27話【夜会3】
「まあ、さすがはユリアンヌ様ですわ。お気づきなりました?」
私はダンスをするかのようにスカートの裾を軽くさばいた。
優雅に舞う裾の隙間から、品良くのぞく足元……そこに見えたストッキングは、バラッタインで主流のシルクではなかった。
ユリアンヌの言うように、少し厚手の素材だ。しかし、彼女が指摘したように野暮ったいかといえば――。
「確かにシルクのように薄くはありませんが……そこまで厚地というわけではありませんね」
「ご覧になって、あの光沢。シルク以上ではございません?」
「それにあの美しい編み込み紋様……少し糸が太いからこそ映えるデザインですわ」
社交界きってのお洒落好きのご婦人方が、目を輝かせてひそひそと話し合う声が聞こえてくる。
「こちらはバマハロの毛でできたストッキングですの」
私はユリアンヌをまっすぐ見て言う。すると――。
「バマハロとは……聞かない名前ですわ。動物ですか?」
いつの間にか……左右に若い令嬢たちが集まってきていた。左側から飛んできた質問に、私は微笑んで答える。
「はい、アーガスタの冬山の奥地にしかいない――羊と似た動物です」
「まあ……アーガスタの……」
そう言った声に――微かに嫌悪感が混じっているのを私は聞き逃さなかった。
――アーガスタがそうであったように、バラッタインでもかつての敵国への憎しみは……根が深いわね。
眉をひそめる令嬢たちを横目に――私は肩のショールを外し――優美な動作で広げて見せた。
シャンデリアの下、布地が柔らかく光りを跳ね返す。
その滑らかさ、また編み込まれた紋様の美麗さに――会場の女性陣から「ほう」と感嘆の溜息が漏れる。
「こちらもバマハロの毛でつくったものですの」
私はショールを一撫でして言う。
「毛とは思えないほど、艶やかで伸縮性に富んでいます。ですが、最大の特徴は――」
私は含みをもたせて言葉を切ると、さきほど質問をしてきた令嬢にショールを差し出した。
「どうぞお手にとってみて」
令嬢は恐る恐る手を差し伸べてきて、ショールを受け取ると――。
「まあ、なんて暖かいの! それに軽い! まるで鳥の羽のようだわ」
と感動したように言った。
それを聞いた隣の令嬢が、そっと横からショールに手を伸ばし……。
「まあ……本当! 触ってるだけで指先が温まってきますわ」
と驚いた声をあげる。
途端――わっと女性たちがショールに群がった。
交代で手にとっては目を瞠り、「重さを感じませんわ」とか「この糸でつくったストッキングなら、冬の時期でも寒さ知らずですわね」など口々に絶賛する。
彼女たちの興奮が一段落した頃合いで、私は言った。
「アーガスタはこちらより気候が寒冷ですから――こうした保温性の高い上質な品がそろっていましたの」
そう――あの意地悪ばかりしてくる大公家のメイド達も、イルジャンの酒場に出入りしていた女傭兵たちも――。
こぞってこの布地の服を身につけていた。
初めて見たその生地に興味を抱いた私は、アンに取り寄せてもらい――。
大公邸の離れの応接室で、想像以上の暖かさに二人で目を丸くしてしまったのだ。
バラッタインに戻り、母の商会を手伝うようになって――。
この生地のことを思い出し、「ストッキングをつくってみたらどうだろう」と思いついたのだった。
そうして約一ヶ月の試行錯誤の末――バラッタインの洗練された製糸技術を駆使してできたのが、このバマハロのストッキングだった。
「私、少しかの国に興味が出てきましたわ」
「さきほどの肉の話といい――アーガスタも悪くないようだ」
そんな周囲の会話に耳を澄まし、貴族たちのアーガスタへの好感があがったことにほっとしてると――。
「ミレイユ様、このショールはどこで買い求められますの?」
令嬢の一人が尋ねてきた。私は笑顔で答える。
「母の商会の新商品なんです。来月から売り出す予定でして……」
「まあ公爵夫人の……それなら購入予約したいですわ」
「私も予約したいわ! そちらのストッキングも買えるのかしら?」
私は頷いて言う。
「ストッキングも販売します。商会に予約申込して下されば、商品はお取り置きさせて頂きますわ」
女性陣がいっせいに目を輝かせる。
同時に――ユリアンヌが、一瞬私を睨んで……テラスの方へと去って行くのが見えた。
貴族の女性方に、ストールとストッキングの売り込みを終え――。
友人の元に戻った私は、
「ふふふ、ユリアンヌ様の悔しそうな顔ったらなかったわね。あっけない退場だったわ」
とマノンの笑顔に迎えられた。
「マノンの言う通りです。難なく『社交界の華』の座を奪い返しましたね、ミレイユ」
エラが柔らかく微笑んで言った。
――「社交界の華」に戻れたのかはわからないけれど……。
私はちらっと会場を一瞥して思う。
――和平の使者としての役割も、新商品の宣伝も……無事にこなすことができたわ。
ほっと胸をなで下ろした。
それから――。
テラスにいた兄が戻って来て、
「ねえ、ユリアンヌ嬢がすごい顔をしてテラスに入って来たんだけど……何かあったの?」
と言うのに、マノンとエラが「それがですね」と生き生きと説明したり。
時折、近づいてこようとする令息たちを……兄がひと睨みで追い返したり。
「相変わらずのシスコンですこと……」とルイズがぼやいたりするのを聞きながら――。
