28話【ミレイユへの想い】
「ふむ……書類仕事が得意になってきたのは喜ばしいことですが――少々根を詰め過ぎではありませんかな、デイモン様」
そう言いながら、執務室に大きな身体で入ってきたのは――家令のダロスだった。
「やりたくないときは逃げ回るくせに、一旦やりはじめると、寝食を忘れて夢中になる……十代で戦場を駆け回ってたころと変わりませんな」
溜息をつきながら言われ――俺はペンを握ったまま、ダロスを睨んだ。
「子ども扱いするな、不愉快だ」
「はいはい、失礼致しました」
ちっとも反省した様子がないままそう言うと、ダロスはつかつかと俺の執務机まできた。
そして――なにやら大量の紙片を両腕に抱えたまま――俺が今取りかかっていた書類をのぞき込んできた。
「おや、デルビオンの領主代理からの嘆願書ですか……」
「ああ……どうも領地が何年も不作らしい。なにが原因なのかわからなくて困ってるそうだ」
俺はペンを置くと、腕を組む。
「あの地域は南部に位置してますから、比較的温暖で作物は育ちやすい土地なのですが――」
首を捻るダロスに、俺も頷く。
「そうだ……しかも、干ばつや大雨に見舞われたわけでもない。むしろここ数年は気候は安定していて――南部領地の農作物の収穫量はかなりいいんだ」
さきほど引っ張り出してきた、全領地の収穫高記録書の表紙をぽんっと叩いて言う。
「デルビオンに限った――不作の原因があるということですか」
ダロスが訝しる。
「俺はそう考えてる。現地に赴いて調査したほうがいいかもしれない」
俺の言葉に、ダロスは頷きながら――腕に抱えていた書類をドサッと執務机に置いた。
――また領地から嘆願書でも届いたか? それとも鉱山関係の申請書類か?
そう思って、置かれた書類の束――その一番上の紙面に目を走らせて……俺は顔を顰めた。
その紙面をぽいっと床に落とす。
次ぎの書面を手に取る。また落とす。そして、三枚目まで見てから――うんざりして言った。
「おい、これはなんだ?」
唸るように問いかけると、ダロスは涼しい顔で言った。
「戦場しか知らない……貴族らしい風俗に疎いデイモン様は、釣書もご存じありませんか」
俺は目をつり上げる。
「それくらい知ってる。婚姻の申込に使うものだろうがっ。俺が聞いてるのは――」
たった今積まれた書面を睨みつけて言った。
「なんでそれが俺に送られてくるのか、ということだ!」
どんっと机を叩く。
「今までこんなもの送られてきたことなんてなかったのに――しかもこの量……一体なんだっていうんだ」
「今だからこそ――大量の釣書が届いたんですよ」
ダロスがやれやれと首を振った。
「先日の秋の大祭で、国王陛下がデイモン様の離婚を発表されましたからね。大公夫人に空きがあるなら――その座に座りたいと願う女性は数多いるでしょう」
俺は鼻を鳴らした。
「はっ、俺に嫁ぎたいだと? どういう風の吹き回しだ。戦場育ちの野蛮人、剣しか取り柄のない男――この国の貴族たちが俺のことをそう蔑んでるのは知ってる」
エジャートン大公家は、貴族には珍しく武人の家系だった。
初代グラディス・エジャートンは、王族の三男であったが、臣下に下り、勇猛果敢な猛将として名を馳せた。
その家系を買われて――初代のひ孫になる俺は、十歳で戦地に送られることになったのだ。
「実際に――」
と俺は苦々しく続ける。
「俺が戦場にいる間に……婚約者が決まらなかったのは、俺が『嫌われ者』だったからだ」
「その評価が変わってきたんですよ。ここ最近……デイモン様の執務ぶりには目を瞠るものがありましたからね」」
ダロスが言う。
「領地の道を整備したり、灌漑工事に着手したり――その一つ一つの指示が的確で、領地が安全になり商売も繁盛……大公家の財産も着々と増えております」
彼は微笑む。
「エジャートン大公は武だけでなく、領地経営にも才があったのか――と貴族の間で評判になってますよ」
「はっ、要は財産狙いか。現金なものだな」
俺は鼻で馬鹿にする。当然、ダロスも貴族どもを批難するだろうと思ったのだが――。
「嫁いできていただけるなら――財産狙い、大いにけっこう」
予想に反した肯定的な意見に、俺は焦る。
「おい、ダロス。金目当ての女が嫁いでくるなんて――お前だって願い下げだろう?」
「いいえ、かえってわかりやすくて良いと思います。利害がわかってる女性なら――妻としての義務をちゃんと果たして下さるでしょうから」
「義務って……」
「子をつくることです」
俺は……思いがけないことを言われぽかんとしてまう。
ダロスはずいっと……机の向こうから身体を乗り出してきた。
「後継者づくりは不可避事項です。あなたの性格からして――いつまた『嫌われ者』になるかわかりません。こうして立候補者がいるうちに、さっさと結婚してしまいなさい」
家令――というより、もはや口うるさい親族口調で窘めてくる。
反論したいが――咄嗟に言葉がでない。悔しいが、ダロスの言うことは外れてない。
ほら、と差し出される釣書を前に――。
「……少し、散歩してくる」
