18話【プロポーズ】
アンに歌を歌ってもらってから三日後――。
すぐにダンに謝りに行きたかったが、なんて言ったらいいかわからず、この三日間ずっと悩んでいたのだが。
「いつまでもうじうじと鬱陶しい! しなければならないことがあるのでしょう? さっさと片付けてきなさい!」
と、恐ろしく察しのいいアンが切れてしまい、自室のベッドから放り出されてしまった。
日が暮れかけた王都の通りを歩く。
日中の喧噪が引き、夜の賑わいに入る少し前。この時間帯は、ふっと人通りが少なくなる。
――ダンに会うなら、イルジャンのお店よね。
そう思って、お店への道を歩いていたのだが……。
――うーん、やっぱり尾けられているわね。
これまでにもこういうことはあった。
お店で演奏している私を見初めたと言って、私の周りをウロウロする連中がいるのだ。
たいていはイルジャンが追い払ってくれている。
このままお店についてくるようなら、今回もイルジャンに頼んで……と思っていたら――。
――一人じゃないわね。
ハミングで音圧を飛ばして「探査」すると、三つほどの気配がつかず離れず、私の前後にあった。
今日は使う予定がなかったが、一応携えてきたリュートをギュッと抱える。
一人ならまだしも、三人の男に力尽くで路地にでも連れ込まれたら……。
リュートで攻撃する間もないかもしれない。
――だ、大丈夫よ。人通りが少ないとはいえ、全くいないわけじゃないし。
いざとなったら大声をあげて……そんなことを思っていたら焦って早足になり――。
「きゃっ」
石に躓いて転んでしまう。
そこで急に肩を掴まれた。
私は悲鳴をあげて起き上がろうとしたが、お腹に手を回され口を押さえられる。
「ふ……ふごっ、ふぉおお!」
それでも何とか声を出して助けを呼ぼうとしたところで、耳元で馴染みのある声がした。
「暴れるな、レイナ。俺だ、ダンだ」
ぴたっと私は動くのを止める。
そっと頭上をみると、そこには確かにダンがいた。
いきなり現れた彼に、心の準備が整わず固まってしまう。
ダンは――私が大人しくなったので拘束を解いた。
「驚かせて悪かったよ。でも……そんなにびくびくしてどうしたんだ?」
彼は――先日の告白などなかったかのように自然体で「借金取りにでも追われているのか」と聞いてきた。
うろたえていた心がかっと勢いを取り戻す。
「そんなわけないでしょ! 借りるほど困ってません!」
「じゃあ、どうした?」
「誰かに尾行されてる気がして……」
私が眉を下げていうと、ダンは鋭い目つきになって周囲をうかがう。
それから何か思い当たるような顔をして小さく呟いた。
「尾行は……レイナに危険が及ぶ類いのものではない……が、まあ、気分は良くないよな……うん」
「ダン? 聞こえないわ。なんて言ったの?」
「ああいや……大したことじゃない。ん? レイナ、怪我してるじゃないか」
ダンはかがんで私の足首に手を当てた。
さっき転んだときに擦りむいたようだ。
心配してくる彼に言う。
「これくらい大丈夫よ。イルジャンのお店で塗り薬をもらって……」
「こういうのは捻挫してることもある。動かさず早めに湿布をするべきだ」
そう言うと、彼は私を抱き上げた。
――ええっ!?
突然横抱きにされた私は慌てる。
「ダ、ダン? ちょっと下ろして!」
「下ろさない。すぐ近くに知り合いの宿屋がある。そこで治療させてもらおう」
彼は私の言うことには耳を貸さず、抱っこしたまま歩き始めた。
「は、恥ずかしかった~~~」
足首に湿布を貼って包帯で固定してもらった私は、客室で一人になるや――赤面していた。
抱っこされて大通りを抜けてきたのを思い出し、羞恥で身もだえる。
「まあ、こうして手当してもらって助かったけど……」
痛みの出てきた足首を見る。
ダンの見立て通り、ただの擦り傷ではなく軽く捻っていたようで、さきほどから腫れてきていた。
ダンの知り合いの宿屋とは、以前彼が出てくるのを目撃したあの宿だった。
宿に着くなり、ダンは受付にいた女性に「女将、二階を借りる」とだけ言って、階段をあがるとさっさと客室に入り込んだ。
それからどこからか救急箱を借りてくると、私をベッドに座らせてテキパキと治療をしてくれたのである。
「ちょっと待ってろ」と言って彼が出て行ったのがついさっき。
私は静かな部屋で冷静さを取り戻す。
――予想外続きでそれどころじゃなかったけど……ダンに会えたことだし、彼が戻ってきたらちゃんと謝ろう。
当初の目的を果たすべく拳を握る。
――それから、今度はちゃんと言葉を尽くして、交際のお断りをして……この恋心に終止符を打つの。
