える犯行は――多数では行わない。
一人、多くても二人で……仲間内にも気づかれないよう――ひっそりと行う。
――おそらく……院長一人の犯行だろう。
誰にも見咎められず、汚染を実行するには……強い権限を使い、入念な下準備や根回しをする必要がある。
ただの修道女ができることではなかった。
そう考えて――俺は今、院長室のがれきの下を捜索していた。
探しているモノは汚染の「正体」。
俺は、デルビオンを再び豊かな畑作地帯へと戻したかった。
そのためには土地を再生させる必要がある。
だが――そう簡単にはいかない。
汚染された土地を復活させるには――。
やみくもに肥料を与えれば良いというものではないから。
荒廃した原因に応じて対処をする必要があった。
塩害ならば、除塩を。
銅などの鉱害なら、川底の掘削作業を。
――院長が、何をつかって川を汚染したのか。
それを知るのがなにより重要だった。
手がかりがないか、がれきから日記帳やメモらしきものを探し出しては、目を通すが――。
――くそ、ヒントになりそうなものはないな。
おおかた探し尽くした俺は、次はどの部屋を探すべきかと頭を悩ませてるうちに――。
ふと、疑問がわいた。
「なぜ、院長は川を汚したりしたんだ……?」
汚染が進めば――。
下流の土地が枯れた土地になり――民が飢え苦しむことは予想できたはず。
院長は――融通の利かない、いけ好かない人物ではあったが……。
この土地の者が苦しむのを喜ぶような人間ではなかった。
――民を犠牲にしてでも……汚染しなくてはならない理由があったのか?
そう考えついたとき――。
ダロスが焦った様子で部屋に飛び込んできた。
「どうした?」
ただならぬ様子に声をかけるが、
「……こちらへ」
と、ろくに返事をせず、ダロスは俺の腕を引っ張った。
案内されるまま歩くと、たどり着いたのは――。
エルザに与えられた部屋だった。
俺は呆れた顔をした。
「おい、ダロス。俺の読みでは――川を汚したのは院長だ。お前だって、そう思ってるだろう?」
憮然として言う。
「修道女頭の部屋ならまだしも――下っ端で雑用ばかりさせられていたエルザの部屋じゃ……床板を剥がしたってなにも出てこな……」
言葉が――止まる。
目を向けたエルザの部屋の中……やはりがれきに埋もれた空間に……やけに見慣れた物体が置かれていたのだ。
スネイク・ボックス。
我がエジャートン家の家紋――蛇を象ったデザインをあしらった小型金庫。
初代グラディス・エジャートンが作らせたもので、王都の屋敷に大小十数個の金庫があった。
エルザの部屋にあるのは――。
屋敷のものとは違いずいぶんと小さく……大型辞書ほどの持ち運びできるサイズではあったが――。
確かに、スネイク・ボックスだった。
「どうして……これがここに?」
俺の疑問に、ダロスが答える。
「念のため、全ての部屋を見て回っていたところ――エルザ様のベッドの残骸の下から、これが見つかりました。恐らく――ゲラルト様がエルザ様にお与えになったのでしょう」
俺は――。
ゆっくりとボックスに近づく。
父――ゲラルト・エジャートンが病で亡くなる直前に――金庫の開け方が俺に伝えられた。
鍵はなく――蛇にあしらわれた八枚の鱗……それを決まった順序で定められた回数押す。
――それが解除方法だった。
父が亡くなった後――教えられた方法で、屋敷の金庫を開錠してみたところ――。
入っていたものは、宝石や現金の他、契約書や証明書――そして。
決して表には出せない――エジャートンの黒い取引書類や機密文書だった。
嫌な予感が――止まらない。
だが――。
なぜだか、これを開けなくてはならないという使命感が強く湧き上がり、俺は蛇の鱗に手を伸ばす。
記憶の順に鱗を押し――カチッと開錠した音が鳴る。
恐る恐るボックスを開けるとそこには――。
クレグス修道院を買い取ったという――エルザ・エジャートンの名が入った古い契約書と。
日記が一冊。家紋を象った女性用の指輪。そして――。
エルザが俺に宛てた――封書が一つ入っていた。
・・・・・・・
お父様が亡くなった今――。
スネイク・ボックスを開けられるのは、私の他は、デイモンお兄様だけでしょう。
この手紙は――きっとお兄様が目にするはずだと思って……。
遺書のつもりで書いています。
