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最愛は、顔も知らずに離婚した敵国の夫・妻です。  作者: Sor
第一章

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11話【リュート演奏のプレゼント】

「レイナおねえちゃん、今日もリュートを教えてくれてありがとう!」



サラの元気な声に、私は笑顔で答えた。



「どういたしまして」


「レイナさん、どうぞお茶を飲んでいって」



サラのお母さん――ナンシーさんからのお誘いをありがたく受けることにする。



母娘二人がお茶の支度をしている間、私はキッチンの椅子に座り、窓からぼんやりと青空を眺めた。



デイモンと離婚条項を決めたあと、私はこの国の子供達の音楽教育について考えた。



本当は平民の子供でも通える音楽学校のようなものをつくりたいと思っていたが、あと三ヶ月でこの国を出る私にそんな時間はない。



それなら――せめてサラにリュートを教えてあげようと決めたのだ。




レッスンを初めてから一ヶ月。



サラの飲み込みは早い。この分なら私がいなくなるまでに基本は全て伝授できそうだった。



――明日は音階の復習をして、新しい曲に入ろう。それから……。



今後のレッスン予定を練っていると、お茶の用意ができたと声をかけられる。



一口飲んでほっと息をつく。



私のいた公爵家や大公家でアンが用意してくれるお茶とは、比べものにならない

品質だが――丁寧に心を込めて淹れられたお茶はとても美味しいと思った。



カップを手に三人でお喋りをしていると、戸口がノックされた。



「あら、誰かしら」



ナンシーさんが立ち上がり、戸を開けると――。




「ええっ、ダン?」



開け放たれた戸の向こうに彼の姿が見えて、私は驚いた声をあげた。



「なんであなたがここに?」



目を丸くして尋ねると、彼は頭を掻く。



「この婆さんが大通りをよたよたと歩いていてな。つい手を貸したら――サラの家まで連れて行けって言うんで手を引いてきたんだ」



ダンが言い終わるなり、「この婆さん」が後ろからずいっと出てきた。



「あ! ミシェルおばあちゃん!」



サラがキッチンから飛び出して戸口へ行く。


「どうしたの? いつもこっちまでお出かけなんてしないのに」



「そこのフレジコに頼みがあってね」


「わ、私?」



驚いてお婆さんを見る。



――あらこの方、前にサラに連れられてリュートを聞きに来ていた人だわ。



「昨日、サラがこの時間にリュートを教えてもらうんだって言ってたから、会いにきたんだよ」



「ええと……」



一体どんな頼み事なのだろう。

私が戸惑っていると、ナンシーさんが戸口に立つ二人に言った。



「おばあちゃん、まずは入って腰掛けてちょうだい。そこの剣士さんもどうぞ」



ナンシーさんはさっさと二人分のカップを出し、お茶を用意し出す。



ミシェルさんはサラに案内されて一人掛けのソファに座る。



ダンは……かなり躊躇していたが、サラがしつこく誘うので根負けしてキッチンに腰を落ち着けた。



いつの間に仲良くなったのだろう。年の離れた兄妹のように親しげな様子だ。



――子供が好きみたいね。



ダンの意外な面を見て、私は口角を上げた。



ミシェルさんがカップに口をつけてからゆっくりと話し出す。




「王都から少し離れた村に、私の孫がいてね。今年十八歳になるんだけど、二週間後に結婚するんだ」



「まあ、それはおめでとうございます」

ナンシーさんがお祝いの言葉を述べる。



「ありがとうよ。それでね、あたしはこの通り足が悪くて式にはでられないんだが――孫のためになにかしてやりたくてね」



うんうんとナンシーさんが頷く。




「服や小物を贈ってやろうかと思ったんだけど、若い娘の好みがわからない。家具の類いは部屋が狭くなるって断られちまった。それであたしは考えた」




ミシェルさんが私を見る。



「ここは一つ、王都の住人らしく洒落たものを贈ってやろうじゃないかと。――リュートの演奏をプレゼントしてやりたいと思うんだ」









・・・・・・・


「それで――その演奏依頼を受けてきたんですか?」



アンが呆れた顔で確認してきた。



すっかり寝支度を整えた私は――自室でアンに最後のブラッシングをしてもらいつつ、今日あったことを話しているところだった。



「うん。どうしてもお願いって頼まれちゃって」



「引き受けてきたのなら仕方ありませんが……二週間後ですか。そのお孫さんのいる村はどの辺りなんですか?」



「それが、馬車でまる一日かかるところみたいなの」



「まあ、そうすると数泊の泊まりがけになるじゃないですか!」



そう、行きに一日、翌日結婚式の演奏をして、帰りにもう一日。全部で二泊三日の行程なのだ。



険しい表情でアンが言う。



「この離れもミレイユ様も、大公家から放って置かれてるとはいえ……勝手に何日も留守にするのはマズいですよ」



平民街にいくのとはレベルが違います、と厳しい口調で言われる。



――そうよね……。



冷め切った夫婦、疎まれてる女主人とはいえ――私は大公家夫人なのだ。黙って家を空けるわけにはいかない。



「ちゃんと事情を話して外出許可をもらうしかないかしら……」



「なんて説明するんですか?」



アンがじろっと私を見る。



「実は平民街でフレジコをやっていて、頼まれたんで村まで演奏しにいくんです――と? 問題ありすぎで地下牢に幽閉されかねませんよ」



「う……」



わかってる。わかってるのだ。

