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最愛は、顔も知らずに離婚した敵国の夫・妻です。  作者: Sor
第二章

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28話【ミレイユへの想い】

「ふむ……書類仕事が得意になってきたのは喜ばしいことですが――少々根を詰め過ぎではありませんかな、デイモン様」



そう言いながら、執務室に大きな身体で入ってきたのは――家令のダロスだった。



「やりたくないときは逃げ回るくせに、一旦やりはじめると、寝食を忘れて夢中になる……十代で戦場を駆け回ってたころと変わりませんな」



溜息をつきながら言われ――俺はペンを握ったまま、ダロスを睨んだ。



「子ども扱いするな、不愉快だ」



「はいはい、失礼致しました」



ちっとも反省した様子がないままそう言うと、ダロスはつかつかと俺の執務机まできた。



そして――なにやら大量の紙片を両腕に抱えたまま――俺が今取りかかっていた書類をのぞき込んできた。



「おや、デルビオンの領主代理からの嘆願書ですか……」



「ああ……どうも領地が何年も不作らしい。なにが原因なのかわからなくて困ってるそうだ」



俺はペンを置くと、腕を組む。




「あの地域は南部に位置してますから、比較的温暖で作物は育ちやすい土地なのですが――」



首を捻るダロスに、俺も頷く。



「そうだ……しかも、干ばつや大雨に見舞われたわけでもない。むしろここ数年は気候は安定していて――南部領地の農作物の収穫量はかなりいいんだ」



さきほど引っ張り出してきた、全領地の収穫高記録書の表紙をぽんっと叩いて言う。



「デルビオンに限った――不作の原因があるということですか」


ダロスが訝しる。



「俺はそう考えてる。現地に赴いて調査したほうがいいかもしれない」



俺の言葉に、ダロスは頷きながら――腕に抱えていた書類をドサッと執務机に置いた。




――また領地から嘆願書でも届いたか? それとも鉱山関係の申請書類か?



