10話【ダンの正体】
「別にレイナが気になって後をつけている……とかじゃないぞ」
俺は自分自身に言い訳をする。
さきほど通りで見かけた彼女から目を離せず――気づけば後を追うようにここまで来ていた。
「たまたま……彼女と向かう方向が同じというだけだ。この先には鍛冶師街があったな。そう、俺は剣の刃を研いでもらいに行くんだ」
思いついたもっともらしい理由に満足する。
――そうと決まれば。
俺は堂々と――レイナと少し距離を取りながら、彼女の後ろを歩く。
「よお、ダン。仕事を頼みたいんだが」
道すがら顔見知りに声をかけられる。
「急ぎか?」
「いいや、来週のことだ」
「じゃあ、明日お前の家に寄るよ」
「わかった、待ってるぜ」
手を振って別れるとレイナの姿を探す。
――いた。
彼女は大通りを横切り、路地へと入って行く。
――あの方向は北町だな。
北町といえば、彼女にとっては先日カークから暴行されそうになったところだ。
近寄りたい場所ではないだろう。
――あえて行かねばならない理由があるのか?
俺は慎重に距離をとって、彼女と同じ道に入る。
しばらく歩くと、レイナは階段のある家の前で立ち止まり、その家の戸を叩いた。
すると女の子が出てきて、笑顔で彼女を引っ張るように中へ入れる。
俺は物陰からその様子を見ながら、記憶を探る。
――あの子……確かサラという名だったな。
カークと一悶着あったあとに寄った酒場――そこを出たところで、俺とぶつかりそうになった子供だった。
――この辺りも見覚えがあると思ったら……。
サラを尾けたときに、レイナと子供達が演奏会よろしく集まっていた場所だった。
レイナが招き入れられてから間を置かず、家の中からリュートの音が聞こえてきた。
しかし一曲通して弾くのではなく、何小節か弾くとストップし、同じ箇所を何回か繰り返す。
――なるほど、レイナがサラに弾き方を教えているんだな。
今までの俺だったら、首を傾げていただろう。ここらの貧乏人相手に教えたって、いくらも稼げないだろうにと。
しかし、あの日――。
ここでの光景を目撃した今なら、彼女の
行動にも納得がいく。
子供達に囲まれて笛を吹くレイナはとても楽しそうで幸せそうだった。
それでわかった。
レイナはただただ音楽が好きなのだと。
俺の知るフレジコとは違うのだと。
俺が駆け巡った戦場はどこも悲惨なものだった。
十年に及ぶ両王国の軍事力はちょうど拮抗していて、常に戦地は血みどろの緊張状態。
やらなければやられるという恐怖感との戦いでもあった。
とても正気ではいられない。
兵士や傭兵は様々な方法で恐怖を押さえようとしていた。
その中には音楽で癒やしを得ようとする者もいた。
だが俺は音楽をまるきり信用していなかった。
音楽の与える癒やしというのは、心の上辺を撫でるだけで、戦場の狂気を鎮めるには程遠い代物だ。
効率よく戦士を慰め落ち着かせるものは「癒やし」などではなく「快楽」だ。
そのことをよく知る戦場のフレジコは、音楽よりも――売春や幻惑剤の密売などの「快楽」の提供に精を出しているものがほとんどだった。
戦争が終わり、酒場に戻ったフレジコだったが――戦地での癖が抜けないらしく、ここらのフレジコは音楽よりも色目を使う者が多かった。
――だからレイナもその類いだと思っていたんだが、俺の間違いだったらしい。
家の中から聞こえてくる曲が変わった。
「これは……子守歌だな」
俺は目を細める。
死んだ妹がよく歌っていた曲だった。
目を閉じると、音色に導かれて心が温かくなっていくのを感じた。
今までにない経験に戸惑うが悪い気分ではない。
「……もしかしてこれが癒やしというものなのか。それなら音楽の本当の効果を……俺が知らなかっただけなのかもな」
そう呟いてから、懐中時計を取り出す。
「ああ、息抜きは終わりだな。そろそろ戻らなくてはあいつに怒られる」
子守歌に後ろ髪引かれる思いで、俺はサラの家を後にした。
・・・・・・・
「お帰りなさいませ、旦那様」
誰もいないはずの温室で、後ろからいきなり声をかけられ、俺ははっと振り返った。
「ああ、ただいま。ダロス」
「お早いお戻りでようございました」
ダロスは、大柄な身体を真っ直ぐにして一礼をしてくる。
こうしているといかにも家令という雰囲気だが、五年前までは俺と一緒に戦場を渡り歩いた仲間だった。
そして――この七つ年上の男は、唯一俺が差しで勝つことができなかった相手。こうして俺の背後をとるくらいわけない実力者でもある。
――怒っているな。
第三者が見れば穏やかな佇まいに見えるだろうが、これは怒っている。
俺の名を呼ばず「旦那様」などと言ってくるときは特に苛立っている証拠だ。
「ええと、悪かったな、これからすぐに仕事に取りかかるから――」
「それは昨日も聞きました」
「うっ」
