22話【兄、ジスラン】
日が傾いてきた頃、庭園の入口に一人の男性が現れた。
それに最初に気づいたのはルイズだった。
「ミレイユ、お迎えがいらっしゃったわよ」
ルイズに促されて振り返ると、二歳上の兄――ジスランがいた。
私と同じ赤毛の深緑の目。
けれど、お母様似のキツ目の顔立ちの私と違って――兄はお父様譲りの、天使のようなキラキラした綺麗な顔立ちをしていた。
三人で、兄がゆっくりとした歩調でこちらへ向かってくるのを眺めてると――ルイズが尋ねてきた。
「この後、王宮に行くのだったかしら?」
「ええ、王妃殿下から晩餐に呼ばれているの」
「ミレイユは王妃殿下のお気に入りだったもの。外出禁止が解けたから、早速、お声がかかったんですね」
エラが柔らかい口調で言う。
私の父――クラウト・タウンゼントの母親が先代の王妹殿下であり、そのため、私には王家の血が色濃く流れていた。
生まれた時から、兄と同じく王位継承権を持つ私が――はじめて父に連れられ王宮に上がったのは三歳の時。
ジャンレーヌ王妃殿下は、その時から私を可愛がってくださっていた。
今日も――帰国してすぐの謁見ではゆっくり話せなかったからと――王宮の晩餐に招いて下さったのだ。
「やあ、楽しそうだね」
兄は、優雅な足取りで私の横に立つと言った。
「ごきげんよう、ご令嬢方。変わらずミレイユと仲良くしてくれてありがとう」
兄のキラキラした笑みに――。
マノンは顔を赤くし、エラはうっとりとした視線を返し、ルイズは――すんっとした顔で会釈をした。
つまり――こいうことだ。
マノンは兄の顔が好みドストライク、エラは見目のよい男性は鑑賞用と決めていて、ルイズは美形が大嫌い。
アカデミー時代――。
私達が食堂でおしゃべりをしていると、二学年上の兄が来ては――今と同じように三人三様の反応をしていたものだ。
当時を思い出し、私はくすりと笑ってしまう。
兄が――私の顔をじっと見てから言う。
「うん、ミレイユ、表情が明るくなったね」
良かったと呟く兄に、顔を赤らめたマノンが尋ねた。
「来週の王宮の夜会には、ジスラン様はいらっしゃいますか?」
兄は公務が忙しく、夜会を欠席しがちだった。だが――。
「今度の夜会には出席するつもりだよ。可愛い妹が帰国して――初のバラッタイン社交界だからね。栄えあるエスコート役は私でないと」
そう――にっこり笑って言った。
夜会の招待状が屋敷に届いた時――。
同じ事を言って、兄がエスコートを申し出てくれた。
久しぶりのこの国の夜会だ。
緊張するし心細くもあったので、兄の言葉にほっとした。他に頼める人もいなかったためありがたくエスコート役をお願いしたのだ。
兄がちらりと私を見たので、「ええ、よろしくお願いしますね、お兄様」と微笑む。
今度の夜会は、私にとって二つの目的があった。
一つは、バラッタイン王国の社交界に復帰したことを、他の貴族達にアピールすること。
国王陛下から発表があったとはいえ――。
これから私がバラッタインの社交界に参加していくには、私が公爵家に戻ったことを自ら大々的に喧伝する必要があった。
それには、国内の有力貴族が集まる――来週の陛下主催の夜会はうってつけの場だった。
――上手くアピールして、社交界に受けれてもらわないといけないわ。
そして、二つ目は、お母様のお役に立つこと。
会場で、お母様の商会の新製品の宣伝をする予定なのだ。
頑張らなくちゃと気合いを入れていると――マノンとエラが顔を見合わせた。
「まあ、二人でご出席とは――それは楽しみです!」
マノンが両手を組んで言うと、
「社交界の輝ける二星――タウンゼントの美形兄妹の参加は、会場を大いに沸かすでしょうね」
と、エラがうっとりとした表情になる。
ルイズが口元に手を当てて呟いた。
「ミレイユが返り咲くのだから――ユリアンヌ様は荒れるでしょうね」
――ユリアンヌ様?
我がタウンゼント公爵家に次ぐ権勢を誇る名門アブト公爵家。その一人娘がユリアンヌ様だった。
――私が夜会に出ると……どうして彼女が荒れるのかしら?
