31話【誘拐】
結局――。
兄の助言を聞いて、私はリュートを抱えて森に入った。
見晴らしの良い開けた場所までくると、アンが広げてくれたシートの上に座り――。
秋の柔らかい日差しの中、好きな曲を弾き始めた。
側にはアンが控え、少し離れた場所に背の高い騎士が二人。いずれも私が嫁ぐ前から騎士団にいる者だった。
そよ風のような心地よいメロディが辺りに響く。一曲弾き終えて――自分の手を見た。
――昨日、泉で弾いたときも感じたけど……久しぶりに弾くから指が上手く動かないわね。
それでも――まずまずの音が奏でられて、私は満足する。
シート脇に控えるアンを見れば、「やっぱりミレイユ様はリュートを弾いていらっしゃらないと」と微笑んでくれた。
私は、上機嫌で再びリュートを構えた。
エチュードを少し弾いてから、秋の祭りでよく使われる舞踏曲、魔法使いが出てくるオペラのプレリュード、幻想的なノクターン――思いつくまま弾いていく。
かつてこのフォンティティの森で……こんな風にリュートを奏でたことを思い出しながら。
あれは――私とレナートが婚約して間もない頃だった。
かの国との戦争がいよいよ苛烈になり、貴族も平民も殺伐とした空気に戦々恐々とし、塞ぎ込んでいた時期。
アカデミーが突如休校になることが頻発し――生徒はそれぞれ自宅で過ごすことを強要された。
私も同様で――でも、まだ十五才の私にはじっと部屋で過ごすことは苦痛で……。
日々、時間を持て余してた時……レナートから魅力的な提案を受けたのだ。
フォンティティの森へリュートを弾きにいかないか――と。
アーガスタとバラッタインの国境沿いにはいくつかの森があって――その内の一つがこのフォンティティの森だった。
フォンティティの森の北部はアーガスタ、中央に緩衝地帯を挟み、南部はバラッタインが治めていた。
さらに、森の南部は……ルーモナ領とブライトン領に二分割され――タウンゼント公爵家とガスパール侯爵家がそれぞれを領地とした。
そのガスパール侯爵領――ブライトンにこっそりリュートを持ち込んで、気晴らしをしようと……レナートは誘ってきたのだ。
レナートは、貴族には珍しく、リュートを毛嫌いせず――。
私がリュートを隠れて弾いてることを知る数少ない人間の一人だった。
私はすぐさま両親に――リュートを持っていくことは秘密にして――ブライトン領に行く許可をとった。
そして――初夏の緑の森で、思う存分、レナートと秘密の演奏会を楽しんだのだった。
――あの時は、本当に楽しかったわ。レナートも、自分のリュートを用意してきて……。
彼は、私に弾き方を習った。曲を奏でるまでには至らなかったが……。
音階はマスターして、森の中で楽しそうに繰り返し音を出していた。
――レナート。
心の中で彼の名を呟き――ふと、昨日立ち寄った教会の墓地を思い出す。
演奏の手が止まる。
墓地から馬車に戻ったとき――兄と父は明らかに機嫌を損ねていた。
彼らは言葉にこそしなかったが――私の墓参りが気に入らなかったのだ。今思い出しても――二人はかなり怒っていたと思う。
そのため、私は……。
墓が移動していた訳を――。
そして、彼らがガスパール家への墓参りに憤るを理由を――。
未だ尋ねることができないままでいた。
――タウンゼント家とガスパール家は、あれほど懇意にしていたのに……。
そう思ってから気づく。
そういえば――。
私が帰国してから……ガスパール侯爵が我が家に遊びに来たのを一度も見てない。
――私がバラッタインを離れる前は……レナートが亡くなってからも、侯爵は一週間に一度は顔を見せていたのに……。
不安がわき上がる。
私がアーガスタにいる間に、両家の間に亀裂が入ったのは間違いない。
私は堪らず、護衛の騎士たちに話しかけた。
「ねえ、セシル卿、スターキー卿。知っていたら教えてほしいのだけど……」
顔なじみの騎士たちは、私の呼びかけに「はっ」と礼をとった。
「ガスパール家と……なにか揉め事でもあったのかしら。父と兄の態度が……その……以前とは違う気がして」
私が言い淀みながら尋ねると――二人は驚いた顔をしてから、気まずげに言った。
「それは……私たちもよく存じ上げないのです」
「公爵様からは……ガスパール家とは今後一切関わるなとだけ言われておりまして」
困惑気味に話す彼らから、嘘は感じられなかった。
アンを見ると、彼女は首を振って「私もなにも聞いておりません」と眉を寄せた。
――ガスパール侯爵夫妻……とても心優しい人たちよ。
王命により――私がエジャートン大公家に嫁ぐことが決まったとき。
レナートを……息子を殺した家に嫁ぐ私を、軽蔑したり誹ったりするだろうと思ったのに――。
侯爵夫妻は、敵へ嫁ぐ私を心から案じ、私の手をとり涙してくれたのだ。
それを見て、父も母も「我が子のように心配してくれて」と感じ入って……。
あの頃の両家は、友情で結ばれていたはずだった。
――それなのに……どうして?
