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最愛は、顔も知らずに離婚した敵国の夫・妻です。  作者: Sor
第二章

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32話【デイモンの妹】

――変わらないな、このフォンティティの森は。



俺は馬を操りながら、朝日に輝く紅葉の美しさに目を細めた。




昨夜、王都から森に到着するなり――。


突然の暴風雨に見舞われ、ずぶ濡れになりながら、デルビオンの領地屋敷に逃げ込んだときは大変だったが……。




一夜明けて、穏やかな日差しの下――俺は清々しい森の空気を満喫していた。



――妹も……この森でなら安らかに眠れているだろう。



実際、さきほど花を手向けてきた墓石は、赤や黄色の葉に囲まれ――穏やかに微笑んでいるように見えた。



――エルゼ。



俺が九歳の誕生日を迎えてすぐ――父が、突然、屋敷に連れてきた少女の名前だった。



みすぼらしい……平民の服を着た子だった。顔色は悪く、ガリガリに痩せ、パサパサの黒髪をツインテールに結んでいた。



父はエルゼを俺に引き合わせると、ただ一言、「お前の妹だ」と言った。



その他の妹に関すること――。


母親が誰なのか、どこに住んでいた子なのか、そもそも……本当に父の子なのか――は一切説明されることはなかった。




エルゼは屋敷の日当たりの良い部屋をもらって、メイドたちに世話をされ――。


痩せた身体は丸みを帯び、頬もバラ色へと変わり段々と健康になっていった。



俺は――突然できた妹にどう接していいかわからず、はじめは遠巻きに眺めていたが……。



俺と目があうと、恥ずかしそうに水色の目を細めるエルゼが――段々と可愛らしく思えてきて。



一月もしないうちに、一緒に遊ぶようになった。



かけっこをしたり、屋敷を探検する中で――エルゼから聞いた話では……。


彼女は俺の一つ下で八歳、平民街で暮らしていて、母親は去年死んだということだった。



一人路頭に迷っていたところ……ある日、父が現れて、「父親だ、一緒に来い」と馬車に乗せられたのだという。




エルゼは――あまり父とは似ていなかった。だから、父似の俺とも似てない。


だけど、不思議と血のつながり――絆のようなものを感じた。



二人でいると――これまでどんよりとしてた家の中が、明るく見えるようになった。


なにをしてても、愉快で笑顔になれる……兄妹とはこんなに良いものなのかと、幼心にも感激した。




しかし、そんな楽しい日々は――一年しか続かなかった。



翌年――バラッタインとの戦争が始まり、王命で俺は十歳で戦場に行くことになった。


同時に――エルゼは……クレグス修道院へと送られることになる。




元々そのつもりだったのか、戦時になり、引き取った子どもが煩わしくなったのかはわからないが――。



父は――エルゼを屋敷から追い出した。




俺は――戦場にいても妹のこと思い、年に数回、領地へ休息に戻るときには必ず――妹の修道院を訪れた。



最後にエルゼに会ったのは――彼女が十八歳になった夏。



――その二ヶ月後に、エルゼは殺された。タウンゼント公爵家によって……。




手綱を握る手に力が入ってしまい、馬が不平を漏らすようにブルンと鼻を鳴らした。


「ああ、悪かった、落ち着いてくれ」


俺が馬を宥めていると――。




「エルゼ様の墓参りはお済みになりましたか」



声のするほうを見れば――森の入口で、ダロスが騎乗して待っていた。



俺が妹の墓前に行くときは――ダロスは遠慮してここで控えているのが常だ。



「ああ、終わった」


俺はダロスの横に並ぶと――東に馬首を向ける。


「修道院に行く」


「かしこまりました」



墓参りの後は――廃院となった妹の――クレグス修道院を訪れる。


それがいつもの流れだった。








・・・・・・・



フォンティティの森には、北のアーガスタから南のバラッタインに向けて流れる川があり――。



その川沿いにクレグス修道院はあった。



俺とダロスは――。


襲撃で壁が壊れ、すっかり廃墟と化してしまった院を……黙って見て回った。




初めて、妹を訪ねたときのことを思い出す。




この修道院では「平等」が重んじられており、貴族も平民もなかった。


新参者で、年齢も一番下なエルゼは下っ端扱いされ――。


俺が面会に行くと、下働きのような仕事をやらされていた。




真冬だというのに川に入り、洗濯や洗い物をさせられてるエルゼを見かねて……「大公女だぞ、水仕事などやらせるな」と院長に抗議した。だが――。



「当院は――年若い者が水仕事をすると決まってるのです。大公様からもエルゼ様を特別扱いしないよう言われております」


と聞き入れてもらえなかった。



エルゼにも「そんなことしなくていい!」とやめるように言うが――彼女は俺を黙って見返すだけで、川から上がる気配がなかった。



屋敷にいたときとは違う――エルゼの冷たい態度に戸惑いつつ――。



俺は、自分も川に入ってエルゼに手を貸そうとした。だが――妹から「絶対に川に入らないで!」と怒鳴られてしまった。



激しい拒絶に、俺は自分がエルゼから嫌われたのだと悟った。



なぜ――と思ったが、少し考えればわかることだった。




