3話【レイナとミレイユ】
「お帰りなさいませ、ミレイユ様」
家に戻るなり、小さな玄関ホールで侍女のアンが出迎えてくれた。
「今日の音楽はいかがでしたか? ……その様子ですと、また例の傭兵に邪魔されたようですね」
――さすがはアン。私のことはなんでもお見通しね。
私は苦笑いをして頷く。
「ええ、いつもの通り。彼が音楽客を追っ払っちゃたの」
「まったく、ミレイユ様に対して、なんて失礼な奴なんでしょう!」
アンが自分のことのように憤慨するのを見て私は小さく笑った。
彼女は私が小さい頃から――バラッタイン王国にいた時から仕えてくれている、二歳年上の侍女だ。
主人と侍女の枠を超え、姉妹のように親しくしてきたので、こうして家族同然に怒ってくれる。
アンの立場なら――結婚した私のことは「奥様」とか「奥方様」と呼ぶべきところだが――。
彼女との親しさを失いたくなかったので、私から頼んで、昔の通り「ミレイユ」と呼んでもらっていた。
「あら、ミレイユ様。よく見れば随分と御髪が乱れてますね」
私はリュートを持っていないほうの手で髪に手をやる。
ウェーブがかった赤毛が見事に絡まっていた。
アンの表情が変わる。
「……まさか、また空中ジャンプをして帰ってきたのですか?」
――しまった。
いつもならさっと髪を撫でつけてから家に入るのに、今日はうっかり忘れてしまった。
――まずい、アンの長いお説教が始まっちゃう!
慌てて階段をのぼって自室に行こうとするが、それより早くでんとアンが階段の前に立ち塞がった。
「ミレイユ様。お話がございます。こちらにどうぞ」
侍女というより姉の顔で、アンは一階奥の応接室を指さした。
・・・・・・・
「私はミレイユ様のご意志を尊重しております」
外観のイメージを裏切らないくたびれた応接室で、アンと私は向かい合っていた。
アンは一人用の腰掛け椅子。
私は三人掛けのソファの真ん中に座り、横にリュートをおいて小さくなっている。
「この大公家では我々は厄介者扱い。常に嫌がらせされる日々……」
少し芝居がかった口調で、額に手をやりアンはふうっと息を吐く。
「ミレイユ様が息抜きに、お忍びで王都の平民街に出かけられることは――仕方ないと諦めております」
アンがじっとこちらを見る。
「それにミレイユ様は音楽好き。たくさんの人に演奏を聴いてもらいたいのでしょう?」
「さすがは、アン。私のことをよくわかってるわ!」
私は下げていた目線をぱっとあげた。
「ですので、酒場でリュートを弾くことも咎めは致しません。ただ――」
アンは軽く眉間に皺を寄せた。
「稼いでくるのはどうかと思いますが。虐げられてるとはいえ、大公夫人。衣食住に困ってはおりませんので」
それは私も思っていることなので、バツが悪くなって再び俯く。
――でも、仕方ないのよ。
酒場で音楽やるなら、フレジコでないとあやしまれてしまう。
そうなると、必然的に稼ぐことになってしまうのだ。
私の心の葛藤などお構いなしに、アンは続ける。
「今申し上げたように、このアン、ミレイユ様がやりたいことはやらせてあげたいと心の底から思ってります」
彼女はきりっとした顔つきになる。
「しかしながら、御身に危険が及ぶようなことには口出ししないわけにはいきません」
静かながら迫力のある声に、私は身を竦ませる。
「空中ジャンプ――そのドナシーの力を誰かに見られたらどうするおつもりですか!」
アンの迫力にうっと身を引きながら、私は恐る恐る口を開く。
「ごめんなさい、今日は遅くなっちゃったから、早く帰りたくてつい……」
私はアンを拝んで謝る。
「でも……四年以上やってて今まで誰にも見られたことないのよ? そんなに心配するほどじゃ……」
「甘ーい!!!」
アンがびしっと私に指を指してくる。
「秘密というのはどんなに慎重に隠しても不思議と漏れるものなんですよ、ミレイユ様!」
「ううっ」
「気をつけて気をつけて気をつけても、なお気をつけないといけないんです! わかってますか!」
「は、はい!」
私は背を伸ばして返事をする。
「ミレイユ様の秘密――ドナシーであることは特に! 特級の! 秘密中の秘密にすべきことなんですよ!」
