35話【国境の宿屋】
「んっ……上手いな、この酒。……本当にこれ、ビエロなのか?」
俺はジョッキから口を離すと、目を丸くして向かい席に尋ねた。
「ええ、いつもデイモン様が大公邸で飲んでる――ビエロですよ」
にやりとしてダロスが返事をした。
――いや、これは……まったく別物だろう。
コクといい、香りといい――俺の知ってるものとは……。
「全然違う」
と呟いてしまう。
ダロスは俺の反応に満足そうに頷いて言った。
「この宿のビエロは、バラッタイン産を出してるんですよ」
国境にある街道沿いの宿屋――その食堂に、俺とダロスはテーブルを挟んで向かい合っていた。
俺はこの宿に来るのは初めてだったが――ダロスは常連客のようで。
一階が食堂を兼ねており、宿泊客以外も気軽に食事することができるとのことで――。
びっくりするくらい美味いビエロを飲ませてあげますと――今日の視察が終わるなり、引っ張ってこられたのだ。
「バラッタイン産ねえ……どこで作ろうがビエロはビエロだろう?」
俺は、シャツの一番上のボタンをはずして襟をくつろげた。
ここ数日――。
視察で森に入ることが多く、俺もダロスも貴族服ではなく――旅装のような動きやすい恰好をしていた。
おかげで――。
平民客の多いこの食堂でも、俺達は浮かずにすんでいた。
俺はジョッキを傾け――もう一度「うまい」と唸る。
ダロスは「ビエロの原料は小麦ですが……」と自分のジョッキをコツンとたたいて言った。
「このビエロに使われてるのはバラッタインでとれたものです。かの国の小麦は周辺国では一番ですからね。酒の味も良くなるというものです」
俺は――。
手元のビエロとダロスの顔を交互に見てから「そういうものか?」と呟き、またグビッとジョッキを呷った。
――やはり……美味い。
俺が喉を鳴らしていると――。
「はいはい、牛のグレナグダ焼き、お待ち!」
店員が威勢良く皿を置いていった。
香ばしい匂いの誘われ、さっそく串に刺さった肉に囓りつく。
――うん、こっちも良い味だ。だが……。
「屋敷で食べてる肉と……同じ味がするな」
俺が言うと、ダロスも肉を頬張りながら――首肯した。
「そうでしょうな。この店は、牛は我が国のものを使ってます。肉の品質は――アーガスタの右にでる国はありませんから」
――ふむ、すると……。
「ここは、国をまたいで食材を用意してるのか?」
尋ねると、ダロスは頷いた。
「戦時中は――一応、この店はアーガスタにありますから――国内のものだけで調理してたそうですが、平和になった今は、昔どおり両国の食材を使ってます」
「……立地的に、どちらの国のものも手に入りやすいからな」
「ええ、国境の店ではよくあることです」
それから、ダロスは皿の料理をみて――。
このトマトはバラッタイン、こっちのキノコはアーガスタ産と、つけ合わせの産地を説明する。
「……詳しいな」
俺はじろっとダロスを見て言った。
「常連ですから」
「いや……常連だから知ってる――の域を超えてるぞ?」
俺は腕を組んで、眉を寄せた。
「なんでこの店の料理にそんなに通じてるんだ?」
ダロスは少し考える素振りをして、「まあ、もう終戦から五年経ちますしね」と呟いてから言った。
「妻がこの宿の看板娘だったんですよ。それで……彼女から色々教えてもらいました」
「え、そうなのか!?」
初めて聞く話に驚いていると……。
「それから……」
ダロスはこちらにぐっと身を乗り出し、小声になった。
「この宿はアーガスタ国にありますがね――店主も女将も……バラッタイン人なんです。二人の娘である妻も……ね」
「なっ……!?」
衝撃の内容に俺は思わず立ち上がってしまう。
ダロスは澄ました顔で言った。
「まあ……国境の店ではよくあることです」
食事を終えると――。
ダロスは店主と女将――あいつにしてみたら、義理の父と母――に挨拶をしてくると席を立った。
俺は――。
一人、ちびちびと残ったビエロを飲みながら、まだショックを引きずっていた。
――まさかダロスの奥方が、バラッタイン人だったとは……。