平民街で父に捨てられ貧しい生活をしていたのに――母が亡くなると同時に、突如、大公家に引き取られた。



このまま父の元で暮らせるのかと思ったら――今度は、いきなり修道院に放り込まれ――。



人生を振り回され……エルゼが大公家に対して抱いた不信は凄まじかったろう。



その警戒心が――大公家の一員である俺にも向けられたのだ。




俺はその日――妹にろくに口をきいてもらうことができないまま、修道院をあとにした。



しかし――俺は諦めなかった。



その後も、戦場から領地の戻る度に、修道院を訪れ――彼女から無視されても陽が暮れるまで話しかけ続けた。



そうして、四度目に訪れたとき――エルザは俺を見て、ようやく昔のように笑ってくれたのだった。



それから――。



川の手伝いは断固拒否されたが――。


倉庫の整理や、シーツの取り替えなど、院内での仕事は一緒にやらせてもらえるようになった。



その時――妹が仕事をしながら口ずさむ歌を聴いた。



エルゼは――「子守歌なの。私、歌はこれしか知らなくて」と恥ずかしそうにしていたが――。



初めて聞くその曲は、とても柔らかなメロディで――俺はその歌が大好きなった。



「大公邸でも歌ってくれれば良かったのに」と言うと、エルザは「平民の歌だから、お父様が嫌がると思って」と顔を赤らめた。



戦場を離れての――つかの間の心安まるひとときだった。






荒れ果てた修道院を見上げ――。


かつて妹と過ごした、穏やかな時間を思い出して口元を緩めていると――。




「ふうむ、……こんな状況でも育ったか」


ダロスが呟く声が聞こえ、そちらを振り返った。


修道院が耕していた――畑だった場所に、ダロスが膝をついてた。



「どうした」


俺が声をかけると、ダロスが立ち上がって言った。



「いえ、ここに豆がなってましてね。もう土の手入れしなくなって何年もたちますが――育つものなのだなあと感心しておりました」



畑に目を凝らすと、たしかに小さいながらも豆の実が見えた。



そういえば――。



「なあ、ダロス。この前、離れの家に畑があるのを見かけた。あんなものなかったはずなんだが……」



俺は気になっていたことを口にした。



「ああ、あれですか。ミレイユ様のメイドが野菜を作ってましたね。自給自足をしていたようです」



「自給自足? 離れには本宅から食事を運んでいたのではないのか?」



聞き捨てならないことを言われ、俺は問い質す。




「食事というより、食材を運んでいただけのようですね」


ダロスは肩をすくめた。



「調理は――ミレイユ様のメイド……アンといいましたか、あの者がしていたようです。恐らく、食材の不足分を畑の野菜でまかなっていたのでは……」



「食材の……不足?」


俺が眉をよせると、ダロスは苦笑いをした。



「本宅の従者が、必要最低限の食料は届けていたようですが――大公夫人の食事と呼ぶにはいささか……物足りない量ではありましたな」



離れのことは――はっきりいって放置していたが……、不足のある暮らしをさせるつもりはなかった。



「そんなことになっていたとは……ダロス、どうして俺に報告しなかった?」


苛ついて尋ねると、飄々とした口調が返ってくる。




「伝えようとしましたよ? しかし、あなたが『離れのことは重要案件以外は報告するな』と命令されましたので」



「日々の食事のことだぞ? 重要案件だろうが」



「しかし――当のご本人、ミレイユ様も、時折メイドとともに畑仕事に精を出し……逞しく乗り切られていましたからね。報告の必要はないかと思いました」



「ミレイユが畑仕事?……大公夫人だぞ?」



ダロスは片眉を上げ――「ミレイユ様は『レイナ』だったのでしょう?」と言ってから……。



「酒場でフレジコとして振る舞う女傑なのですから、畑仕事だってやってのけますよ」


と、ニヤリと笑った。



瞬間――。


心の中に……仮面の女と、リュートを抱えた女が浮かんだ。



「ミレイユ様は、意外と行動的でしたよ。いつだったか、早朝に旅行鞄を持たれて、一人旅立っていかれた日もありましたし」


そうそう――とダロスは手を打った。



「同じ日の朝方、やはりデイモン様も泊まりでお出かけになってましたな」



俺は記憶をたどり――。


あのセルゲトン村の結婚式……祝いの演奏を頼まれた時のことだろうか、と思いつく。



ダロスがふっと笑った。



「それにしてもあの早朝のミレイユ様の――必死なご様子ときたら。どうしても大公邸を離れなくてはならない用事があったのですねえ」



それは――。


ミシェル婆さんの頼みを聞くため……懸命に屋敷から抜け出そうとしていたのだろう。



仮面の女が――あたふたと鞄を持って立ち去る姿が思い浮かび……。


いつも他人のために尽くしていたレイナと重なる。




バチッと頭の中に火花が散った。


しびれるような感覚がして息が止まる。



「……ミレイユは、レイナだったのか」



呆然と俺が呟くと――ダロスが「なにを今更」と呆れた顔をした。



俺は――。


壊れた塀の向こうに見える川を眺めた。



水面は揺れ、南に――バラッタインにまっすぐ流れていく。



昨夜の雨で増量し、ゴウゴウと音を立ててる水流の先にいる――赤髪の女を想った。

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