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最愛は、顔も知らずに離婚した敵国の夫・妻です。  作者: Sor
第一章

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17話【諦めたくないと諦めなきゃ】

俺は執務室で書類の山をぼんやりと眺めていた。



朝から止まりがちなペンを、それでもなんとか走らせていたのだが、先程のダロスの一言で完全に手が止まってしまった。



補佐のテーブルで書類を整えながら、彼が放った一言。



「そういえばレイナ嬢の身元調査の件ですが、難航しておりまして……」



セルゲトン村から戻った際に、ダロスに命じておいた調査だった。



報告を続けようとする彼を、俺はきつい口調で制した。



「その件はもういい! 調査は中止だ。……すまないがしばらく一人にしてくれ」



ダロスは俺の様子に一瞬驚いた顔をしたが、一礼すると静かに出て行ってくれた。



彼に悪いと思ったが、今日のところは勘弁して欲しい。



「振られちまったな」



一人になった執務室で呟く。



「あいつ……婚約者がいたんだな」



昨夜、食堂で水を被ったレイナに慌てて駆け寄って――その首にチェーンを見つけた。



その先に通してあったあの指輪は。



特別な指輪だと主張するために、あえて装飾はしないシンプルな土台。



その土台の真ん中に「純粋」を表すセダンテの宝石が一つ。



――貴族が贈る伝統的な婚約指輪だった。



「やっぱりレイナは貴族だったんだな」



そして他の男の女だった。



「男がいるならそう言っておいてくれよ。そりゃ、聞かなかった俺も悪いが……」



――ちゃんと見えるところに指輪をしてろよな。



あれじゃあ気づけるものも気づけないだろ――と腹を立てかけて……ふと疑問がわく。



「あいつ、なんで服の下になんかに着けてたんだ?」



レイナ以外の女がそんなことをしていたのなら――婚約を隠して男遊びをしたいんだろうと考えるが……。



「レイナはそんな女じゃない」



恋愛よりも音楽に夢中で、手を繋いだだけで真っ赤になるような純情なやつだ。



そんな女が男遊びをするとは思えない。



――じゃあ、どんな理由があるっていうんだ?



