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最愛は、顔も知らずに離婚した敵国の夫・妻です。  作者: Sor
第二章

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34話【レナートの真実】

目を覚ますと――。



「ミレイユ様」


とアンに呼ばれた気がして、すぐ横を見た。


「ミレイユ様、お気づきになられて、よ……良かった……っ」



涙を溜めて、心底ほっとした表情をみせるアンがいて――私はふふっと笑った。



「今度は夢じゃないのね」



あたりを見回せば、あの粗末な小屋ではなく――私は領地屋敷の自室のベッドに寝ていた。




――騎士たちは私を……屋敷まで無事連れ帰ってくれたようね。



アンがベッド脇に膝をつき、そっと私の手を握った。



彼女の手は震えていて――私が目を開けるまでどれほど不安だったのかが伝わってきた。



「アン、心配をかけてごめんなさい」


と、私は彼女の手を握り返して謝った。



「そんな……っ、謝るのはアンのほうです。お守りできず申し訳ありませんっ」



「ううん、こうして帰って来られたんだもの。もう謝らないで。アンも……怪我がないようでよかったわ」



小屋で散々心配したけど、彼女が無事でほっとする。アンは涙をこぼし、深々と頭を下げた。



私は、彼女を慰めようと起き上がろうとして――。


「うっ」と肩に走る強い痛みに顔を歪めた。



アンがはっとして顔を上げる。


「いけません、ミレイユ様! 横になって下さい」


アンが慌てて私を元の姿勢に戻した。



「両肩につかまれた跡が残っていて――ひどい痣になっているのです」


眉を下げて言ってから、アンは立ち上がった。



「すぐにお医者様を呼んできます。公爵様にもミレイユ様がお目覚めになったとお知らせしてきますね」



私が頷くのを待って、アンは部屋から出て行った。






それから――。


医師の診察を受けていると、父と兄がバタバタと部屋に駆けつけてきた。



「ミレイユ!」


兄はベッドまで来ると、心配そうに顔をのぞき込んできた。



「大丈夫かい?」


「ええ、肩の痛み以外はなんともないわ」


兄は安堵したように息を吐いてから言った。



「お腹は空いてない? なにか持ってこさせようか」


「あまり食欲はないけど、喉が渇いたわ」


「わかった。じゃあ水と――果実水も気分が良くなるかもしれないな」



そう言って、兄が廊下で待機していたメイドに目配せしている横で――。



父は医師から――。


「肩の痛みは二週間ほどで良くなるでしょう。それまでは無理に動かさないように」と指示を受け、神妙な顔で頷いていた。



私のベッドサイドに水と果実水が運ばれ――。


医師が退室すると、部屋の中には私と父と兄、そして部屋の隅に控えるアンの四人が残った。




そこで――。


私はある決心をして、父に向かって口を開いた。



「ご心配かけてすみませんでした、お父様」


「うむ、無事に戻って来てくれて良かった」


そう言って微笑む父に、笑みを返してから――言う。



「お父様、一つお願いがあります」


「なんだね?」



私はぎゅっと胸を押さえ――口を開く。



「レナートのことを教えてもらえませんか」



父が息を飲んだ。


目覚めてから……ずっと尋ねたいと思っていたのだ。



黙り込む父に――。


――お願い、お父様。どうしても知りたいの。



私は強い視線をむけて――語りかける。



「私を攫ったダグラス・バイランが、私とレナートのことを……好き勝手に話していたんです。とても本当とは思えない、荒唐無稽なことばかり」



呆れたように首を振る。



「どれもこれも『そんなはずない』と聞き流していました。でも――」



私は父をじっと見た。



「一つだけ、どうしても引っかかることを言っていたのです」



もし――。


この「引っかかること」が事実なら。



――ダグラスが語っていたレナートの妄想話は、真実だといういうことになってしまう。



私は一つ深呼吸した。



――大丈夫、お父様はきっと……笑って否定してくれる。



冷たくなっていきそうな指先をぎゅっと握りしめ、私は口を開く。




「レナートの墓が移動しているのは……ご存じですね?」



父だけでなく、兄にも視線をやると……二人とも落ち着かない様子で頷いた。



「ダグラス・バイランは――墓が移動したのは、レナートが二重スパイだと発覚したからだと言ってました」


二人の顔色が――変わった。