陽気で朗らかな――王都の女将を思い浮かべる。
――ダロスがミレイユに……なにかと目をかけていたのは、これが理由か。
妻のことがあり――バラッタインの女性に肩入れしていたのだろう。
がしがしと頭をかいていると――。
となり席で、男が驚いた声をあげた。
「お前もか! そうなんだよ、一週間前だろう?」
周囲の席からじろりと見られ……男はもじゃもじゃと生やした髭をなでながら、慌てて声を落とし――。
向かいの友人らしき男に話しかけた。
「木を切りに森に行ったら――騎士がわんさかいて、驚いたのなんの」
「だよなあ。俺も昼間にキノコを採りに森に入ったらぎろりと睨みつけられて……いやあ、焦った、焦った」
赤ら顔の男がうんうんと頷いて応える。
隣の男二人は――森で生計を立てている平民のようだった。
「ずいぶんとピリピリしてたよな」
「ありゃあ、バラッタインの騎士だったなあ」
――ほう……。
一週間前といえば――。
――暴風雨の夜……やっとの思いで、俺達がフォンティティの森に到着した日だな。
和平を結んだとは言え、まだまだ緊張が残る国境沿い――。
剣を持つ騎士をウロウロさせるのは悪手だと――バラッタインとてわかってるはず。
なのに――。
それを曲げて、騎士を動かしたのには……さて、どんな理由があったのか。
気になった俺は――ジョッキを片手に、聞き耳を立てる。
「なんでもなあ、貴族のお嬢さんが、森で行方不明になったみたいで捜索していたらしいぞ。まあ、次の日には見つかったみたいだったが……」
――なるほど。
貴族令嬢が森で消えれば――たしかに家門の騎士が必死に探し回るだろう。
納得していると――。
カランと宿屋の扉が開き――一人の老人が入ってきた。
老人は――俺の隣席を見て、片手をあげて近づいてきた。隣の男たちも笑顔で応える。
「なんだ、久しぶりだな、フォルグ爺さん」
「ここ暫く姿を見なかったが――どこかに転居したのかい?」
そう問いかけられた老人は、「セティーナでな、墓守の仕事をはじめたんじゃ」と言いながら――話しかけてきた男たちに混じって座った。
セティーナは――バラッタインの王都の名だった。
この老人、隣席の男たちの態度から察するに、どうもアーガスタ人らしいが――。
――……バラッタインで仕事をしてるのか。
俺が驚いてると、同じく、隣の男たちも目を丸くした。
現在、この森の国境の行き来は――貴族、平民ともに基本的に自由だ。
国境砦に兵士がいて往来の監視はしているが、入国規制はしていない。
剣や銃などを持ち込む以外――気軽に越境できていた。
但し、まだ互いに互いを良く思っていない風潮から、国境を越えるのは――。
商人や旅人、山で仕事をする者など……必要に迫られた人間がほとんどだった。
――アーガスタ国内にも仕事はあるだろうに、なんでわざわざ居心地の悪い隣国に……。
そう思いながら、ジョッキを手に持つと、髭の男が俺と同じ疑問を口にする。
「どうしてまた、隣国へ出稼ぎに? 爺さんも物好きだな」
尋ねられ、老人は陽気に答える。
「どちらの国だろうが――王都というの稼げる場所なんじゃよ。カサドラはちとここからは距離がある。セティーナなら馬で半日で着くからな」
近場で儲かる場所があるなら――国名はこだわらない。
老人の身軽さを――俺は呆れるとともに羨ましくも思った。
「あっちはビエロは最高なんじゃが……肉がイマイチでなあ。こっちの肉が恋しくなって、三日ほど休みをもらってきたんじゃよ」
そう言うと、老人は店員を呼び止めて、イノシシのステーキを注文する。
「しかし――墓守かあ」
髭の男が眉を寄せて腕を組み、赤ら顔も「なんだか陰気な仕事だな」と呟く。
――まあ、陽気な職業ではないな。
三人の話に耳を傾ける。
「ははは、墓守はいいぞ。墓地の片隅でだまって座ってればいいんじゃ」
「俺は嫌だな、一日死人と一緒だなんて」
赤ら顔が口をとがらせた。
「まあ確かに死人とは一緒だがな、生きてる人間にも会えるぞ。墓参りにくるからな。先日は――目の覚めるような美人に話しかけられたわい」
「ほう、未亡人かい?」
