24話【デイモンへの想い】
父母が王宮に到着すると、すぐに豪華な晩餐会がはじまり——。
五年ぶりに味わうバラッタイン王宮の料理は、変わらず美味だった。
気軽な内輪の話——観劇や乗馬、最近読んだ本の感想——で和やかに食事が進み……。
デザートが運ばれてきた頃合いで、陛下が私の名を呼んだ。
ジャンレーヌ様が言ったとおり——。
陛下は私に「円満な離婚」を周囲に印象づけ、「和平の使者」として、今後振る舞ってほしいと頼んできた。
家族はいい顔をしなかったが、私が了承すると——異を唱えることはなかった。
そうして晩餐はつつがなく終わり——私は家族と一緒に帰宅した。
久しぶりに王宮で長時間を過ごした私は——。
気を張っていたのだろう、自室にたどり着くなり、大きな欠伸が出てしまった。
「まあまあ、すっかりお疲れですね、ミレイユ様」
部屋で待機してくれていたアンは、ふふっと笑うと——。
ベテランの手際で、うとうとする私を湯に入れ、マッサージをし、肌の手入れをすると、鏡台の前に座らせた。
髪をとかしてもらってる間、あくびをかみ殺しながら、王宮であったこと——ジャンレーヌ様のお話や、陛下からの頼まれ事——をアンに話して聞かせる。
すると——アンの手が止まった。
「敵国に嫁がせて過酷な結婚生活を強いた上——帰国して間もないミレイユ様に、今度は……」
地の底を這うような声がした。
「反国王派の口撃の的になれと言うんですか、あの陛下は?」
アンから殺気じみた雰囲気を感じ、私は眠気が吹っ飛んでしまう。
「アン? お、落ち着いて……」
「これが落ち着いていられますか! ミレイユ様がどんな思いでこの二ヶ月を暮らしてきたのか……陛下は知らないからそんなことが言えるんです!」
アンが目をつりあげて言う。
「アンは……これ以上、ミレイユ様がお辛い思いをするのは我慢なりません!」
私は座ったまま振り返ると、彼女に抱きついた。
「私を思って……怒ってくれてありがとう。でも、大丈夫よ。私はこれから——このバラッタインと公爵家のために生きると決めたの。話したでしょ?」
アンはぐっと唇を噛むと、「ミレイユ様がそうおっしゃるなら」と怒りを鎮める。
私は立ち上がった。
「今日は疲れちゃった。もう寝るわね」
「……はい、ごゆっくりお休み下さい」
アンは少し心配そうな顔をしてから——一礼すると部屋から出て行った。
私は一人——ベッドに腰掛けふうっと息をついた。
『ミレイユ様がどんな思いでこの二ヶ月を暮らしてきたのか……』
さきほどのアンの声が耳に蘇る。
離婚したあの日のことが思い浮かんできて——私は胸元を押さえた。
離婚し、暴走する馬車に乗ってバラッタインに帰ってきたあの日。
私は公爵邸に着くなり倒れてしまった。
次の日、なんとか起き上がり、人目を避けて登城し——国王陛下と王妃殿下に帰国の報告を済ませたが——。
帰宅すると、高熱を出して再び倒れ、それから一ヶ月もの間——熱が下がらず、ベッド上で日々を過ごすことになった。
医者からは、過労と精神の衰弱が指摘され——。
敵国であるアーガスタでの五年にも及ぶ気を張った生活が、心身を弱らせたのだろうと診断された。
陛下から、離婚発表まで、周囲に帰国を悟らせないよう外出を禁止されたこともあり——。
熱が引いてからも、外界からは距離を置き、部屋の中でゆったりとしたリズムで生活した。
日中は読書をしたり刺繍をしたりした。飽きれば、屋敷の奥の庭園を散歩をし、アンとおしゃべりをする。
そして夜は——。
静けさの中で、アーガスタでの日々を思い出した。
大公の離れでメイド達から受けた嫌がらせや、国民から向けられた増悪の視線。