叫んでいるのに小声というすごい技を使って、アンが窘めてくる。
ドナシー。
それは「大陸の奇跡」と呼ばれる能力者を指す。
この世界は物語のように、魔法や不思議な機械が人間を助けてくれるなんてことはない。
誰もが持って生まれた身体と知能で、地道に工夫しながら暮らしている。
しかしながら、どんなことにも例外がある。それはこの世界も同じだった。
年に数人の割合で特殊な能力を持つ子供――「大陸の奇跡」が生まれるのだ。
彼らの能力は様々で、動物のように俊敏な身体能力を持って生まれてくる子もいれば、膨大な情報を一目で記憶してしまう瞬間記憶の持ち主もいた。
他にも、絵に優れた者、計算能力の高い者、味覚が鋭い者、話術に長けている者、鉱物を嗅ぎ分ける者、嘘を見破る者……。
実に個別様々だったが、その全ての者が国に財をもたらす存在だった。
故に、大陸のあらゆる王国でドナシー探しは行われていて、見つかれば身分に関係なく「保護」という建前で王宮に連れて行かれる。
そして、王から良い暮らしを約束される――と表向きには言われているが……。
実情は、死ぬまで国のために働かされることになるのだ。
王宮の内情に詳しい貴族の間では知られた話だった。
だから、貴族の中でドナシーとして生まれた子がいれば、その能力をひた隠しにするのが暗黙のルールになっていた。
私のドナシー能力についても――家族と家令――そして私の世話係であるアンしか知らず、しっかりと秘匿されている。
「ドナシーとして囚われれば、ミレイユ様は今以上に辛く過酷な毎日を送ることになります! そんなことになったら、アンは、アンは……!」
涙を浮かべて心配をしてくれる彼女に、のんきな私もさすがに慌てる。
この国に嫁ぐにあたって、侍女の誰もが敵国に来ることを嫌がった。
そんな中、私についていきたいと――唯一、手をあげてくれた侍女。
こんな冷遇された環境でも文句も言わず尽くしてくれる、頼もしく心安らぐ存在。
――アンを悲しませたらいけないわ。
私は立ち上がるとアンの横に行き、膝をついた。そして彼女の手を握る。
「ごめんなさい、アン。私が悪かったわ。これからはもっと気をつけるから、泣かないでちょうだい」
「ううっ……絶対ですよ。絶対に気をつけて下さいね」
「ええ、約束する。だから泣かないで」
彼女の背中をさするが、一向に泣き止む気配がない。
随分と不安にさせてしまったようだ。
謝罪もかねて、私は一曲奏でることにした。
傍らに置いていたリュートを手に取り、アンの好きな小鳥の歌を弾きはじめる。
明るいこの曲は聴く者の心を穏やかにさせる。
そこに私の――「音使いのドナシー」の能力を加える。
すると心地よいメロディはより安らかになり、まるで本当に小鳥のさえずりが聞こえてくるかのよう。
調べは軽やかさ増して膨らんでいく。
瞼を閉じれば――目の前には青空が広がって、温かい日差しすら感じられるような心地よさ。
アンが泣き止む。
彼女の顔が和やかになってきたところで曲が終わった。
アンが優しい笑顔で言う。
「素晴らしい演奏でしたわ、ミレイユ様。すっかり落ち着きました。さすがは音使いでいらっしゃいます」
「ふふ、ありがとう」
――ドナシーだとバレないように暮らすのは窮屈ではあるけど――。
こうして人を元気にする度に、奇跡の能力を授かって良かったと思える。
私の音使いの能力は大きくわけて三つあった。
一つ目は、音圧を操る能力。
音の圧力でモノを飛ばすことができ、自分に使えば――空中ジャンプなどが可能になる。
二つ目は、メロディを操る能力。
旋律が持つイメージを増幅させ、人間がよりいきいきと喜怒哀楽を感じ取ることができるようになる。
今、アンに使ったのはこの二つ目の力だった。
そして三つ目は―。
能力の中で最もコントロールが難しく、様々な効果を生むことができる力。
娯楽要素としても使える能力なのだが――。
残念ながら、この大公家ではトラブルバスターとして活躍している。
――そういえば、ここのところあのメイド達が来てなかったわね。
私は眉をひそめる。
――明日あたり、悪い顔をしてやって来そうだわ。
「三つ目の力を使うことになりそうね」
私は悩ましげに頭を振った。




