25話【夜会1】
夜会当日。
日が沈みかけた頃合いで、私は兄と二人で公爵家の馬車に乗り、夜会が開かれる王宮へと出発した。
宮殿に着き、会場へ入ると――まずは国王陛下へ挨拶をしにいこうと、兄の腕に手をかけた。
優雅に歩き出しながら――兄がにっこりと笑って言った。
「そのドレス、やっぱりぴったりだったね。ミレイユの美しさをよく引き出してる」
目を細める兄に、私は照れながらも笑顔で返す。
「この色は着たことがなかったのだけど……とても気に入ったわ。ありがとう、お兄様」
普段は――髪の色に合わせて赤か、目の色に合わせて緑を着ることが多いのだが……。
兄が用意したのは、鮮やかな青緑のふんわりしたドレスだった。
深緑の瞳が凜として見え、赤髪は理知的な輝きを帯びる。
こんなに品良く愛らしく映えるドレスを着るのは初めてだった。
兄も私と同じ色味の夜会服を纏っていて、大人っぽく着こなしていた。妹から見ても――色気が漂っていてドキドキしてしまう。
――お兄様の服のセンスって、本当にすごいわ。
陛下の元へと向かう私と兄を見て――周囲の夜会客がほうっと溜息をつくのが聞こえた。
「なんて素敵なお二人なんでしょう」
「どちらの家門の方なんだ?」
「まあ、ご存じありませんの? タウンゼント家の……」
ひそひそと交わされる会話に、兄は「みんなミレイユの美しさに魅了されてるね」と上機嫌だ。
――うーん、半分はお兄様への賞賛だと思うけど……。
兄は、令嬢たちの熱い視線を感じないのだろうか――と首を傾げてしまう。
陛下の元にたどり着いた私たちは、深々とお辞儀をした。
父と母は、領地の公務で夜会を欠席のため、兄が父の代理――小公爵として陛下と挨拶の言葉を交わす。
私はちらりと、陛下の後ろを見た。
いつもの護衛騎士ともう一人、見慣れない異国の正装した男性が立っていた。
兄との挨拶を終えた陛下が、振り返ってその貴人を――私たちに紹介し始める。
「こちらはムガルンド帝国の宰相、バナージ・ガンベイ閣下だ。交易の打ち合わせでな、先週から王宮に滞在してもらっている」
ガンベイ宰相は、一歩前に出ると、異国風のお辞儀をして――じろりと私たちを見てきた。
私と兄は、ガンベイ宰相に礼をとった。
そして――。
兄と話し出した宰相を、私はそっと盗み見た。
年の頃は――父より少し上。褐色の肌。兄と会話をしていても、こちらを観察するような視線はそのままで、居心地が悪くなる。
――さすがは大帝国の宰相ね……油断ならないわ。
ムガルンド帝国は、周辺国では一番の大国だった。
領土、財政、文化、技術――どれをとっても、他国の追随を許さない先進国。
故に――。
近隣の国の貴族の子女は、幼少時から一度はこの国に留学することを夢見ていた。
実際、私のアカデミー時代にも――休学して帝国へ留学しにいく生徒が何人もいた。
――そういえば、レナートもムガルンド帝国に滞在したことがあったわね。
そう思い出したところで、宰相と兄の会話が終わり――ふと宰相と目が合った。じっと見つめられ、慌てて目を逸らしてしまう。
そこで、ジャンレーヌ様から声がかかった。
「二人とも素敵な衣装ね。会場の皆が、ジスランとミレイユに釘づけだわ」
陛下の隣に座る王妃殿下は、微笑んで会場を見渡す。
「あなたたちと話したい者が大勢いるようよ。お相手してあげてね」
もう下がっていいわよ――そう、暗にジャンレーヌ様が言う。
私が宰相に萎縮しているのを察してくれたようだった。
兄と二人「はい、失礼致します」と頭を垂れて、壇上から下りると、ほっと一息ついた。
「緊張した?」
兄が尋ねてきて、私は視線を下げ、素直に頷いた。
「しばらく、こういう公の場に出てなかったし……誰かに正式にご挨拶するのも久しぶりなんだもの。まだ、ドキドキしてるわ」
「そう。でも、そんなこと言ってられないみたいだよ」
兄の言葉に視線を上げると――。
私たちはいつの間にか、人に囲まれていた。その顔ぶれは――高位貴族の当主クラスがずらり。
緊張に――顔を強ばらせる私に、兄が耳元で囁く。
「大丈夫、君が小さい頃から接してきた……『おじさま』、『おばさま』ばかりだよ」
言われてみれば――幼いときからお父様の横について見てきた懐かしい面々。
「さあ、ご挨拶して」
兄に背中を押してもらい――私は一人一人に、自分の口から帰国したことを告げ……。
社交界に復帰するので、今後、力になってほしいと頭を下げた。
「敵国に嫁いだ女などごめんだ」と冷たい対応をされるかもしれない……そう内心ビクビクしていたのだが――。
子ができず「離婚」をした……ということになってる私に、ほとんどの人が同情的で――。
いつでも頼ってほしいと、好意的に受け入れてもらえた。
――良かった、すんなりと社交界へ戻ることができそうだわ。
当主たちとの挨拶を終え、その成果に手応えを感じていると――。
「お疲れ様、ミレイユ」
「重鎮方とうまく話せたみたいね」
「飲み物でもいかがですか」
友人たちの声がして、私は振り向く。
マノンとルイズが微笑んで立っていて、エラがシャンパングラスを手渡してくれた。
友人たちの姿に、当主たちとの会話で張り詰めていた気持ちが一気に解ける。