この依頼を実行するには、大公家からの外出許可が必須で、それがいかに難しいことか――。



それでも、ミシェルさんのお孫さんへの想いを無碍にすることはできなかった。



「どうしたらいいかしら、アン」


「どうもこうも、できないことはできませんよ」


「約束してきちゃったのよ、なんとか考えて!」


「無理なものは無理です!」



私とアンがわあわあ騒ぎながら夜は更けて。




その後も良い案がみつからないまま日にちが過ぎて。




とうとう村へ出発する当日早朝――。







「うう~、明け方前は冷えるわね」



もうすぐ夏を迎えようというのに――。


大陸の北に位置するアーガスタ、その中でも北部にあたるこの王都カサドラの朝晩は、震える寒さだった。


旅行鞄を置いた足元からは震えるような冷気があがってくる。



仮面のおかげで顔に冷たい空気があたることはないが、指先がかじかんできた。



私は今出てきたばかりのベランダを見上げてから、一階のアンの寝室に向かって拝んだ。



「本当~~にごめんね、アン!」




大公家に認めてもらえる外出理由が全く思いつかなかったため――三日前にアンから演奏依頼を断ってくるよう言われた。



私はしぶしぶミシェルさんの家まで行ったのだが――言い出せなかった。



追いつめられた私は今、強硬手段に出ている。



大公家に黙ったまま、結婚式が行われる村へ出発してしまうことにしたのだ。




「大公家にバレた時はバレた時よ! 幽閉でもなんでも好きにしたらいいわ!」



アンに言えば止められるのは目に見えている。



だから彼女には知らせず、こうして――ベランダからひっそりと出立することにしたのだ。



書き置きはしてきた。


戻った時にアンの説教を受ける覚悟もある。



「本当にごめんね」



もう一度彼女の顔を浮かべて謝ってから「さて」と私は頭を切り替える。



村行きの乗合馬車は平民街から出ていて、夜が明けてすぐの出発だと聞いていた。あまり時間がない。



徒歩では間に合わないかもしれない。



そうなると最短ルートの「空」――空中ジャンプで行くべきだ。



こんな時間、空を見上げている王都民などいないだろう。



ハミングをするため仮面を取ろうとしたころで――。



「ミレイユ様」



聞き慣れない男性の声がして、私は飛び上がった!



「だ、誰?」



振り返ると――大柄な男が立っていた。きちんと着込んだ服装からして大公家の人間であることがわかる。



――まだ仮面をしてて良かった!



私は安堵しつつ、男の顔を改めて見つめてあらっと思う。



「あなた――ダロスだったかしら」


「左様にございます」



結婚式と先日の離婚の打ち合わせに立ち会った家令だった。



「ええと、こんな時間にこんなところで何をしているの?」



人のことは言えないが、まともな人間が外をウロウロする時間ではない。



「今、出勤してきたところでございます。私の自宅からは、大公家の裏門から入りここを通り抜けていくのが一番の近道なのです」



「出勤……。ずいぶんと早いのね」



「妻が宿屋を経営しているのですが、この時間に仕事を始めますので、私もそれに倣っております」



「そう」



――「妻が宿屋を経営」ってことは、奥方は平民よね?



どうみてもダロスは貴族だ。それが平民と結婚しているとは……。



――みかけによらず変わり者なのかも。



「ところで、ミレイユ様はどちらにお出かけでしょう。こんな朝早くに?」



「私は……早朝の散歩よ」



聞かれたくない質問が出て、思わず嘘をついてしまう。



ダロスが私の足元の旅行鞄に目をやった。



――散歩でこの大荷物はおかしいわよね!



明らかに外泊しますといってるこの鞄を、なんて誤魔化そうか焦っていると、ダロスがくるっと後ろを向いた。



「私はなにも見ておりません。どうぞご旅行に行かれてください」



「え? いいの?」


私は驚く。



「その……デイモンから外泊許可をとっていないのだけど……黙っててもらえるかしら」



恐る恐る言うと、彼は後ろ向きのまま答えた。



「はい。内密にしておきます。メイドにもしばらくこちらに近づかないよう指示しておきます」



――え、どうしてこんなに私に協力的なの?



ダロスは大公家の――デイモンの家令だ。主人を通さない勝手な行動に、手を貸すはずはないのに。



はっとひらめく。



――ああ、賄賂ね! 黙っててやるから金銭寄越せってことね。



公爵邸にいた時も、メイドや侍従とこういうやりとりはあった。



旅行鞄から金目のものを引っ張り出そうとしていると、こちらの気配を感じたのか、ダロスが背中を向けたまま言った。



「ミレイユ様。このことで私が何か要求することはありませんので、どうぞ行って下さい」



「え? あら……そう」



ダロスの考えてることがわからない。



しかし、彼はどうも変わり者みたいだし、独特の義侠心を持ち合わせているのかもしれない。



彼の気が変わらない内に出発すべきだろう。



私は「ではこれで」と言い残し、空中ジャンプのため、人目のつかない茂みの奥へと入って行った。







ミレイユの気配が完全に消えてからダロスは呟く。



「ミレイユ様の言葉を信じれば、デイモン様に内緒の旅行ということになる」



彼は首を傾げる。



「冷め切ったご夫婦とはいえ――考え直して、最後の思い出づくりにミレイユ様と行くものとばかり思ってたが……」



梢の向こうに見える本宅に向かって問いかけた。


「一体デイモン様は――誰と旅行に行くつもりで荷造りしてたんだ?」

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