コンコンコン。
ノックがして「入るぞ?」というダンの声がする。
「ええ、どうぞ」
入ってきた彼は、グラスが二つ乗ったトレーを持っていた。
「ほら」
手渡されたグラスからはほのかに桃の匂いがした。果実水だった。
私はお礼を言って受け取る。
ダンもグラスを片手に取ると、ベッドに座る私の横に腰を下ろした。
――よし、今よ。
ダンに謝ろうとして――。
「レイナ」
先に彼に呼びかけられた。
「その……昨日は悪かったな。突然あんなこと言われて、困っちまったよな」
彼はもう一度「悪かった」と言った。
「な……なんでダンが謝るの? むしろ謝るのは私でしょ」
私はグラスをサイドテーブルに置くと、彼のほうに向き合った。
「突っぱねるように断って、逃げるようにお店を出てきちゃって……本当にごめんなさい。あんな態度、あなたに失礼だったわ」
私が頭を下げると、ダンもグラスをテーブルに置いた。
「気にしてない。顔をあげてくれ」
姿勢を戻すと、彼は真剣な表情でこちらを見ていた。
私は意を決して口を開いた。
「あのね、私、婚約者がいたの」
ダンは驚いた様子もなく頷いた。
「ああ……お前が胸につけてる指輪を見た時、そうなんだろうなと思った。それ、婚約指輪だろう?」
――そう、彼は気づいていたのね。
それなら話は早い。
「私の婚約者は……私のために――私との未来を守るために戦地に行ったわ。そこで敵に討たれたの」
ダンは私の話にじっと耳を傾けている。
「私は……私のために戦って死んだ彼を忘れることはできない。忘れては……いけない」
真っ直ぐにダンを見て言った。
「だから、あなたとはおつき合いできないわ。ごめんなさい、ダン」
彼は憂いを帯びた目をした。
「死んだ者を諦めきれない気持ちは――わかる。俺も妹のことは……忘れられない」
――そうだわ……。彼も妹さんを亡くしてたわ。
セルゲトン村への行きの馬車の中で彼が――サラが死んだ妹に似ていると言っていたのを思い出す。
「長い戦争だった。いまだ死んだ者を想い、悲しみに囚われている奴は多い。でもそいつらとお前は違う」
真剣な低い声が部屋に響く。
「お前は自分の意志でいつだって前へ進んでいる。そして、お前のそのエネルギーは周りの人間をも前進させてくれるんだ」
「私はそんなすごい人間じゃないわ」
俯く私に、彼は言う。
「いいや、お前はすごいよ。酒場じゃ来るときにはしょげてた連中も、帰るときにはお前の音楽で元気になってる」
ダンはベッドに置いてあるリュートを見た。
「サラもこいつが弾けるようになって笑顔が増えた」
そっとダンは私の手を握る。
「それに――俺はお前に救われた」
彼の言葉に私は瞬きを繰り返す。
「私に……救われた?」
「ああ。俺は妹を失った悲しみのあまり、人としての温かさをなくしていた」
でも、と彼は続ける。
「レイナのリュートを聞いて、お前の熱意とか明るさに触れて――俺は妹と過ごした温かい気持ちを思い出せたんだ」
真摯な視線が私を離さない。
「それから、政務官になれって言ってくれたことも嬉しかった。迷ってたことが、前向きに捉えられるようになった」
ダンの私の手を握る力が強くなる。
「お前なら婚約者を失った悲しみを乗り越えられる」
私は自然と彼の顔を見つめていた。
「俺と幸せな未来を掴もう。俺をお前の愛と音楽で満たしてくれないか」
彼は一度言葉を切って、立ち上がると、私の前に回った。
そして跪く。
「レイナ、俺と結婚してほしい」
私は全身が歓喜するのを感じた。
ああ――私、彼が好き。
考えるより早く頷こうとした時――。
コンコンコン。
部屋にノックが響く。
ダンが舌打ちして応対する。
彼は扉を半開きにして従業員らしき人と会話をすると、こちらを振り返った。
「下で面倒事が起きたらしい。仲裁に行ってくる。ここで待っててくれ」
私が頷くのを待って、彼は扉を閉めて出て行った。
どうやら、ダンはこの宿の用心棒のようなことをしているようだ。
すぐに階下ががやがやしだした。それから、どんっという音ともに今度は外が騒がしくなる。
部屋の窓から外をのぞくと、ダンが酔っ払い男二人相手にやりあっていた。
――なるほど、彼らが「面倒事」ね。
ダンと男二人の実力差は目にも明らかで、ダンはもはや剣を抜く必要はないとばかりに素手で戦っている。
――やっぱりダンは強いわね。
それに動きが綺麗だ。
洗練された戦い方は、傭兵というより騎士団といったほうがしっくりくる。
彼の姿を目で追っていると、ふと視界の端に見覚えのある顔が入る。
――あの大柄な男……ダロス!?
思いもかけない人物に、私は目を見開いた。