食堂から走り去る彼女の顔を思い出す。



俺の告白に首筋まで赤く染めて恥ずかしそうにしていたのに、あの指輪を目にした途端、顔色が変わった。



――あれは隠し事がバレて焦ったというより……。



「何か……悲しい出来事を思い出したという表情だったな」



そう、レイナは指輪を見て一瞬泣きそうな顔をした。



「婚約者と上手くいってないのか?」



婚約相手は思い出すだけで泣き出しそうになるくらい――嫌な奴なのだろうか。



もしくは――。



「もう別れているとか……」



レイナが相手に未練があり、まだ想い続けていてあんな表情をしたのかもしれない。



そういうことなら、ああして指輪を目につかないようにしていたことにも説明がつく。



落ち込んでいた気持ちがわずかに浮上する。



レイナが望んでる婚約なら身を引くが――泣きたくなるくらい嫌なら、遠慮する必要はないのではないか。




ましてや相手と別れてるなら――例えレイナが今はその男が忘れられないのだとしても、これから俺を好きになってもらえばいいのだ。




考えれば考えるほどに、俺の傷ついた恋心がむくむくと復活する。



「もう一度、レイナに会おう。そして彼女の事情を確かめて――俺の気持ちをもっと丁寧に伝えるんだ」



簡単には諦められない。

諦めたくない。



何しろ、生まれて初めて本気になった女だ。



俺は急いでダロスを呼び戻すと、レイナの身元調査の続行と、彼女の婚約者についても追加で調べるよう指示を出した。



「了解いたしましたが……」



ダロスは批難する目で俺を見た。



「デイモン様、既婚者である自覚はおありですよね?」



彼の言いたいことを理解して、目を逸らす。



確かに、結婚している身で、妻でない女にうつつをぬかすなんて褒められたものではないだろう。



しかし。



「その既婚者も、あと半月で終わりだ」



俺はダロスに言い聞かせる。



「安心しろ。あとから騒がれるような不貞行為はしないさ。離婚するまではレイナには手は出さない」



だから。



「彼女を調べるくらいはいいだろう?」



ダロスは肩をすくめた。









・・・・・・・


今は何時だろう。



私はうっすらと目を開けると、ベッドに横たわったまま窓を見る。



カーテンごしに感じる日差しは、もう大分強く、午後に差しかかろうとしているのだと感じた。



――いつもならこんな大寝坊、アンは絶対許さないのに。



昨夜、余程ひどい顔をして帰って来たのだろう。



アンは私を一目見るなり、さっとお風呂を用意し、ぱっと私の寝支度を整えると「まずはお眠り下さい」と部屋を出て行った。




彼女は私になにも聞かなかった。そんな風に気遣ってくれた様子から考えるに、今日は私が起きだしてくるまで放っておいてくれるつもりなのだろう。




私は起き抜けの――ぼんやりとしたまま天井を眺める。



昨夜はなかなか寝つけず、結局眠ったのは明け方。



それもうつらうつらとしただけで――ダンの顔が頭から離れなかった。



――まさか、ダンが私のことを好きだったなんて。



ミシェルさんやサラの言っていたことは本当だったらしい。



昨夜の彼の優しい眼差しや、情熱的な口調を思い出す。



甘やかな気持ちになる反面――自分は彼の手を取ることはできないと思う。



――私だけ幸せになんてなれない。



婚約者だったレナート。



彼に対して恋愛感情はなかったが、大事な幼なじみで、結婚すれば自然と愛情を育めると信じていた。



だが、彼は死んでしまった。



私のために参戦した戦争で命を落とした。



最期まで私を想ってくれていただろう彼を――私は裏切ることはできない。



「そう、ダンを受け入れることはレナートへの背信だわ」



それに、そもそも私は既婚者だ。



「ダンとつき合うなんて、夢のまた夢の話なのよ」



ぽつりと言うと、どうしようもなく苦しくなった。



思わずぎゅっと胸元を握ると、涙が一筋流れた。



――なんで、私こんな……寂しい気持ちに?



ここで私は唐突に理解した。



――私、ダンとつきあいたいと思ってるんだわ。



はらり、はらりと涙がこぼれる。



――彼を好きになりかけてる。



ダメだ。



この気持ちは育ててはいけない。



レナートへの罪悪感は一生消えないだろう。



それにダンとつきあったところで――。



「半月後にはさよならをしなくてはならないわ」



私はもう少しで離婚をし、この国から去ることが契約書に定められている。



「どうにもならないのよ」



花が咲かないのなら育てても意味がない。



ううっと声を出しながら、涙を流していると――。





「ミレイユ様、起きてらっしゃいますか?」



ドアの向こうからアンの不安そうな声がした。



この時間になっても下りてこない私を心配して上がってきたのだろう。



私は応えようとするが、涙で上手く言葉が出ない。



「ア……アン……うっ」


「ミレイユ様!?」



扉越しの情けない返事に、アンが部屋に飛び込んできた。



彼女は私の涙を見るなり、ベッドまで走り寄る。



「どうしました、ミレイユ様? お加減でも悪いのですか?」



慌てるアンに、私は首を横に振る。



「違うの……な、涙が止まらなくて」



私は胸を押さえて目をぎゅっと瞑るが、嗚咽は一向におさまらない。



私の様子を見てアンは――黙って私の背中をさすってくれる。



私達はしばらく無言でそうしていたが、やがて、アンが歌を歌い始めた。



それは恋の歌だった。

初恋は叶わない、だから美しいのだという歌。



「ひくっ、な、なんでっ……」



――この曲を歌うの?



まるで昨夜の私を見てきたかのような選曲に思わず声が出る。



アンは一度歌うのを止めると、優しく笑った。



「女がこういう風に泣くときは恋の悩みと決まってるんです」



それからアンは再び歌い出す。



彼女の低めの声は、私に染み入ってきた。



――ああ、そうね。これは私の初恋。



ダンの顔を思い浮かべ、甘く疼く胸に手をやる。



歌は終盤に差しかかり、恋する乙女は相手の男に別れを告げる。



吹っ切れたようにメロディは高音へ駆け上がる。



恋破れたその歌は決して悲しいものではなかった。



――私……こんなぐちゃぐちゃした気持ちのままこの国を去りたくない。



この初恋にちゃんと気持ちの整理をつけて終わらせよう。



思えば、昨夜は――ダンの真摯な告白を一方的に振り払い、逃げ出してきてしまった。



あの態度はなかったと思う。



――どれほど彼を傷つけたか。



まずは彼に会ってきちんと昨夜の失礼を謝ろう。



そして、レナートの話をしてちゃんとお断りしてこよう。



ダンを好きになりかけていることは――彼には伝えない。



言ってしまえば、自分の気持ちを抑えられなくなる予感があった。



諦めなきゃいけない恋なのだ。



アンの歌声を聞きながら、私は心を決めた。

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