そう思って、置かれた書類の束――その一番上の紙面に目を走らせて……俺は顔を顰めた。



その紙面をぽいっと床に落とす。



次ぎの書面を手に取る。また落とす。そして、三枚目まで見てから――うんざりして言った。



「おい、これはなんだ?」


唸るように問いかけると、ダロスは涼しい顔で言った。



「戦場しか知らない……貴族らしい風俗に疎いデイモン様は、釣書もご存じありませんか」



俺は目をつり上げる。



「それくらい知ってる。婚姻の申込に使うものだろうがっ。俺が聞いてるのは――」


たった今積まれた書面を睨みつけて言った。



「なんでそれが俺に送られてくるのか、ということだ!」



どんっと机を叩く。



「今までこんなもの送られてきたことなんてなかったのに――しかもこの量……一体なんだっていうんだ」



「今だからこそ――大量の釣書が届いたんですよ」



ダロスがやれやれと首を振った。



「先日の秋の大祭で、国王陛下がデイモン様の離婚を発表されましたからね。大公夫人に空きがあるなら――その座に座りたいと願う女性は数多いるでしょう」




俺は鼻を鳴らした。



「はっ、俺に嫁ぎたいだと? どういう風の吹き回しだ。戦場育ちの野蛮人、剣しか取り柄のない男――この国の貴族たちが俺のことをそう蔑んでるのは知ってる」



エジャートン大公家は、貴族には珍しく武人の家系だった。



初代グラディス・エジャートンは、王族の三男であったが、臣下に下り、勇猛果敢な猛将として名を馳せた。



その家系を買われて――初代のひ孫になる俺は、十歳で戦地に送られることになったのだ。




「実際に――」


と俺は苦々しく続ける。



「俺が戦場にいる間に……婚約者が決まらなかったのは、俺が『嫌われ者』だったからだ」



「その評価が変わってきたんですよ。ここ最近……デイモン様の執務ぶりには目を瞠るものがありましたからね」」



ダロスが言う。



「領地の道を整備したり、灌漑工事に着手したり――その一つ一つの指示が的確で、領地が安全になり商売も繁盛……大公家の財産も着々と増えております」



彼は微笑む。


「エジャートン大公は武だけでなく、領地経営にも才があったのか――と貴族の間で評判になってますよ」



「はっ、要は財産狙いか。現金なものだな」



俺は鼻で馬鹿にする。当然、ダロスも貴族どもを批難するだろうと思ったのだが――。



「嫁いできていただけるなら――財産狙い、大いにけっこう」



予想に反した肯定的な意見に、俺は焦る。



「おい、ダロス。金目当ての女が嫁いでくるなんて――お前だって願い下げだろう?」



「いいえ、かえってわかりやすくて良いと思います。利害がわかってる女性なら――妻としての義務をちゃんと果たして下さるでしょうから」



「義務って……」


「子をつくることです」



俺は……思いがけないことを言われぽかんとしてまう。


ダロスはずいっと……机の向こうから身体を乗り出してきた。



「後継者づくりは不可避事項です。あなたの性格からして――いつまた『嫌われ者』になるかわかりません。こうして立候補者がいるうちに、さっさと結婚してしまいなさい」



家令――というより、もはや口うるさい親族口調で窘めてくる。


反論したいが――咄嗟に言葉がでない。悔しいが、ダロスの言うことは外れてない。



ほら、と差し出される釣書を前に――。



「……少し、散歩してくる」



俺は執務室から逃げ出した。








・・・・・・・


「子作りしろと……責められるとはな」



俺はぶつぶつと文句を言いながら、庭園を歩く。


今まで――ダロスからそんなことを言われたことはなかった。



――まあ、これまでそれどころではなかったんだろうが……。



俺は本当に大公の仕事が嫌で――必要最低限しかやってこなかった。



ダロスにしてみれば、俺を仕事に慣れさせるほうが先で、後継者問題は後回しにしていただけだったのだろう。



それが……ここ二ヶ月ほど、俺が真面目に執務に取り組むようになったので――。


「頃合いだと思って言い出した……ってところか」



だが――。



「離婚からまだ二ヶ月しか経ってないんだぞ?」



ふとそんな文句が口からこぼれ――思わず口元を押さえてしまう。



長い赤髪が脳裏をよぎる。



燃えるような赤色に引っ張られるように――あの離婚日の記憶が蘇る。



離婚契約書を交わし――彼女が仮面をとったあの瞬間。



湧き上がったのは、探していた愛おしい女を見つけられた喜びだった。



今思えば――。


どうしてレイナが目の前にいるのか――疑問に思わなかった自分が不思議でならない。



だが、あの時は余計な事など何も考えられなかった。レイナを見つけられたことにただただ歓喜して――。


彼女の瞳に、仮面ではなく……本当の自分の姿を映したいという強い欲望を抱いた。



そして――。


仮面をとった俺を見て、逃げ出す彼女を――すぐさま追いかけた。



それはもう本能だった。



あの時、俺を支配していたのは「手放したくない」という強い気持ちだけ。




彼女が馬車に連れ去られた後。




俺は、愛する女を取り戻そうと――二度、国境を越えようとした。



一度目は正面突破で、国境の街道を馬で駆け抜けようとして――。


馬ごと空高く放り投げられた。



それならばと――。


二度目は、単身で川を下ってバラッタインに入国しようとしたが――。


川が荒れ、船が転覆し――危うく一命を落としかけるところだった。



かっときた俺は――。


離婚契約書を破り捨てようとして、弾き飛ばされ、


燃やそうとして、逆に燃やされかけ――。


契約書を睨みつけ――ふと、彼女のサイン欄を目にして……。




――ミレイユ・タウンゼントだと?


ようやく疑問がわいた。




離婚日に、目の前にいた女は誰だったのか。


あれはレイナだった。


そして――憎き女、ミレイユだった。



時が経つにつれて俺は混乱した。


――あの二人が……同じ女だと?



愛しい気持ちと嫌悪する気持ちが混ざり合い、胸を掻きむしる夜をいくつ過ごしたか。



その苦しさから逃れるため――次第に彼女のことを考えないよう、執務に没頭するようになった。



執務室から出ない日が続き――心配したダロスから、息抜きに平民街に行ってはどうだと勧められたが――。



レイナとの思い出が残る街へ行く気にはどうしてもなれず――。



ここのところ、ずっと邸内に閉じこもっていた。





庭園を抜け――俺は散歩を続ける。



上空にひろがるどんよりとした雲は、まるで俺の心の中のようだった。



自分の気持ちにどう決着をつけたらいいのかわからず、途方に暮れて――もう一ヶ月。



頭を掻きむしったところで――。



「ん……? 俺はどこまで歩いてきたんだ……?」



はっと我に返ると、普段あまり足を運ばない場所まで来ていた。




前方に――老朽化した建物が見える。



「あれは……離れか。ミレイユが暮らしていた……」



そう言って――きゅっと口を引き結んだ。



彼女が暮らしていた時も、出て行った後も――俺がここに足を運ぶのは初めてだった。




寂しさと腹立たしさがない交ぜになり――ここに居たくなくて、踵を返そうとして……。



――ん?



離れの向こう側に見える景色に違和感を覚えた。



――確か……あそこは花壇だったはずだが……。



気になって、離れに近づいてみる。すると――。



「これは……畑か?」



花壇だった場所は、なんと耕されていた。



――平民街でもないのに、なぜ建物のすぐ前に畑があるんだ?



しばらくぽかんと、荒れた畝を眺めていると――主がいなくなったにも関わらず、実をつけた野菜がちらほら目に入った。



――ほう……。



ここ大公邸はアーガスタでは北部に位置する。作物を育てるには適してないと言われているが――。



「それでもこうして育つ野菜もある……か」


そうなると――。



「温暖なデルビオンの不作は……やはり引っかかるな」



俺はそう呟いて――。


「デルビオン」という名から、もう一つ気になっていたことを思い浮かべる。




――しばらく……妹の墓参りに行っていないな。




妹が亡くなる直前までいたのが――デルビオンの修道院だった。


妹の墓は修道院の側にあった。




「不作の原因究明と、妹の墓参りをしにデルビオンに……あのフォンティティの森へ行ってみるか」



何度も訪れた、美しい森を思い出す。



あそこはアーガスタにしては陽光が降り注ぎ、明るい土地だ。



それなら――。



――俺のこの……煮詰まったようなどうにもならない気持ちも、少しは晴れるかもしれない。




俺は、曇天の空を見上げ、視察にでる段取りを考え始めた。

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