30話【父の謝罪】
馬車が泉に到着すると、後続の使用人用の馬車からアンが降りてくるのが見えた。
この視察中――。
私たちはルーモナの領地屋敷へ一ヶ月ほど滞在する予定だった。
その準備のため――王都の屋敷のメイド十数名が、先にルーモナへ赴き、領地屋敷の掃除と滞在の準備をしていた。
メイドの数が不足しているため、この馬車移動に同行しているメイドはアンだけで――。
彼女一人で、父と兄、そして私の世話を一手に引き受けてくれることになっていた。
アンは早速、私達の馬車に御用聞きにきた。
父がお茶の用意を頼むと、アンは「かしこまりました」と下がり――護衛の騎士達に指図をはじめた。
従僕が同行していないため、力仕事は騎士達が担うようだ。
彼らはアンの指示に従い、できぱきと荷馬車から簡易テーブルと椅子を出すと、あっという間に茶席を整えてしまう。
車内からその光景を見ていた私は――。
「アンったら……まるで騎士たちの上官みたい」
と呟いてしまう。
兄がおかしそうに笑った。
「うん、そうかもしれない。アンの父上は、我が騎士団の先代副団長だったし……団員たちにとっては、彼女の指示は上官命令に聞こえるかもしれないね」
難なくお茶の用意が整い――アンに呼ばれて、私達は馬車を降りてテーブルにつく。
そして、茶席の周りを――騎士の面々がぐるっと囲うように並んだ。
ティータイムの雰囲気を壊さないよう――一応、遠巻きに警備してくれてはいるものの……。
――ものものしさは残るわね。
私は落ち着かない気分になるが――兄や父は気にならないらしい。
むしろ、当然という顔をしてお茶を飲み始めた。
父は――兄から報告を受けた「祖父からの忠告」を重く受け止めた。
そして、今回の視察では――のんびりとした田舎だからと油断せず、私の警備に万全の体制をしいた。
先の戦争でも大活躍した、精鋭ぞろいのタウンゼント騎士団――その中でも腕利きばかりを、今回の旅の護衛として集めたのだ。
私は屈強な騎士たちの視線を浴びながらティーカップを口に運ぶ。
――うう、くつろげないわね。
居心地の悪い思いをしていると――父がこほんと咳払いをした。
「ミレイユ。お前は……変わらず音楽は好きなのか」
唐突に尋ねられ、私は戸惑いながらも――微笑んで答えた。
「はい。大好きです」
帰国直後は伏せっていたが、体調が戻ってからは――自宅にあるピアノやバイオリンを毎日のように触っていた。
父は私の返答に頷くと――給仕のためそばに控えていたアンに目配せをした。
アンは心得たように――まっすぐに荷馬車へ向かって行き、長方形の革の箱を持って戻って来た。
一抱えの大きさがあるそれを持ち、アンが私の目の前に立つ。
一体この箱はなんだろうと首を傾げたところで、父が言った。
「私からミレイユへのプレゼントだ。開けてみなさい」
言われるがまま、箱を開けると――。
「これ……リュート……」
私は箱の中の楽器を見て――目を瞠った。
「ミレイユの一番好きな楽器だと……アンから聞いてな」
ぱっとアンを見ると、彼女は頷いた。
私は箱の中と父の顔を――交互に眺めながら口ごもった。
「でも……この楽器は……」
貴族が演奏するにはふさわしくない平民の楽器だと、父はずっと良い顔をしてこなかった。
――だから、小さい頃、隠れて練習してたのよ。
この国に戻ってきても――。
父の目を気にして、弾くことはせず、壁に飾って眺めるにとどめていたのだ。
それなのに――どうしてこれを贈ってくるのか?