私はこの金庫を……クレグス修道院の私の自室――。
そのベッドの下に隠していました。
お父様がそうするように言ったからです。
お父様は、金庫の開け方を私に教えると――。
私の名でこの修道院を買い取った書類を入れて、私に金庫を渡しました。
「もし、院長がエルザのやることに異を唱えることがあったら、これを見せて『追い出すぞ』と言って黙らせるんだ」
そう言われました。
私は――。
王都のお屋敷からこの修道院に送られたとき、お父様から一つ命令をされました。
毎日、川に入って、一時間以上水仕事をしろ――と。
私はお父様の言いつけ通りにしました。
修道院のみんなからは――。
元々水仕事は――この修道院では下っ端の仕事でしたから、特段あやしまれるようなことはありませんでした。
はじめは――変わったこともなく、毎日洗濯をしたり、皿洗いをしていました。
しかし、日が経つにつれ、不思議なことが起こるようになったのです。
まずは――あれほど見かけていた魚が……いなくなりました。
水を飲みにきていた小鳥たちも、姿が見えなくなりました。
そうして――。
一ヶ月が経つころには――川辺の草木が枯れるようになりました。
私が修道院に入り――三ヶ月ほどたった頃。
行商の男が、修道院に寄ったことがありました。
男は――いくつかの品物を修道女たちに売ると、次の目的地に向かって、川伝いに森の方へ歩いて行きました。
私は川で洗い物をしながら、男が去って行くのを眺めていました。
男は――暑かったのか、川の水に両手を伸ばし――すっと水をすくうと飲みました。
すると、男は――急に苦しみだして。
胸を掻きむしりながら、川の中へと落ちてそのまま流されていってしまいました。
ここまで書けば――。
聡明なお兄様でしたら、事情を察していただけると思います。
そうです。
私は――水に入ると、体内から毒を発する性質があったのです。
私は――行商の男が死んだことで……初めて自分の力に気づきました。
恐くて恐くて、修道院のみんなにはなにも言えず……すぐにお父様に手紙を出しました。
もう、川に入ることはできないと――そう書き綴りました。
しかし、お父様からの返信には――。
「お前は『猛毒のドナシー』なのだ。その力をアーガスタのために使うのだ」と――。
川の水を通じ、下流にあるバラッタインの土地を――毒で汚染するのが私の使命なのだと――。
厳しい命令が書かれていました。
それからしばらくして、お兄様が修道院を訪ねて下さいました。
とても嬉しかった。でも……私はお屋敷のときのように振る舞うことはできなかった。
私といれば――お兄様が不幸になりそうで。
私とともに川に入ろうとするお兄様が――死んでしまうのではないかと恐くて。
お兄様を遠ざけてしまいました。
あの時のお兄様の傷ついた顔は――今でも忘れられません。
ごめんなさい。
ずっと謝りたかったの。
私は川を毒に染めたことを悔いています。できることなら川を元に戻したい。
死ぬまで後悔し続けるでしょう。
お父様のご命令に背いても、するべきでなかった。
ねえ、お兄様。
お兄様は――後悔しない人生を歩んで。
最近――。
身体の調子がずっと悪いのです。
ドナシーの力も弱くなった気がします。
きっと――私はもう長く生きられないのでしょう。
先月――お兄様が夏前に遊びに来てくれましたが……。
次はお会いすることはできないかもしれません。
昨夜――。
院長から呼ばれて、院長室に行きました。
「あなたの力が――バラッタインに知られたかもしれない」
そう言われました。
私は――ああ、潮時なのだなと思いました。
とりとめのないことを書きました。
読みにくく、理解しがたい内容だったでしょう、ごめんなさい。
一人で抱えて死んでいくことが、どうしても耐えきれなかったのです。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
お兄様は、どうか私の分まで幸せに生きてください。
あなたの妹 エルザより
いつもお読みいただきありがとうございます。
この36話が、第二章では一番重い内容回です。辛かった方、ごめんなさい。
次話は「黎明」。デイモン視点もう少し続きます。
土曜、日曜は16時20分投稿予定です。
お楽しみいただけたら嬉しいです。