一歩離れたとろこで、私を見守っていた兄もふっと表情が柔らかくなった。
「ジスラン様、ごきげんよう」
マノンが恥ずかしそうに膝を折ると、兄は微笑んで会釈した。
「マノン嬢、ごきげんよう。素敵なドレスですね」
「ありがとうございます。ジスラン様も――そしてミレイユも。いつもに増して輝いてらっしゃいますわ」
マノンがそう言って微笑むと、エラも、
「思った通り、会場はお二人に目を奪われてますね、ふふふ」
と満面の笑みを浮かべる。
そこで――。
「ジスラン!」
少し離れた場所から兄が呼ばれた。声の主を見れば――。
――あれは……お兄様のご学友のシェロン侯爵令息だったわね。
そして、令息の周りには――数人の令嬢たちがいて、兄のことをうっとりとした目で見つめていた。
兄は「ああ、イレネオか」と片手を上げて応えるが……動かない。
「お兄様? あちらに行ってらっしゃったら?」
私が言うと、兄は首を振った。
「いや、王妃殿下からも言われているし……今日はミレイユを一人にはできないよ」
白亜の間で、ジャンレーヌ様から「外出先ではなるべく一人にならないように」と注意されたのを思い出す。
「あら……私達がおりますわよ?」
エラがおっとりと首を傾げて言った。
「ええ、私達がミレイユと一緒にここにいますわ」
マノンが頷き、ルイズがまだ兄に手を振ってる令息のほうを見て言う。
「殿方も社交は大事ですわ。妹君は私たちにお任せになって、あちらに顔を出して差しあげて下さい」
兄は躊躇いながら――。
「そう……じゃあ、少しの間だけ、ミレイユのことをお願いできるかな?」
もちろんですと頷く三人に微笑んでから、兄は友人の元へと向かうと――。
イレネオ令息と令嬢たちに引っ張られるように、テラスのほうへ消えていった。
「こほん」とマノンが咳払いすると、声を潜めて聞いてきた。
「ねえ、ミレイユ。さっきのジスラン様の言葉……王妃殿下が、あなたを一人にするなとおっしゃったの?」
ルイズも口元を扇で隠して、小声で尋ねてくる。
「あなた、帰国してまだ二ヶ月しかたってないのに……もうなにか面倒事に巻き込まれてるの?」
――なんて答えたらいいかしら……。
白亜の間での会話を思い出す。
周辺大国との関係や、国内派閥など……政治的な内容が大いに含まれていた。
――ジャンレーヌ様の言葉をそのまま教えるわけにはいかないわよね。
私が言いよどんでいると――。
ふと、正面に人が立つ気配がした。
――誰かしら?
顔を上げると、私と同い年くらいの令息が立っていた。それから――私は周りを見回してぎょっとする。
私たちは、いつの間にか貴族男性たちに囲まれていた。
はっと息を飲む。
――この人達……もしかして、ジャンレーヌ様が言ってた反国王派?
男性たちの視線は――私だけに集中していた。
――落ち着くのよ、ミレイユ。
私は扇で口元を隠すと、鉄壁の微笑みをもって彼らと相対する。
――負けてはいけないわ。どんなことを言われても、笑顔をでやり過ごすの。
正面の令息が――口を開いた。
――来るわ。
私は――微笑みはそのまま、心の中で身構える。
すると――。
「ごきげんよう、タウンゼント公爵令嬢。素敵なドレスですね。でも……衣装以上にあなた自身が輝いているように……僕には見えます」
頬を染めて言う令息に――。
「え? あ……ありがとうございます……?」
きつい言葉を予想してた私は、彼からの褒め言葉に意表を突かれて――返答がたどたどしくなってしまう。
しかし、彼は、私のぎこちなさに気づいた様子はなく、ぽうっとした視線を私に向けてくる。
「あ、あの……私のことは覚えておいででしょうか。アカデミーで同じクラスだったのですが」
令息はためらいながら、尋ねてきた。
敵意を向けてくるどころか、こちらをうかがうような態度。そして――。
――アカデミーで同じクラス?
「あら、もしかして」と思いつく。
――この人、反国王派とかではなく、単なる同窓生……?
よくよく見れば、たしかに見たことがある顔だった。
彼は、どうも――。
懐かしい顔を見つけて、声をかけてくれただけのようだった。
――やだ、私ったら……。
肩の力を抜くと、自分の早とちりに恥ずかしくなりながら、彼の容姿に目を走らせた。
――うん、やっぱり見覚えがあるわ。
チョコレート色の髪に、オレンジがかった温かい茶色の目、そして小柄な体型。
「ええ、わかりますわ。ホアキン伯爵令息、お久しぶりでございます」
私が微笑んで返すと、彼は頬を赤らめて言った。
「忘れないでいて下さって嬉しいです。こうして再び令嬢にお会いできて光栄です」
会釈をする彼に、私も膝を折った。
「私のことも思い出せませんか、令嬢。隣のクラスで、一緒に展示会の実行委員をした……」
ホアキン伯爵令息を押しのけて、後ろから出てきた令息に、興奮気味に問いかけられる。
私が記憶を探っていると――。
「よそのクラスが出しゃばるな。僕のことはどうでしょう。一緒にクラスの授業でダンスを踊ったことが……」
「そこをどきたまえ。兄上のジスラン殿と同じ学年の……」
「私は兄上よりも一つ上だが、年上すぎるということはないだろう? アルマ侯爵家の……」
俄然……騒がしくなってきた。