考え込んでいると――すぐ近くの藪がカサカサと鳴った。
さっと反応した騎士たちが剣を構え、私の前に立った――その時。
茂みから飛び出してきたのは――。
「まあ、リスだわ!」
私は嬉しい悲鳴を上げる。
リスは、頬をいっぱいに膨らませ、両手でどんぐりを一つ持っていたが――。
私たちを見て、驚いたようにどんぐりを放り投げた。
ささっと木に登って、こちらを見つめるリスに――。
「びっくりさせてごめんなさい。冬支度してるのでしょう? このどんぐりも持っていきなさい」
私はリュートをシートに置くと、騎士の間を抜けて、落ちたどんぐりを拾った。
瞬間――。
茂みから数人の男が飛び出してきた。
男の一人が素早く私を肩に担ぎ、風のように走り出す。
背後から、アンや騎士たちが私を呼ぶ声――続いて、怒声と剣を打ち合う音が聞こえてきた。
「アン、アン! 離して!」
私は叫ぶと、走る男の腕から逃れよう身を捩ろうとして――。
ドンッと後頭部に衝撃が走り、ぐらっと視界が揺れる。
手刀を入れられたのだと理解すると同時に、私は気を失った。
・・・・・・・
ゴーッという……遠くの方から聞こえてくる物音で――ふと目を覚ました。
はっきりしない頭で辺りを見渡す。
薄暗く狭く――粗末な小屋だった。
小窓から見える外は真っ暗で――。
板張りの床にろうそくが置かれ、その明かりだけが暗い部屋を照らしていた。
私の他に、人はいない。
静寂の中、聞こえるのは――ろうそくがジリジリ燃える音と――小屋の外からするゴーッという響きだけ。
壁に目をやる。
ロープやシャベル、のこぎりが吊るされていて――「ああ、ここは森の管理小屋ね」と気づく。
管理小屋は、森を南北に流れる川沿いにあったはず。
それならこのゴーッというのは川の音ね……とぼんやり考えて、はっとした。
――私、どうしてこんなところに……?
そう疑問に思った瞬間、森で襲われた時の光景が脳裏に浮かんだ。
――ああ、私……攫われたんだわ。
ようやく――頭が回り始めた時、ガタンと小屋の戸が開いた。
「気づいたか」
低い声と共に入ってきたのは――服装から貴族の男のようだった。
その後ろには、ごろつきのような風体の男たちが五人控えていて、その内の一人は――私を担いで逃げた男だった。
いきなり男たちに囲まれ――私は思わず立ち上がろうとして、椅子に縛られて座らされていることに気づく。
「お前達、一人はここに残って、あとの奴らは外で見張りをしろ。誰も近づけさせるな」
貴族の男がそう言うと――荒くれ者たちは黙って従う。
それから、小屋の扉は閉められ――貴族の男が私の目の前まで来た。
ろうそくにはっきり照らされたその顔は――見覚えがあった。
「あなたは、ダグラス・バイラン子爵令息……」
確か、年齢は兄より一つ上――反国王派の一人だった。
「名前を覚えてくれていて光栄だ。気分はどうかな、わがバラッタインの『淑女の鑑』――ミレイユ・タウンゼント嬢?」
彼は立ったまま――少し芝居がかった調子で尋ねてきた。
「あまり良くないですわ。……レディを招待するには、少々手荒すぎるのではありませんか?」
下から睨みつけるように言う。
私は……椅子に縛り付けられて座らされていた。
「すまないな。私は君のことが嫌いでね――つい、意地悪をしてしまった」
「嫌い……それは私が『和平の使者』だから? あなたたち反国王派の邪魔になるから、私を誘拐したの?」
ダグラスは答えなかった。
恐らく――図星なのだろう。
――お祖父様の言ったとおり、反国王派の一部……急進勢力が思いきった行動に出たんだわ。
私は――これからどうなるのか。
目の前の男に……恐怖を感じつつも、こういう時こそ強気の姿勢が大事なのだと――ぐっと顔を上げた。
「こんなことをして――陛下が黙っていらっしゃらないわ。バイラン子爵家に処分が下るでしょう」
ダグラスは鼻で笑った。
「はっ、それはどうかな。処分されるのは――君のほうだろう。ミレイユ・タウンゼント」
「なんですって?」
私がどうして処分されるというのか。顔を顰めると――彼は言った。
「確かに、『和平の使者』を演じるお前は邪魔だった。しかし――こうしてお前をとらえたのはそれが理由じゃない」
彼は一呼吸おいて言った。
「――ミレイユ・タウンゼントの正体を知ったからだ。『和平の使者』だと? 笑わせる。この裏切り者め!」
ぎろりと私を睨みつけて、さらに言い募る。
「陛下の目は上手くごまかせても、私はそうはいかないぞ。ここに連れてきたのは……お前に罪を認めさせ、罪人として陛下の前につき出すためだ!」
――私の正体? 裏切り者? それに罪人って……この男は一体なにを言ってるの?
妄想癖でもあるのだろうか――混乱する私を、ダグラスは「真実を言い当てられて焦っているな」とせせら笑った。
罪人になどなった覚えはない。
思い込みで――一方的に話をすすめていく彼に戸惑っていると――。
「よし、もう一つ、私が知ってる真実を――お前に突きつけてやろう」
ダグラスは優位に立つ者の顔をし、私を見下ろして――。
「レナート・ガスパール」
と言った。
私はぎょっとする。
――なぜレナートの名が……ここで出てくるの?
驚いていると――。
「お前は、やつの婚約者だったな」
ダグラスはじろりと私を見て――吐き捨てるように言った。
「あの死んだ男は――アーガスタのスパイだった。婚約者のお前は――そのことを知っていたんだろう?」
ガタガタガタと小屋の外から、大きな風の音が聞こえ――。
やがて激しく雨の打ちつける音が聞こえはじめた。
森を――突然、暴風雨が襲った。
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明日の月曜から金曜は、20時20分に投稿予定です。
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