私の考えてることが伝わったのか、父が苦笑いをして言った。
「私はミレイユがこの国に戻ってきてから……ずっとお前に謝りたいと思っていたんだよ」
「謝る……?」
思ってもみなかったことを言われ、私は驚く。父はすっと視線を下げて言った。
「お前が嫁いでからしばらくして……陛下の間者伝てに――かの国で、お前がどんな様子でいるのか聞いた」
父の口調が苦々しいものに変わる。
「離れで暮らし、自由を奪われ、閉じこもった生活を強いられてるときいて、怒りがわいた」
一層視線を下げて、父は続ける。
「同時に――自分も同じ事をお前に強いてたのではないかと気づいたのだ。お前を完璧なレディにするためとはいえ――」
テーブル上の父の手がぎゅっと握られた。
「好きな音楽を制限し、令嬢教育に閉じ込め――お前の自由を奪っていたのではと後悔した」
父の声が震えた。
「私は知っていたのだよ。令嬢教育が進むにつれ、お前の笑顔が消えていってることに……。それでも手を差し伸べずにいたんだ」
深い――とても深い、後悔の表情だった。この五年の間……ずっと苦しんでいたのだろう。
父がテーブル越しに、私に向かって頭を下げた。
父のそんな姿を見るのは、生まれて初めてだった。
「このリュートは……詫びの品だ。もう周りの目も、私のことも気にしなくていい。好きにリュートを弾きなさい。これからは……お前の自由を奪いたくないんだ。――すまなかった、ミレイユ」
私は立ち上がって、父の席に駆け寄った。
「謝らないで、お父様」
私は父の手をとる。
「確かに、令嬢教育は厳しいものでした。苦しくて、世界がつまらなく見えてた時期もありました」
「でもね、お父様」と父の手を強く握る。
「あの頃学んだことは、私の人生の糧になり、アーガスタでも大いに役に立ちました」
大公家のメイドの嫌がらせに毅然とした態度でいられたのは――淑女の心構えがあったから。
イルジャンの酒場で、客になめられることなく渡り合えたのも、教育で身につけた教養のおかげ。
「アーガスタで心折れずにいられたのは、令嬢教育の下地があってこそだったのです。教育を施して下さって感謝してます、お父様」
父は――顔を上げて私を見た。そして、私の手を握り返し、目を潤ませて、「そうか」と笑った。
兄の――明るい声がした。
「さて、父上の謝罪も済んだようだし……ミレーユ、このリュートでなにか聞かせてくれないか。賑やかなのがいいな。森の動物たちも踊り出してしまうような曲がいい」
陽気なリクエストに、張り詰めていた場の空気が緩む。
私は頷いて、プレゼントしてもらったばかりのリュートを手に取った。
周囲を見渡す。
父と兄が穏やかな表情で私を見ていた。
アンが感極まったようにハンカチを目に当てている。
騎士たちは、周囲を警戒しつつ――リュートの音を聞こうと、耳を澄ましているのがわかった。
――私がリュートを弾くことを……お父様が認めてくれた。
私は万感の思いで――弦を奏で始めた。
・・・・・・・
「本当に私……今日の視察についていかなくていいの?」
ルーモナにあるタウンゼント家の領地屋敷――その朝食の席に、私と父、そして兄の三人がいた。
昨夜到着したこの屋敷は、王都の屋敷と比べると少々手狭だが――。
秋の視察の時期だけ――一月程度を過ごすには十分な広さと機能、部屋数がある。
私達より三日前に到着してたメイドたちの準備のおかげで、何不足なく――今朝を迎えられていた。
「お兄様は南の畑へ、お父様は東の果樹園に行くのですよね? 私もタウンゼント家の一員です。ちゃんと家の仕事をする義務が……」
私がそう言いかけると、父はゆっくりと首を横に振った。
「お前は好きに過ごしなさい。森で静かにリュートが弾きたいのならそうしていい。ああ、護衛は二人連れて行くように」
食事を終えた父はそう言うと、立ち上がって忙しそうに食堂を出て行った。
戸惑っていると、ぽんと肩を叩かれた。見上げると、兄がすぐ横に立っていた。
「王都に戻れば、また気を張り詰める日々が待ってるのだから――今は、父上の言葉に甘えて羽を伸ばしたら?」
「でも……」
「昨日、父上が泉で言ったことを覚えてる? ミレイユが自由に過ごすことを、父上は望んでる。父上の顔を立てると思って、ルーモナでは好きなことをしたらいい」
兄の言葉に、私はおずおずと頷いた。
その時――窓の外から子どもの大きな声が聞こえてきた。
何事かと窓に駆け寄って、兄と二人で窓の外を見る。
すると、この土地の者らしき平民の少年が、父に向かってなにか怒鳴っていた。
少年は騎士に抑えつけられていた。それでも、その子は臆することなく、父を睨みつけてなにか喚いている。
「あれは……?」
私が唖然として兄に尋ねる。兄は苦笑いした。
「毎年――我々が視察に来るとああやって抗議に来る子でね」
「抗議?」
見たところ十二、三歳くらい――そんな子どもが抗議とは。
「……どんな内容なのかしら」
兄は一瞬の間の後に答えた。
「――両親を戦争で失ったようでね。二人が死んだのは、公爵がちゃんと領地を守ってくれなかったからだって……」
私は窓の外に視線を戻した。
父は――怒り叫ぶ子どもを、怒ることもなじることもせず、黙って馬車に乗り込んだ。
「お父様……あの子どもに罰を与えないのね……」
平民が貴族にたてつけば、それは当然に処罰対象だった。
「ここは他の貴族の目がないし……父上は、子どもは相手にしない主義でね」
兄は肩を竦めた。
「父上はいつも……あの子のことは『捨て置け』って言うだけなんだ」
馬のいななきが聞こえ……父を乗せた馬車が走り出した。
騎士が少年の拘束を解く。少年は――悔しそうに去って行く馬車を睨んでから……森に消えていった。
小さな背中を見送って――兄は言った。
「時には、怒りが生きる力になる」
私は兄を見た。
「父上の口癖の一つさ。戦場を経験した男なら――誰もが思うことらしい」
兄はそう言って私に微笑むと、「僕も視察に行ってくるよ」と食堂を後にした。