アンが息を飲む。



「侯爵は息子の裏切りに激怒し――破門同然に――墓を、家門一族が埋葬される場所から平民墓地へ移した……バイラン子爵令息はそう言っていました」



お父様、と私は呼びかけた。



「それは――真実ですか?」



部屋が静まり帰る。


壁時計の音だけが響き――息苦しいの静寂の中。



「――本当のことだ」


父が重い口を開いた。








それから、父が語るのを――。



私は血の気の引いた顔で、黙って聞いていた。




バラッタイン国王の命令で――。


レナートが、アーガスタの情勢を探るスパイ活動をしていたこと。



ところが、いつの間にか――アーガスタと通じ、バラッタインの情報をかの国へ流していたこと。



戦後しばらくして――彼が二重スパイだったと発覚したこと。



おおむね、ダグラスから聞いた話と合致していた。




だが、はじめて知る事実も……二つあった。




「レナートは……超聴覚のドナシーだったのだよ」



父の言葉に――。


「そんな……本当に……? 私、全然知らな……っ……」



驚愕のあまり言葉をつまらせる私を――兄は憂いの目で見つめ、父は宥めるように言った。



「私もジスランも――知らなかった。知っていたのは父親の侯爵と国王陛下だけだったようだ」



レナートはその特異な聴覚を活かして――。


国境沿い――自領ブライトンで、アーガスタの情報収集をするよう命じられていたのだという。




父は――どこか遠くを見るような眼差しで言った。


「レナートがドナシーであることは王家の秘匿事項だった。本来なら私もジスランも知る由もないことだったが――」



彼が二重スパイだったのではないか――そう疑惑が持ちあがり……。



陛下より調査を命じられたときに初めて……二人はレナートの能力について知らされたのだという。



私が言葉も出ず、ただただ呆然としていると……。



兄がためらいがちに口を開いて――私の知らなかった事実がもう一つ伝えられた。



「デイモン・エジャートンがレナートを討ったのは……二重スパイであることを嗅ぎつけてのことだったらしい」








・・・・・・・


「今日という今日は――なにか召し上がっていただきますよ、ミレイユ様」



アンがワゴンとともに、腕まくりをして、部屋に入ってきた。



朝の支度を終え、文机に座っていた私は――勢いよく入ってきたアンに目をやる。



アンは張り切って、机に料理皿を並べていく。


ほかほかと湯気をたてる、美味しそうな朝食。


しかし――私はスプーンを手にとることなく、困ったように皿を眺めた。




アンが眉を下げた。


「なにか一口だけでも召し上がってください。この三日間、ほとんどお食事されてません。このままでは倒れてしまいますよ」



――わかっているわ。けど……。



レナートが二重スパイだと知ってから――なにもする気がおきず、食欲すらわくことがなかった。




――昨日、お父様がお見舞いついでに、誘拐事件の顛末を教えてくださったときも……どうでもいいと思ってしまった。



父の話――。



ダグラス・バイランは――。


騎士たちに助けられた私が、気絶する直前に「森の管理小屋」と言い残したことから……。


騎士たちがすぐ小屋に駆けつけたところ――床で息絶えていたそうだ。



毒を飲んで死んでいたそうで、自死した可能性が高い――とお父様は言っていた。


ダグラスが雇っていたごろつきどもは、森の奥深く……森のへそと呼ばれている窪地で、やはり死んでいたという。



遺体たちには互いに刺し傷があったことから、仲間割れを起こし、殺し合いになったのだろうということだった。




誘拐犯たちの末路を聞いても――私はなにも感じることはなかった。



心が――凍ってしまったようだった。



アンが――。


レナートに対し怒り心頭で、王都の屋敷のメイドに手紙を送り、墓地への献花を止めるよう指示を出したときも……。


何の感慨も抱けなかった。




あの夏。


レナートが私を森に誘ったのは。


リュートの弾き方を教えてくれと頼んできたのは。


スパイ活動のためだったのだろう。



――私は、利用された。



彼は国を裏切り、私のことも――騙した。


バラッタインで過ごしてきた彼との日々が、黒く塗りつぶされたようだった。




深い溜息を吐く。食べていないせいか、息をするのも苦しい気がしてくる。



――このままではいけないわね。



そうは思うものの――目の前の皿を見ても、食欲はわいてこない。



私は頭を横に振った。



「アン、ごめんなさい。やっぱり今日も食べられな……っ、ん? むぐっ!」