殺されるかもしれないと怯えた日々。
私は毎晩、アーガスタで感じていた恐ろしさが蘇り、ベッドの上で震えた。
同時に——。
毎夜、自室の壁にかけてあるリュートを見上げては、平民街での楽しかった出来事に思いを馳せた。
酒場で陽気なお客さんに囲まれて、心おきなくリュートを弾いたこと。
サラにリュートを教え、ナンシーさんやミシェルさんと笑ったこと。
そして——。
ダンと過ごした——忘れたくても忘れられない時間。
彼とは始め、喧嘩ばかりだった。
それから互いのことをゆっくり知っていって——気づけば彼に恋をしていた。
それはあっという間に愛に変わり——。
あの離婚の日を迎えた。
愛しい人との悲しい別れの日だった。
「ダン」
暗い部屋で彼の名を呼ぶ。
ぎゅうっと寝間着の胸元を掴む。
あの離婚日——彼は馬車を追いかけて、私を求めてくれた。
私は勢いにまかせ愛しさから、扉を開けて差し出された彼の手に——自分の手を伸ばした。
けれど今、同じように手を伸ばされたら——。
——果たして私は彼の手をとるかしら?
私は目を開けると、壁に飾られたリュートを見た。
時間が経ち、彼への愛が冷めたわけではない。
けれど——冷静な私が問いかけてくるのだ。
あの男はデイモンだ——レナートを殺した憎い敵だと。
レナートを失った悲しみ、彼を過去にして自分だけが進んでいく後ろめたさは——もう吹っ切れていた。
けれど——。
私の中にデイモンを憎む気持ちは——厳然としてあった。きっと死ぬまで私の中にあり続けるだろう。
愛しいダンと、憎悪するデイモン。
時間が経てば経つほど——この二人が私の中で一致しなくなっていた。
故に——。
私は帰国してからこの二ヶ月——彼への愛しさと憎しみの狭間でずっと苦しんだ。
そのせいで、熱が出てるのに輪をかけ、食欲はわかず、気力は衰え、身体は衰弱していく一方。
けれど——。
アンが寝る間を惜しんで看病してくれた。
お兄様は身体に良い食材を自ら買い求め、私の体力を戻そうとしてくれた。
父と母は——忙しい公務の間を縫って、毎晩お見舞いに訪れた。
そして二人は——痩せ細ってしまった私の手をとり、泣きそうな笑顔で、元気になったらあれをしよう、これをしようと元気づけてくれたのだ。
アンと家族の温かい心遣いに——私の引き裂かれるような心の痛みは、次第に落ち着いていき——。
段々と気力を取り戻した私は、ある決断をした。
——彼への気持ちは忘れよう。
恋しさも憎らしさも、全部心の奥底に沈めて蓋をしよう。
私と彼は離婚し、もう二度と会うことはない。
そう——。
あの離婚契約書がある限り、会いたくても会うことは叶わない。
ならば、忘れるのが一番だ。
出戻りの貴族女性のその後は——実家の手伝いをしたり、王宮に働きに出たり——もしくは世俗と距離をおいて修道院に入るのが通例だった。
私は、嫁ぐ前と同様に——家のために尽くそうと決めた。
手始めに、母がつくった商会——女性向けの商品を扱う店の手伝いをはじめた。
商品の開発にも加わり、今度の夜会では私がアイデアを出して開発した「新商品」の宣伝をするつもりでいた。
「あら、もうこんな時間。早く寝なくちゃね」
私は文机の置き時計を見ると、毛布を捲ってシーツに身体を滑らせた。
ほどよい疲労感。
私は、忙しく回り始めた日々に満足していた。
彼のことを思い出す間もなく——こうしてすぐに眠気が訪れてくれるから。
——これからは……前だけを見るの。公爵家とこの国のために生きていくのよ。
ここ一ヶ月で何度もした決意を繰り返し——私は眠りについた。