「いや、埋葬された男の婚約者だったと言っておったなあ。燃えるような赤毛の女だった」
それから老人は、難しい顔をした。
「なんだい、どうした、爺さん?」
髭の男が話しかけると、老人は考え込みながら口を開いた。
「いや、あの美人――婚約者の墓の場所が……移動したと言ってたんじゃ」
「墓が移動?」
「そんなことあるのかい?」
二人が眉をよせて尋ねる。
「ないない、そんなこと、滅多にない。よほどの事情がないと……墓は動かさんよ。しかし――そう言い張っておったなあ」
貴族の墓でな――と老人は続けた。
「なんと言ったか――レオン? いや、レナールだったか。たしか、侯爵家の息子の墓だったんだが……」
老人はしばし考え――「思い出した!」と手を打った。
「レナート・ガスパール。たしか墓石にそう書いてあったはずじゃ」
俺は、覚えのある名に――すっと酔いが冷めた。
「そういえば――」
と老人が首を傾げた。
「最近……花が生けられてないのお」
「花? なんの花だい?」
髭面の男が、頬杖をついて聞く。
「墓にそなえる花じゃ。あの美人さん――毎朝、メイドに届けさせてたんじゃ。それが、ここ三日ほどぱったり来なくなってな」
「はあ……なにか理由があったのかい」
腕を組みながら、赤ら顔が尋ねる。
「さて。わしは知らんが――なにか、心変わりがあったのかのう」
「心変わりって?」
老人は眉をよせ、赤ら顔に答える。
「だから、わしが知るもんかい。だが――愛想が尽きるようなことでもない限り……こんな風に突然やめることはないじゃろ」
ぽんと、肩を叩かれた。
俺は飛び上がりそうになるのを堪え、じろりと後ろを見た。
こんな風に俺の背後をとるやつは――一人しかいない。
「ダロス」
「お待たせしました、デイモン様」
そう言って一礼すると、ダロスは――。
「支払いは済ませて参りました。そろそろ領地屋敷に戻りますか?」
と、すっかり日が沈んだ外を見ながら聞いてきた。
店の外に出ると――ぴりっとした寒さに包まれた。
木に繋いでいた馬を引いてきたダロスが、ぽつりと言った。
「あの老人が言っていた……墓参りにきた美人というのは、ミレイユ様のことですね」
俺は瞬きをした。
――こいつ聞いてたのか。
戦時中も、ダロスの耳聡さには驚かされることがあったが――。
相変わらずだなと、天を仰ぐ。
「生花を供えるのを止めたのは――老人が言うとおり、心変わりをしたからというなら……」
馬の手綱を俺に渡しながら――ダロスは言った。
「ミレイユ様は――ガスパール侯爵令息の真実を知ったのでしょう」
俺は黙って手綱を受け取った。
「デイモン様」
名を呼ばれる。
「どうして――ミレイユ様にお話にならなかったんですか」
ダロスが真正面から俺を見た。
「レナート・ガスパールが二重スパイだったと――なぜ伝えなかったのです?」
鐙に足をかけ、馬に跨がると――俺は肩を竦めた。
嫁いできたときの様子で――彼女がレナート・ガスパールのスパイ活動についてなにも知らないことは察しがついた。
だが――。
「言っても信じなかったろう、ミレイユは。とりたてて話す内容でもなかったしな」
二重スパイの件は――騙し騙された……両国にとって苦々しい思い出だった。
厳しい箝口令を引かれたわけではないが、知っている人間は口を閉ざす――両国ともに「そういう案件」だった。
「しかし――話していれば、お二人の関係も少しは違ったかもしれません」
どこか――残念がるダロスの口調に、俺は馬の毛並みをなでながら言った。
「憎しみは――生きる力になるからな」
敵国に嫁いできたミレイユに、手を差し伸べるつもりはなかった。
だが――。
生き残る術を奪う気も――なかった。
捕虜の経験があった俺は――。
敵地で囚われて生きる大変さを身をもって知っていた。
綺麗事ではないのだ。
「恨みや怒りがなくては――生き延びれないときがあるんだ」
憎ませておけばいい。
結婚式の後、俺を睨みつけるミレイユをみて――そう思ったのだ。
帰るぞ――とダロスに声をかけると、俺は馬を走らせはじめた。