私は心おきなく夜会を楽しんでいたのだが、閉会まであと一時間というところで、少しふらついてしまった。
慌てて身体を支えてくれた兄が、
「疲れてしまったかな? また寝込むといけないから、今日はもう帰ろうか」
と心配してくる。
思い返せば今夜は――。
高位貴族の当主たちに挨拶をしたり、令息たちに囲まれたり……。
ユリアンヌとやりあって、商会の商品の宣伝までしていた。
――お兄様の言うように、ちょっと疲れてしまったかも。
目的は果たしたし、もう帰宅してもかまわないだろうと、お兄様に向かって頷いた。
「ええ、屋敷に戻ります」
ルイズたちに別れの挨拶をすますと、兄は私の手をとり、会場から連れ出してくれる。
静かな廊下を歩いていると――自分の足が重いことに気づく。
――思いのほかくたびれてしまってたみたいね。
今夜はアンに疲労回復のお茶を用意してもらおうと考えていると――。
エスコートしてくれてた兄の足が止まった。
「まずいな、会いたくない人に会ってしまった……」
兄にしては珍しく、低い声で呟くのを聞いて、私は考え事から我に返る。
前方を見れば――。
「お祖父様……」
母方の祖父……スンミ老伯爵が一人廊下に佇み――眼光鋭くこちらを見ていた。
・・・・・・・
「お久しぶりです、お祖父様」
「ご無沙汰しております、老伯爵」
私と兄が挨拶をする。
お祖父様は先代と呼ばれるより「老伯爵」と呼ばれるのを好んだ。
伯爵の地位はとっくに息子に譲ってはいるものの――未だ政治の舞台で一目置かれる人物だった。
「久しいな、ジスラン。それから、ミレイユは五年ぶりか」
老伯爵はふんと鼻を鳴らして、そっけない口調で言う。
――お祖父様……今夜はご機嫌ななめみたいだわ。
元々気難しいところがある人だ。それでも、孫の私たちには比較的気さくに笑顔で話しかけてくれる人でもあった。
それがこの仏頂面――よほど気に入らないことがあったのだろう。
こういう時の祖父は話が長い。兄もそれを察してか――先手を打って口を開く。
「老伯爵とお話できるせっかくの機会ですが――ミレイユの体調が良くありませんので失礼を――」
「ふん、顔色を見れば具合が悪いことはわかるわ。手短に用件だけ言う」
兄が私を気遣う目で見てきたので、私は大丈夫だと頷いた。
「わかりました。お聞かせ下さい」
兄が言うと――祖父は私をじっと見つめた。
「ミレイユよ、かの国での結婚生活、ご苦労であった。風の噂で、仮面をつけた結婚式だったと聞いたが……大公邸ではさぞかし大変な思いをしたのだろう」
ヒヤリとした。
結婚式での出来事は――。
「和平を象徴する結婚」のイメージが悪くなると、アーガスタ王家が参列者に口止めをし、仮面のことは外部に出回らないよう――手を回したはずだった。
箝口令をものともせず、情報を得ていたとは……。
――さすがは「バラッタインの曲者」と呼ばれるだけあるわね、お祖父様。
私は心の中で、祖父独自の情報網に舌を巻きながら――。
「どんでもございません。大公邸では良くしていただきました」
と、澄まして礼をとる。
「円満な離婚だったとはいえ――子ができず、出戻って参りましたこと、ふがいなく思います」
「子など――できなくて良かった。アーガスタの血が入ったひ孫など……冗談ではないからな」
吐き捨てるような祖父の物言いに、私は気づかれないようそっと溜息をつく。
――そう、お祖父様は大のアーガスタ嫌い。これくらいのことは言うわよね。
「よいか、ミレイユ」
祖父の――年齢を感じさせないしっかりとした声が私の名を呼ぶ。
「バラッタインには南部民族の生き方がある。大地を大事にし、友を敬い、常に前を向いて進む」
ぎろりと北の方角の夜空を睨みつけ……。
「――他人のものを奪い、武器ばかりつくり、四六時中……戦いの糸口をつかもうと躍起になってる下等なアーガスタ民とは相容れぬ」
と苦々しく言ってから――「だから、ミレイユよ」と祖父は再び私の名を呼んだ。
「アーガスタの評価を高めるような発言はするな。あの国のものを使うなど……虫唾が走るわ」
――お祖父様は……さきほどの私とユリアンヌ様のやりとりを見てたんだわ。
私はまっすぐに祖父を見て質す。
「お祖父様は――アーガスタと仲良くする気はまったくないのですか」
祖父はやれやれと首を振った。
「『仲良く』というのは、話が通じてはじめてかなうものだ。あいつらとはまともな会話ができた試しがない」
だまされるな、と祖父は言う。
「和平条約も仮初めで――あの国は機を見て、我が国にまた戦争をしかけようとしているのだ」
祖父の言い分に耳を傾け――脳裏をよぎったのは……。
アーガスタとの和平を拒む――「反国王派」というワード。
祖父が、そちら側の人間であることは間違いなかった。
「もう一度言う。アーガスタの評価を高めるような言動は――今後一切するな。話は以上だ。引き留めて悪かったな」
祖父はそう言うと、会場に戻り始めた。しかし――数歩進んで、再び足を止める。
「ミレイユよ」
さきほどまでとは違う――ひっそりとした祖父の声。
「この国にはかの国を憎んでいる者がたくさんおるのだ。わし以上に憎悪している者もな。お前の行動はそんな奴らを刺激する。――周囲に十分警戒せよ」
夜に紛れるように言うと、今度こそ祖父は立ち去った。




