20話【離婚日】
「ではデイモン様、離婚書類の用意と、ミレイユ様を呼んで参ります」
ダロスは俺をじろりと見て言う。
「くれぐれも――手続きが終わるまでは外に飛び出していかないでくださいね」
彼はそう釘を刺して執務室を出て行った。
今日は俺とミレイユの離婚日だ。
書類はもうできている。
後は双方がサインをするだけ。
数分で事足りるだろう。
これが終われば、俺はすぐにでも王都の平民街へ行くつもりだった。
片手を額に当て、固く目を閉じる。
この数日ずっと抱き続けてる疑問。
――何故だ。どうしてレイナはあの日……急に帰ってしまったんだ。
宿屋に言付けた「急用」というのは嘘だろう。きっとなにか彼女にあったのだ。
――プロポーズをした直後は、頷いてくれそうな雰囲気だったのに。
自分が面倒な客をいなしている間に、何かあったとしか思えない。
しかし、従業員に聞いても誰かが彼女とトラブルを起こした様子はなかった。
レイナはただ青い顔をして「急用ができた」と言うだけだったという。
以前、食堂で彼女に逃げられ、その後三日ほど彼女と会えなくなった時もやきもきしたが――。
今回はもう十日会えてない。苛立ちはあの時の比ではない。
加えて、一週間前にイルジャンの酒場へ、俺宛だと届いた封書がさらに焦燥をあおっていた。
それはレイナからの別れの手紙だった。
国を出ると書いてあったので、すぐさま城門に大公家の人間を派遣した。
二十四時間体制で見張らせているが、今のところそれらしき女性の報告は上がってきていない。
レイナの身元調査も進んでいない。
貴族なのか確かめるどころか、住まいすら判明していない状況だ。
彼女のフレジコ以外の姿を知る者が皆無なのだ。
彼女が王都で暮らしているのなら――。
この都で彼女は食料の買い出しをしたり、近所づきあいをしてるはずだ。
しかし、そうした彼女の実生活が、第三者によってまったく目撃されていない。
だから調査員達は――。
彼女自身をつけまわして調べようとしたらしいが、これが困難を極めた。
セルゲトン村から戻ってきた俺が調査依頼してから――王都内で彼女を見つけられた日がわずか二日。
その両日とも、路地まではレイナを追いかけることができたのだが――。
角を曲がったところで彼女が忽然と消えたり、調査員が突然強い眠気に襲われて昏倒してしまったりしたという。
――そんな魔法みたいなことがあってたまるか。
俺は調査員達の尻を叩いて、引き続き調査をさせているがこれといった情報はないままだ。
――俺も彼女にどこに住んでいるのかだけでも尋ねようとしたんだが……。
食堂から逃げられたり、宿屋から姿を消されたりで聞けないままでいる。
俺は引きだしからレイナの手紙を取りだした。
文面を眺めながら眉を寄せる。
「なぜ突然国を出るなどと言い出したのか……」
なにをもって俺達がうまくいかないと思ったのか。
その他にも彼女に問い質したいことはたくさんある。
「こんな手紙一枚で俺から逃げられると思うなよ」
俺がそう呟いた時――。
コンコンコン。
ノック音がした。
俺は仮面を被ると入室を促す。
書類を持ったダロスと仮面姿のミレイユが扉を開けて入ってきた。
・・・・・・・
――五年間よく耐えたわ。
私は大公家の執務室で、仮面をつけた夫――デイモン・エジャートンと向かい合っている。
彼は憎い敵。
そして自分もまた、デイモンからすれば恨むべき敵。
この結婚は間違いだった。
でもこの結婚がなければ――ダンに出会うこともなかった。
諦めようと決めた男の顔がうかび、苦笑いしてしまう。
ダロスが離婚に関する書類をテーブルに並べた。
彼の呼びかけで私とデイモンは書類にサインをする。
「結構でございます。これでお二人の離婚は成立致しました」
私はほっと息を吐く。
私は自分の契約書の控えを手に取ると立ち上がった。
そして仮面を外し、まっすぐにデイモンを見て恨み言をいってやる。
「ようやくあなたとおさらばできるわね。あなたを手にかけなかった自分を褒めてあげたいわ。一生許されることはないと思ってちょうだい」
デイモンに――素顔を見せることも、仮面の変声効果を通さず生の声で話すのも初めてだった。
すっきりした気分で部屋を出ようとして――デイモンがすっと立ち上がり自らの仮面を外した。
「そ、そんな……」
仮面の下から出てきた彼の素顔を見て、思わず声が出た。
私は身を翻すと執務室から駆け出した。
――一体どういうことなの!?
心臓がバクバク鳴っている。
あそこにいたのはデイモン・エジャートンのはず。
――それなのに、どうしてダンが立っていたの!
「ミレイユ!」
背後からデイモンの声が聞こえた。
彼が追いかけてくる気配がする。
「来ないで!」
私は階段を下りながら叫ぶ。
「待て! 待ってくれ!」
憎くて殺してやりたい男の本当の声が聞こえる。
――なんてこと!