俺は執務室から逃げ出した。
・・・・・・・
「子作りしろと……責められるとはな」
俺はぶつぶつと文句を言いながら、庭園を歩く。
今まで――ダロスからそんなことを言われたことはなかった。
――まあ、これまでそれどころではなかったんだろうが……。
俺は本当に大公の仕事が嫌で――必要最低限しかやってこなかった。
ダロスにしてみれば、俺を仕事に慣れさせるほうが先で、後継者問題は後回しにしていただけだったのだろう。
それが……ここ二ヶ月ほど、俺が真面目に執務に取り組むようになったので――。
「頃合いだと思って言い出した……ってところか」
だが――。
「離婚からまだ二ヶ月しか経ってないんだぞ?」
ふとそんな文句が口からこぼれ――思わず口元を押さえてしまう。
長い赤髪が脳裏をよぎる。
燃えるような赤色に引っ張られるように――あの離婚日の記憶が蘇る。
離婚契約書を交わし――彼女が仮面をとったあの瞬間。
湧き上がったのは、探していた愛おしい女を見つけられた喜びだった。
今思えば――。
どうしてレイナが目の前にいるのか――疑問に思わなかった自分が不思議でならない。
だが、あの時は余計な事など何も考えられなかった。レイナを見つけられたことにただただ歓喜して――。
彼女の瞳に、仮面ではなく……本当の自分の姿を映したいという強い欲望を抱いた。
そして――。
仮面をとった俺を見て、逃げ出す彼女を――すぐさま追いかけた。
それはもう本能だった。
あの時、俺を支配していたのは「手放したくない」という強い気持ちだけ。
彼女が馬車に連れ去られた後。
俺は、愛する女を取り戻そうと――二度、国境を越えようとした。
一度目は正面突破で、国境の街道を馬で駆け抜けようとして――。
馬ごと空高く放り投げられた。
それならばと――。
二度目は、単身で川を下ってバラッタインに入国しようとしたが――。
川が荒れ、船が転覆し――危うく一命を落としかけるところだった。
かっときた俺は――。
離婚契約書を破り捨てようとして、弾き飛ばされ、
燃やそうとして、逆に燃やされかけ――。
契約書を睨みつけ――ふと、彼女のサイン欄を目にして……。
――ミレイユ・タウンゼントだと?
ようやく疑問がわいた。
離婚日に、目の前にいた女は誰だったのか。
あれはレイナだった。
そして――憎き女、ミレイユだった。
時が経つにつれて俺は混乱した。
――あの二人が……同じ女だと?
愛しい気持ちと嫌悪する気持ちが混ざり合い、胸を掻きむしる夜をいくつ過ごしたか。
その苦しさから逃れるため――次第に彼女のことを考えないよう、執務に没頭するようになった。
執務室から出ない日が続き――心配したダロスから、息抜きに平民街に行ってはどうだと勧められたが――。
レイナとの思い出が残る街へ行く気にはどうしてもなれず――。
ここのところ、ずっと邸内に閉じこもっていた。
庭園を抜け――俺は散歩を続ける。
上空にひろがるどんよりとした雲は、まるで俺の心の中のようだった。
自分の気持ちにどう決着をつけたらいいのかわからず、途方に暮れて――もう一ヶ月。
頭を掻きむしったところで――。
「ん……? 俺はどこまで歩いてきたんだ……?」
はっと我に返ると、普段あまり足を運ばない場所まで来ていた。
前方に――老朽化した建物が見える。
「あれは……離れか。ミレイユが暮らしていた……」
そう言って――きゅっと口を引き結んだ。
彼女が暮らしていた時も、出て行った後も――俺がここに足を運ぶのは初めてだった。
寂しさと腹立たしさがない交ぜになり――ここに居たくなくて、踵を返そうとして……。
――ん?
離れの向こう側に見える景色に違和感を覚えた。
――確か……あそこは花壇だったはずだが……。
気になって、離れに近づいてみる。すると――。
「これは……畑か?」
花壇だった場所は、なんと耕されていた。
――平民街でもないのに、なぜ建物のすぐ前に畑があるんだ?
しばらくぽかんと、荒れた畝を眺めていると――主がいなくなったにも関わらず、実をつけた野菜がちらほら目に入った。
――ほう……。
ここ大公邸はアーガスタでは北部に位置する。作物を育てるには適してないと言われているが――。
「それでもこうして育つ野菜もある……か」
そうなると――。
「温暖なデルビオンの不作は……やはり引っかかるな」
俺はそう呟いて――。
「デルビオン」という名から、もう一つ気になっていたことを思い浮かべる。
――しばらく……妹の墓参りに行っていないな。
妹が亡くなる直前までいたのが――デルビオンの修道院だった。
妹の墓は修道院の側にあった。
「不作の原因究明と、妹の墓参りをしにデルビオンに……あのフォンティティの森へ行ってみるか」
何度も訪れた、美しい森を思い出す。
あそこはアーガスタにしては陽光が降り注ぎ、明るい土地だ。
それなら――。
――俺のこの……煮詰まったようなどうにもならない気持ちも、少しは晴れるかもしれない。
俺は、曇天の空を見上げ、視察にでる段取りを考え始めた。




