12話【まさかの同行者】
空中ジャンプを誰に見咎められることもなく、私は無事馬車の出発前に到着することができた。
セルゲトン村行きと書かれた札が立つ乗り場のほうへ歩きかけて――意外な顔を見つけて固まった。
「よお、レイナ」
ぶっきらぼうな物言いで挨拶してきたのは――。
「お、おはよう、ダン」
予想外の人物に挨拶がどもってしまう。
――ダンもどこかへ出かけるのかしら。
彼は旅装に身をつつみ、明らかに旅慣れてる感じがした。
――こういう人と一緒に旅ができたら、頼もしいわよね。
そう思うのは私だけではないようで、他の乗り場で馬車待ちしている女性達が、ちらちらダンのことを見ていた。
――まあ、頼もしいってだけでなく、うっとりした目線も……あるか。
世間一般の基準から見て、ダンはイケメンの部類だ。惹かれる女性は多いだろう。
――まあ、私にとってはただただ意地悪な剣士だけど。
それでも知らない仲ではないので、行き先くらいは尋ねてみるかと口を開く。
「あなたはどこへ行くの?」
「セルゲトン村だな」
「えっ。私と同じだわ」
「まあそうだろうな。俺はお前の護衛だから」
「え、護衛? 頼んでないけど?」
私が慌てて言うと、彼は腕を組んで言う。
「ミシェルばあさんから頼またんだよ。大事なフレジコにもしものことがあったら大変だってな」
――聞いてない。
私は心の中で唸る。
ミシェルさんといい、サラといい、ナンシーさんといい――どうも私は北町の住人から、少し頼りないと思われている節がある。
気づけば彼女達が先回りしていて、私の世話を焼いている――という状況は一度や二度ではなかった。
――まあ……カークに暴行されそうになったのが北町デビューだったし、そう思われても仕方ないんだけど……。
二十二歳の立派な成人の身としては思うところがある扱いだ。
しかしミシェルさんの心配してくれる気持ちはありがたい。
私はダンに頷いた。
「そう。じゃあよろしくお願いするわ」
二人でセルゲトン村行きの乗り場に行くと、ほどなくして馬車が来た。
乗り込むと、揺れの少なそうな後部に座る。彼も私の横に腰を下ろした。
私達の他にお客さんは、五歳くらいの男の子とそのお母さん、中年のおばさん、眼鏡をかけたお爺さんの四人だった。
早朝の静まり返る王都を、六人を乗せた馬車が出発した。
日が高くなってきたところで、私は旅行鞄を引き寄せた。
ダンは変わらず私の横に座り、腕を組んで目を閉じている。
鞄を開けて、中に入っているリュートを取り出す。
気をつけて運んできたつもりだったが、やはり弦が緩んでいた。元の音に戻すため調弦を始める。
すると、男の子が私の方に寄ってきた。
「うわあ、リュートだ! お姉ちゃん弾いて、弾いて」
可愛らしくお強請りをされ、私はにっこり頷く。
そこにお母さんが来て、息子を止める。
「ダメよ。――ごめんなさいね、お姉さん。うちはフレジコに払うお金がなくて……」
断りかける母親に、私は両手を振った。
「ここで乗り合わせたのも縁ですから、お代は結構です。好きにリクエストしてもらっていいですよ」
私の言葉にほっとした母親は元の席に戻っていく。
「僕、何の曲がいいのかな?」
「ええと、お猿さんが踊る曲。ウッキキーってやつ!」
「ああ、あれね! 楽しい曲だよね」
私は手早く調弦を終えると、少しアレンジを加えながらお猿さんの曲を弾く。
男の子は嬉しそうに身体を揺らして聞いてくれた。
「フレジコのお嬢さん、わしもいいかい。『サラサーナの川の流れ』をお願いしたいんだが」
眼鏡の老人が言う。
私は快く頷いて、ゆったりとした旋律を奏でる。弾き終わると、次は中年のおばさんから声がかかり、また男の子が頼みにくる。
暖かい日差しの中、のどかな田舎道にリュートの音が響き渡る。
リクエストが途切れたところで、私は一息ついて楽器を置いた。
ふと横――ダンがいるほうから視線を感じた。
――あ、そういえばダンは音楽嫌いだった!