「傭兵の真似事をして――たまには息抜きも必要でしょう。しかし最近は、本業よりも息抜きのほうが多いのではありませんか」
俺がなにも言い返せず沈黙していると、ダロスはふうっと息を吐いた。
「もう終戦から五年が経ちます。そろそろ大公の仕事にも慣れていただかないと」
「わかってるさ」
俺は髪をかき上げ首を振ると、「傭兵ダン」の衣装を脱いで、温室に隠しておいた「デイモン・エジャートン大公」の服に着替える。
「ダロスはすっかり今の仕事に馴染んだみたいだな」
「はい。戦争が始まる前は先代に家令として仕えておりましたし、元々好きな仕事でしたから」
「そうか。……そういえば奥方は息災か? しばらく顔を出しにいってないが」
「はい。達者に女将業をやっております。毎晩彼女と一緒に夕食をとってますが、私まで元気をもらえるようです」
ダロスの目つきが柔らかくなる。
ダロスは終戦してすぐ、子爵家当主だったにも関わらず――王都の宿屋の平民娘と結婚した。
結婚後、当主の座は弟に譲り、今は日中はここ大公家で家令の仕事をし、夜は宿屋に帰るという生活を送っている。
「そうか。幸せそうでなによりだ。俺は……そういう身内と過ごす時間というのがわからない。家族もいないしな」
母は第一子の俺を産んですぐに他界した。
幼少期は多忙な父と顔を合わすことはほとんどなかった。
十歳で大公家の嫡男としてバラッタイン王国との戦争に参加した。
それから十年間戦場で暮らし――終戦して帰ってきてみれば父がすぐ病死した。
だから「妹」と触れあったわずかな時間を除けば――。
身内との「家族らしい時間」とやらを俺は過ごしたことがなかった。
おまけに今は天涯孤独の身の上だ。
「ご家族なら……デイモン様にもいらっしゃるではありませんか」
俺は首を傾げるが、思い当たる人物が浮かぶ。
「ミレイユか。あれは形だけの妻だ。それに妹の敵――タウンゼント家の者だ。家族だとは思えない」
「確かにミレイユ様はタウンゼント公爵家の令嬢でしたが……彼女が殺したわけではないでしょう。そう悪い女性にはみえませんがね」
ダロスはいつもこうだ。自分だって敵対してた国の人間だというのに、なぜだかなにかとミレイユの肩を持つのだ。
「とにかくミレイユは家族とは呼べない。三ヶ月後には離婚もするしな」
「まあ……そうですね」
俺が息抜きに平民街に出かけていることは、ダロスしか知らない秘め事だ。
大公家当主としてはふさわしくない行為であるし、大公家を嫉んでいる人間からすれば、俺を失墜させる格好のネタになるからだ。
この温室はいわば俺の弱点。
「さあ、ここに長居は無用だ。執務室へ移動するぞ」
ダロスが頷き、俺達はそろって執務室に向かった。
半日ぶりの執務室は、相変わらずの雑然とした状態だった。
毎日、最低限の書類は捌いてはいるが、それでも溜まりがちなのは否めない。
さらに「今日新たに追加された分です」とダロスが書類の束を渡してきた。
「大公の仕事は座ってばかりで虚しい。剣を持って駆け回っていたあの頃が懐かしいよ」
冗談めかしたつもりだったが、ダロスには切実な本音だと伝わってしまったようだ。
ダロスは眉を下げた。
「本来なら後継者教育を受ける時期を戦場で過ごし、戦地から戻ったら父親の急死のため即時に大公にならなければならなかった。戦場しかしらないあなたには酷な仕事でしょう」
しかし、とダロスは続ける。
「この書類の山こそが今のあなたの戦場なのです。あなたが処理するこの書類が民を助けるのです」
俺は首を横に振る。
「俺にとって、民を救うのは書類じゃない、剣だ」
渡された紙の束を執務机に置くと、ダロスに言う。
「今日はこれからちゃんと書類を片付ける。お前は――もう帰っていいぞ。このところ俺の尻拭いで帰りが遅くなっていただろう? 奥方と過ごせ」
ダロスはしばし沈黙し、それから「ではお言葉に甘えて帰らせていただきます」と一礼して出て行った。
俺は執務椅子に座ると、引き出しを開けた。そこにはドナシーの仮面が入っていた。
元々は父親の持ち物だった。顔を隠さねばならない取引をいくつかしていたようで、この仮面を利用していたらしい。
あの結婚式当日――事前にダロスからミレイユが仮面をつけていると聞き、俺もこれを被って式に出た。
国を想って承諾した結婚だったが、タウンゼントの女と結婚するなど御免だった。早々に離婚しようとも思っていたのも本当だ。
それでも――曲がりなりにも夫婦となるその式には、誠意をもって臨もうと思っていたのだ。
だがミレイユは顔を隠すという無礼な行動に出た。
彼女にとって結婚式は――顔もみせたくないくらい嫌悪するものだったのだ。
それなら俺も――無礼を無礼で返してやろうと仮面をつけた。
「俺はつくづく温かな家庭とは縁がないらしい」
引き出しを閉めるとペンをとり、大量の書類にとりかかった。