ググッと口の中に、スプーンを突っ込まれた。


「……!?」


じゅわっとスープの味が口に広がる。



私が目を白黒させながら、顔を上げると、半眼になったアンがいた。



彼女は私の口からスプーンを引き出すと、スープをすくい、再び私の口にこじ入れようとする。



私は口の中のものを慌てて飲み込んだ。


それから、赤子の面倒をみるかのような彼女の振るまいに抗議する。



「待って、アン。こんなのないわ! 私、もう成人してるのよ!」



「そういうことは、ちゃんと成人らしい行動を取ってから言って下さい」



ピシャリと言って、彼女は無理矢理スプーンを口に入れてきた。



しかも、私の苦手なニンジンが多目だった。



「~~~……!」



涙目で咀嚼する私に、アンはふんと鼻を鳴らす。


そして、次はもうニンジンしかのってないスプーンをこちらに向けてきて――。



「わかった、わかりました。ちゃんと食べます!」



私は彼女からスプーンを奪った。






それから――。


アンの厳しい監視の下、私はスプーンを動かし続けた。



ほんのりしょうがの効いたスープが、身体に染み渡っていく。



ふと、気づく。


――この素朴で優しい味……イルジャンの作るスープに似てるわ。



ふわっと懐かしい気分がわきあがった。



口元を緩めると、アンがほっとした顔になった。



「ミレイユ様、パンも召し上がりますか?」


「そうね、いただくわ」



身体は栄養を欲していたのだろう。食べ始めれば、食欲が少しづつ戻ってきた。



スープを完食し、パンを一切れ食べた私を――アンは満足げに見てから、食器をワゴンに乗せると退室していった。



――少し、気分が良くなったわ。




食べて体温が上がったからか、心にも血が通ってきたように思えた。



――あら?


壁に、お父様からもらったリュートがかかってるのが目に入った。



アンが森から無事に持ち帰ってくれてたようだ。



ここのところ、俯いてばかりだったので、全然気づかなかった。




部屋の片隅に――もう一つ。


小屋から逃げ出すときに持ってきた、レナートのリュートがあるのも目に入ったが……そちらは見なかったことにする。




私は、お父様のリュートを眺めた。




イルジャンのスープを思い出したからか――酒場で楽器を奏でていたときのことが脳裏に浮かぶ。



目を閉じると――。



そこは、梁がむき出しでどこか温かみがあるイルジャンの店の中だった。


陽気な客に、美味しい料理。そして――音楽嫌いだったダン。



大剣を携えた傭兵は、顔をしかめると――仮面の男に変身した。




同時に背景が、酒場から大公邸の執務室へと変わる。



そこには――仮面をつけた私もいた。


私は――無機質な声で言う。



「エジャートン大公、あなたは私の婚約者を亡き者にしたわ」






「ミレイユ様、お休みになるのでしたら、ベッドにお入り下さい」



声をかけられ、はっと目を開ける。


ワゴンを片づけてきたアンが、横に立っていた。



――いけない、私、うたた寝しちゃったのね。



文机から立ち上がり、欠伸をする。



「久しぶりにお食事をされて、眠気が出たのでしょう。少し眠ればすっきりされますよ」



朝日の差し込む部屋で――二度寝することに少し抵抗を覚えるものの……。



――眠気には勝てないわ。


私はアンに手を引かれ、ふらふらとベッドに移動するとシーツに潜り込む。



ぼんやりとした頭で、さきほどの夢について思う。



――私……仮面のデイモンと顔をあわせる度にああ言ってたわね。……あら?



ふっと疑問がわく。



そういえば、彼は一度も……二重スパイのことは口にしなかった。



――なぜかしら?



兄の話では、デイモンはレナートの真実を知っていたはずだ。



彼には――レナートを討つべき確固たる理由があった。



それを言えば――。



――口うるさく咎めてくる妻を、少しは黙らせることができたのに。



アンが毛布を整えてくれるの見ながら、うつらうつら考える。



――なにか……言えない理由があったのかしら。



ふわぁ……とまた欠伸が出る。


「さあさあ、お休み下さい、ミレイユ様」


アンに毛布の上からぽんぽんと優しく叩かれた。




――ねえ、デイモン。


私は心の中で呼びかける。



――私から責められるたび、あなたは何を考えていたの?



すうっと眠りに落ちていきながら、私はそう問いかけていた。

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