長々と曲を聞かされて怒っているのかもしれない。
恐々と隣を見ると――意外なことに彼は和やかな表情をしていた。
「俺も一つ、弾いてもらいたい曲があるんだがいいか?」
まさかのリクエストに驚くが、すぐに快諾する。
「もちろんよ。何の曲?」
彼は誰もが知る子守歌を頼んできた。
――うわあ、意外。
そう思ったが顔には出さず、心を込めて弾く。
彼は何かを思い出すような顔で一曲聴き終えると穏やかな顔で「ありがとう」と言った。
――な、なんか今日のダン、変じゃない?
いつも私にはツンケンしてて、音楽はうるさいって言う人なのに……。今横にいる彼はずいぶんと和やかな雰囲気だ。
彼はおもむろに言った。
「俺は音楽を信用していない」
――でーすーよーねー。
ダンはやっぱりダンだった。
そうそう、それがいつものあなた。
ナイフのような尖った物言い。音楽を目の敵にしてるような発言。
うんうんと頷いていると、再び彼が口を開いた。
「でも、レイナのリュートは信じられる気がする」
――????
私がばっとダンを見ると、彼は咳払いを一つして続けた。
「俺がカークにお灸を据えた時のこと覚えているか? その……俺がお前に言ったことなんだが……」
「ええと、音楽なんかより男に身体を売ったほうが稼げそうだ……ってやつ?」
「う……そ、それだ」
ダンは背筋を伸ばすと頭を下げてきた。
「ちょっとお前のことを誤解してて――あれは言い過ぎた。酷いことを言ってすまなかった」
他の乗客からの視線が私達に集まる。
強そうな剣士が、吹けば飛ぶようなフレジコに頭を下げてるのだ。何事かと思うのは当然だろう。
「ちょ、ちょっとダン、顔を上げて。みんな見てるわ」
小声でそう言うが、彼は耳を貸さない。さらに頭を低くして続ける。
「お前は本当の音楽好きで――真のフレジコだ。戦場のまがい者たちと一緒にして悪かった」
周囲の視線がより集中してくる。
「わかった、わかったから! もう謝らないで」
「許してくれるか」
「許すわ。許すから顔を上げて、お願いっ」
ダンはやっと腰を伸ばし――同時に、こちらに向いていた視線が消える。
私が胸をなで下ろすと、なぜかダンもほっと息をついた。
「ふう。ようやくこれで、サラからせっつかれなくてよくなる」
「サラ? サラがどうかしたの?」
「ああ、いや……」
彼が仏頂面で言う。
「サラに会う度にだな、この件に対してお前に謝れって、すごく怒られていたんだ……」
「ふふふ」
私は思わず笑った。
「ダンって気に入らなければ大男だってぶっ飛ばしちゃうのに――小さな女の子には弱いのね」
「サラは俺の死んだ妹に……ちょっと似てるんだ。だから強く出られないというか……」
もごもごと言う彼がおかしくて、さらに笑ってしまう。
「じゃあ、あなたが謝ってくれたのはサラのおかげなのね」
「いや、サラに言われたからじゃないぞ。謝罪は俺の本心だ」
ダンは慌てたように言う。
「お前の音を聞いて『癒やし』ってやつを実感した。音楽も悪くないと――生まれて初めて思ったんだ。感謝してる」
私はポカンとしてから……じわじわと顔を熱くなるのを感じた。
――嬉しくて泣いちゃいそう。
「おい、どうして涙をためるんだ?! 俺はまた傷つけることを言ったのか?」
焦るダンに、私は首を横に振る。
「違うの」
相棒のリュートを手に取って言う。
「私ね、フレジコになるまで……家族からリュートを大反対されてたの。周囲からも批判的な目でみられてね」
ポロンと弦を弾く。
「どんなに努力しても、彼らは私を受け入れてはくれなかった。でも――」
「ダンにそんな風に言われたら――音楽で頑張ってきた自分が認められたみたいで……」
胸がいっぱいになり、言葉につまる。
弦を弾いた手に、ダンの手が重なる。
「俺は好きなことを諦めないお前の生き方は格好良いと思う」
彼はまっすぐに私を見て言った。
「お前が自由に好きなことをしている姿は生き生きとしてていい」
そんなことを言われたのは初めてだった。
音楽に理解があった婚約者のレナートでさえ――私の生き方を肯定するようなことは言ってくれなかったのに。
私は嬉しくて嬉しくて泣いた。
ダンは――今度は慌てることなく、重ねた手で、一回り小さい私の手を優しく包んでくれた。
カラカラと車輪が音をたて、風が頬を撫でていく。
日がだいぶ傾いた頃、馬車は目的地のセルゲトン村に着いた。