その声は私の愛する男と同じだった。
頭が混乱する。
今、追いかけてきてるのは一体誰なの?
彼はどんな目で私を見ている?
憎しみに満ちた目をしている?
――そんなの耐えられない。
大公邸の玄関扉を自ら開く。
「ダメだ、屋敷から出すな! ミレイユを止めろ!」
デイモンの声より早く、私は外に飛び出す。
すると目の前に、公爵家の迎えの馬車が停まっていた。
運転台の御者が下りて来ようとするのを制し、勢いのまま自分で扉を開けて馬車に乗り込む。
中には私の荷物を抱えたアンがいた。
私が馬車に来たらいつでも出発できるよう待機してくれていたようだ。
「ミレイユ様!?」
飛び乗ってきた素顔の私を、アンは目を丸くして見ている。
「一体なにが……」
「話しは後よ! 出発して!」
私の剣幕に、アンは馬車を出すよう御者に指示を飛ばす。
すぐに発進した馬車に胸をなで下ろし、私は後ろを振り返った。
外玄関に立つメイド達が、呆然とこちらを見ているのがみえた。
何事かと駆けつけた従者達の姿もあったが、その中にデイモンの姿はない。
追いかけてこない彼にほっとすると同時に、無性に寂しい気持ちにもなる。
混乱の涙が出てくる。
「ミレイユ様、一体なにがあったのです?」
アンがハンカチを出しながら聞いてくる。
「それが……私もなにがなんだが……」
私は握りしめてきた契約書を車内に放り投げると、アンに涙を拭いてもらながら言う。
「執務室で……離婚書にサインして……その後、デイモンが仮面を取ったのよ。そしたら……」
突如、馬車が大きく揺れたかと思ったら急に停車して、私は体勢を崩した。
とっさにアンが受け止めてくれて、大事には至らずに済む。
「どうしたの!?」
アンが馬車の中から御者に向かって叫ぶ。
外から聞こえてきたのは御者の戸惑った声だった。
「そ、それが……無理に馬を横づけされまして……」
「横づけ?」
アンが言いながら窓から外を見ると、馬に乗り、馬車をのぞくようにしてこちらを見ている男がいた。
私もアンにつられてその男に顔を向けて――目を見開く。
アンが馬上の男に向かって憎々しげに言った。
「その馬具の家紋――デイモン・エジャートン大公様ですね?」
そう――そこにいたのは素顔のデイモンだった。彼はマントも着ず、髪を乱し、単騎で手綱を握っていた。
彼は返事をせず、視線を――アンではなく私に向けて言う。
「ミレイユ、話がある」
「ミレイユ様にはございません。お引き取り下さい」
「ミレイユ」
「お止め下さい。あなた様とミレイユ様はつい先程離婚されたのです。もうこんな風に話しかけてはなりません」
アンが頑なに拒否する。
デイモンは舌打ちをすると馬から下り、馬車の扉に手をかける。
アンがとっさに扉を押さえようとするが間に合わず、開かれてしまう。
「ミレイユ……いや、レイナ」
私は彼の呼びかけにぎゅっと胸を押さえた。
――愛しい名が口をつく。
「ダン……」
デイモンは一瞬息を飲み――強い視線を送ってきた。
その目には――私が怖れていた侮蔑や怒りはなかった。
彼が腕を伸ばしてくる。
私も手を出そうとしたところで――。
バチン!!!!
大きな火花が散ったかと思うと、デイモンが馬車の外へと弾き飛ばされた。
私ははっと視線を下げた。
馬車の床――私が放った離婚契約書が光りを発している。
地面に倒れたデイモンが、起き上がりながら忌々しげに言う。
「ドナシーの契約書……実行・遵守の効力か」
彼の言葉に、私は離婚条項を思い出す。
『双方は、二度と顔を合わせることはない』
『原則として――……
ミレイユ・タウンゼントはデイモン・エジャートンのいるアーガスタ王国に入国しない』
――今のこの状態は……契約違反だわ。
馬車の扉が勝手に閉まる。
次の瞬間、ガタンと馬車が猛スピードで走り出した。
まるで――私をこの国から追い出すかのように。
「ミレイユ様!」
床に転がりそうになる私を、アンが抱きとめる。
御者の悲鳴があがる。
「ひいい! なんだ、馬が勝手に走りだしたぞ?! 制御が利かない!」
激しく揺れる車内でアンに支えられながら、私は無我夢中で窓から顔を出す。
「ミレイユ!!!」
デイモンが叫びながら、必死に馬で追いかけて来るのが見えた。
しかしドナシーの効力のためか、馬車のほうが何倍も早い。
あっという間に彼の姿は見えなくなる。
私は開かない扉を必死に叩いて叫んだ。
「ダン! ダン! デイモン!!」
「ミレイユ様! いけません、手から血が出ています!」
アンが私の腕をとる。それでも私は狂ったように暴れ――。
体力を使い果たし、気絶するように倒れて。
夜を迎える頃――馬車はバラッタイン王国へ到着した。