首を傾げると、ルイズが補足するように言った。
「ミレイユがアーガスタに嫁いで……『社交界の華』がミレイユからユリアンヌ様へと変わったの」
なるほど、と私は頷く。
「夜会は――新旧の『社交界の華』対決の場になるでしょう。恐らく――ミレイユを牽制しに、ユリアンヌ様が近づいてくるでしょうね」
眉をしかめるルイズに、私はくすっと笑ってしまう。
「嫌だわ、ルイズ。対決だなんて……嫁ぐ前ならともかく、今の私では彼女の相手にもならないわ」
なぜだか、ますますしかめ面になるルイズに、私は言葉を足す。
「五年も不在にしていたのよ? 私は今――社交界になんの影響力も持たないわ。彼女が私を牽制する必要なんてないんじゃない?」
「まったく、ミレイユは自分をわかってないわよね」
マノンが大きな溜息をついた。
「容姿端麗、博識でダンスもマナーも完璧な――素敵なレディがなにを言ってるのか……」
「ミレイユは昔も今も、バラッタイン王国の淑女の憧れです」
エラも私を見ながら、言い含めるような口調だ。
――そう言ってくれるのはうれしいけれど……。
半年顔を出さないだけで、名前を忘れられてしまうのが社交界だ。
数年もいなかった私を――かつてのように慕ってくれる人間がいるとは思えない。
――言葉通りに受け取ってはいけないわね。
彼女たちは――久しぶりに社交界に顔を出す私を、力づけてくれてるのだろう。
友人たちの優しさに感謝して言う。
「励ましてくれてありがとう。勇気がわいたわ」
ここで兄が「ミレイユ、そろそろ……」と声をかけてきた。
――そうね、名残惜しいけど、王妃様をお待たせるするわけにはいかないわ。
私は椅子から立ち上がり、カーテシーをした。
「それでは、お先に失礼するわね。次は夜会で会いしましょう」
テーブルの三人からそれぞれ別れの挨拶がすむと、兄が私の手を引いて、馬車が待つエントランスへと歩き始める。
庭園を出たところで兄が声をかけてきた。
「良い気分転換になったようだね」
「ええ、とても楽しかったわ」
ルイズ達との会話を思い出して、ふふふと笑うと――兄は目を細めて言った。
「ねえ、ミレイユ。夜会は――彼女たちと一緒にいたらいい。母上には私から言っておくよ」
私は兄を見た。
「社交界再デビューの初日から――家のために働くことはないよ。とりあえず帰国の挨拶だけみんなにして――あとはゆっくり友人と楽しんだら良い」
そう言って優しく笑う兄に、私は首を横に振った。
「いいえ、お兄様。昨日打ち合わせしたとおり……お母様のお手伝いをするわ。少しでも公爵家の役に立ちたいの」
離婚をして実家に戻り――本来なら疎まれても仕方ないのに、両親も兄も私を快く受け入れてくれた。
その恩返しがしたい。
困ったように兄が笑う。
「ミレイユはついこの間まで寝込んでいたんだ。気力を取り戻してくれたようで何よりだけど……あまり頑張りすぎないように」
「はい、わかってます。心配してくださってありがとう、お兄様」
兄は頷くと――「そういえば」と話題を変えた。
「私が頼んでおいたミレイユの夜会ドレスが屋敷に届いたそうだ」
「まあ、それは楽しみ。お兄様はセンスがいいから」
「期待してて。ミレイユに絶対に似合うから」
にっこりとする兄に、笑みを返そうとして――「あら?」と首を傾げた。
兄くらいの年齢の男性が……ドレスを贈ったり、絶対に似合うからと微笑む相手って――。
――妹でいいのかしら?
普通は――家族でない、特定の女性にするものではないか。
「ねえ、お兄様。あの……婚約者探しはどうなってるの?」
思わず、尋ねる。
兄は今年、二十四歳になる。婚約どころか結婚して子どもがいてもおかしくない年齢なのだが――。
先の大戦のせいで、適齢期は婚約者探しどころではなかった。
しかし、終戦してから五年経った今なら、じっくりとお相手を探し……見つけていても良い頃合いだ。
――お兄様から、そういった方の紹介は受けてないけど……。
もし決まりかけている人がいるなら――私などにドレスを贈ったり、エスコートしてる場合ではないのではないか。
今更ながらその事実に思い当たり――。
私は深く考えずにエスコート役をお願いしてしまったことに青くなっていると――。
「婚約者ね……なかなか見つからないとだけ言っておこうか」
兄が苦笑いをして言った。
――良かった、まだ特定の方はいないのね。
ほっとする一方で――眉をひそめてしまう。
「お兄様ほどの男性が……お相手が見つからないなんて……」
そんな馬鹿な、という気持ちがわく。
身内びいきを差し引いても――。
兄は、性格は優しく、見た目は素敵だし、頭脳は明晰で陛下の覚えもめでたい。
加えて、筆頭公爵家の次期当主というこれ以上ない地位まで持っている。
引く手あまたというなら頷けるが、お相手が見つからないなんてこと……あるだろうか。
「おかしいわ」と納得できずに呟く私を見て――兄はくくっと笑い声をたてた。
「ミレイユ、君は多分――少し誤解してる」
「誤解?」
「見つからない言ったのは、言葉のあやで……候補者は何人かいるんだ。ただ――」
兄は笑顔から難しい顔になる。
「今、国内の政治派閥が真っ二つに割れ始めていてね。候補者たちの家門がどちらにつくか――様子見をしてるんだ」
「様子見……?」
「なるべくなら我が家門と同じ派閥の令嬢と婚姻したいからね」
私は「そういうことね」と納得する。
気づけば、馬車寄せまで来ていた。兄は私を馬車に乗せると、自分も乗り込み、御者に出発の合図を送る。
馬車が動き出し――兄が口を開いた。
「まあ、そういうわけだから、当分は私の相手は見つからないだろう。だから――ミレイユは遠慮せず、私のエスコートを受けてほしい」
私の考えてることなど、兄にはすっかりお見通しだったようだ。
ウインクを送ってきた兄に、私は「ふふっ」と笑みをこぼして頷いた。




